12. 悪魔様のための教会
「提様。お茶の準備が出来ました」
「四季川さん、ありがとう」
「えぇ。どうぞごゆっくりしてください。何かございましたら、いつでもお呼びください」
歩美はティーセットをテーブルの上に置き、ティーカップをそれぞれの前に渡す。湯気と共に爽やかな香りが立ち込め、花子はうっとりしてしまう。
「アップルティーなんだけれど、気に入ってもらえた?」
「飲んだことがない」
「そうなのかい? 確か、棚にいくつかTバックがあったよね。それあげるよ。家族と一緒に飲んで」
「ありがとう」
それから暫くして、二人は再び会話を膨らませる。提は今、バイオリンのレッスンと学業を両立している。
授業の終わりの合間を縫っては殆どソルフェージュに費やし、放課後や休日は夜遅くまでレッスンに注ぎ込んでいるとのこと。
「疲れないの?」
「まぁ、眠い時もあるけれど音楽が好きだから苦だとは思ったことはないかな。でも、たまには息抜きだって必要だよ」
「そう」
「花子は? 花子はいつも何をしているの?」
「家では美藍さんのお手伝いをしている」
「お手伝い?」提は家事の方かと尋ねた。
花子は首を振って「家が鍵屋」と呟くと、彼は興味津々に肯首する。
「鍵屋なんて珍しい職業だね。てことは、スパイ映画とかで出てくるピッキングとかも出来るの?」
「うん」
「へぇ! じゃあもし、鍵のことで困ったことがあったら花子のお家を頼ろうかな」
偶然時計を見るともうすぐ六時半を過ぎようとしていた。花子の視線に気付いた提も倣う。
「あ、もうこんな時間なんだ。花子と話すのは楽しくてあっという間だな」
「そう?」
綻ばせた顔に花子は無表情のまま返す。噛み合わない反応でも提は嬉しそうだった。
「誰かと音楽以外のことを話すのは久しぶりだなぁって」
「また話そう」
「え? いいの?」
「うん」
「……ありがとう。花子。君って、無表情だから何を考えているか分からないけれど、本当は優しいんだね」
「?」
「あ、
提の言うことが分からず呆然とするしかなかった。提が「帰りは四季川さんが送迎してくれるみたいだから、準備が終わったら行こう」という声に頷いた。
◇
「本当あいつ、どこに行ったんだか」
自宅前で美藍は怪訝しく道路先を見つめる。
時間は二時間前に遡る。午後の依頼を終えた美藍は、花子が下校するのを待っていた。突然宝鏡家のインターホンが鳴り、玄関を開けると友人の十文字ラムネが息切れをしながら現れる。
「ラムネちゃん? あれ、ハナは?」
「花子ちゃんならさっき、友達の家に行くってそのまま行っちゃいましたよ。だけどその場で決めたことだと思ったので、美藍さんに報告しようと思いまして」
「え? 友達?」
「はい。男子と遊ぶ予定だったそうで……」
「はぁ?! お、男友達ぃ?!」
叫びに近い声にラムネが肩を大きく震わせた。美藍は「あぁ、悪りぃ」と告げるも内心は焦りが募るばかりだった。
「アイツそんな素振りなかったのに、いつの間に彼氏が出来たのかよ」
「だけど、恋人と言う感じではなかったです。その人が一方的に花子ちゃんを連れて行ったみたいで……」
「誘拐じゃねーかそれ。なぁラムネちゃん、ハナがどこに行ったか場所って知っているか?」
「実は私が花子ちゃんにバイバイって手を振った時には、既に学校を出ちゃってて、分からないんです」
「……マジか」
そして、現在へと戻る。
「ハナには携帯は持たせてねーし、取り敢えず七時まで待ってそれでも来なければ………警察に連絡するか」
ラムネが友達と言うくらいだから、遅かれ早かれ花子は自宅には戻ってくる筈だ。未だ帰宅しない花太郎の不在を幸運に思った。
「ハルは友達の部活の手伝いで遅くなるって言ってたからな。もし、ここに居たらハルは騒ぎに騒いだだろうからな」
やがて、薄暗い街路に一つの光が見える。どうやら車のライトで、宝鏡家に近付く度に速度が緩やかになる。その車は美藍の目の前でゆっくりと停車した。
後部座席から花子がランドセルを背負って現れた。
「美藍さん」
「ハナ! 良かったぁ。ここで待っていて」
美藍は急いで駆け寄ると、後ろから提もこちらに向かってくる。美藍はこの人が花子と友達かと自己解釈する。しかし、その数秒後、美藍はとある事に気付いた。
「あれ、もしかしてこの前のコンサートでバイオリンを弾いていた人?」
「はい! 初めまして、弓弦提です。今日は何の連絡も無しに彼女を連れ回してしまったこと、本当にすみません」
そう言って頭を下げる提。美藍は「いやいや、そんな畏まらなくていいぞ」と必死に宥めた。何せ、相手は有名な天才バイオリニスト。そんな有名人に頭を下げさせるのは気が気ではなかった。
「あの……。こちら、詰まらない物ですが良ければ食べてください」
「いやいや、そんな大丈夫ですよ。寧ろお邪魔させてしまったんですから……」
いつの間にか美藍らしくない仰々しい口調が溢れる。謙虚に断ろうとするも、提の食い下がらない態度に直ぐに美藍は諦めた。渋々受け取り、中身を一瞬だけ覗く。
中には海外産の洋菓子と紅茶パックのセット。テレビの広告で見かける有名ブランドだ。予想以上の尽くしどころに、美藍の口角はピクピクと引き攣った。
「じゃあね、花子。今度誘うときは電話するから絶対出てよ?」
「うん」
「約束だよ! じゃあ、すみません。ありがとうございました」
「あ、はい。どうも………」
提を乗せた車が出発した後も、美藍は堅苦しさが染み込まれていた。美藍が大きく呼吸できるようになったのは、花子が「美藍さん」と呼びかけた時だった。
花子は佇む美藍を不思議そうに見つめる。美藍は紙袋から視線を移し、態とらしく突っかかった。
「ハナ。アタシになんか言うことあるよな?」
「……ごめんなさい」
「はぁ、全く。無事に帰ってきてくれたから良かったものの、行き先も連絡先も分かんなかったからマジで焦ったよ。ラムネちゃんが事情を説明してくれたんだよ」
「そうなの?」
「おう。だから明日、ラムネちゃんに「ありがとう」って言うんだぞ」
「うん」
「だけど、これからはこう言う時がある場合はちゃんと連絡すること。約束だぞ?」
「約束する」
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