11. 悪魔様のための教会

 嬉しそうに語る提を見て花子は呆然とする。ふと視線を横にずらすと、棚の上に写真立てが置かれている。提を中心に、彼の家族を含めた大人たちがぞろりと揃っている。


 その中に花子は顔見知りの人物を見つけた。


「月光先生だ……」


「知り合いなの?」


「今日、学校に来た」


「あぁ確かに、あの人音楽を教えたりするからね。ちなみに月光さんは、僕の専属ピアニストだよ」


「専属?」聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「簡単に言うと、僕だけのピアニストってこと。まぁ、もうそれもなんだけれど」


 提の言葉の意味が分からなかった。


「あの人のピアノはね、凡人よりは遥かに実力はある。天才っていうよりも、秀才って感じがする。二つは似ている様で違うんだよ。彼女は後者だ。僕は天才だからさ、他の人がどの様に弾いているのか感じれるんだ。あの人はいつも必死でさ。切羽詰まって、まるで失敗でもしたら殺されちゃうかもしれないっていうくらい。まるで、猛獣の群れの上で綱渡りをしてるみたいだよね」


 クツクツと喉の奥を鳴らす。

 花子はそのまま黙っていた。


「……」


「あの人はその本質を忘れてしまっている。自分がかつて、音楽が好きで、ピアノが好きで、誰かに自分の音を聞かせることが好きで、憧れを抱いていた人がいただろうに。その純粋な気持ちが薄れていって、今は才能が全てだと物語っている」


 写真を眺めて次々に呟き、彼は浮かない顔になる。飄々としていたいつもの姿とは変わって珍しい。


 花子は何と声を変えて良いか分からず口を噤んだままだ。


「だから」提はその眉目麗しい顔をバッと向けた。


「美琴さんはもっと自由になるべきなんだよ。まだ若いだろうし、もっと多くのことを見たり、聞いたり、感じたりしてさ。だから、僕なんかに囚われないで色んなところで音色を奏でた方がいい」


「……」


「まぁ、こんなしんみりした話をしたかった訳じゃないしさ。あ! そろそろ、四季川さんがお茶を持ってきてくれる筈! 花子は紅茶は苦手?」


「ううん」


 獄の別邸で飲んだことがあることを思い出し首を振る。


「そっか。なら、良かった。四季川さんの淹れた紅茶は格別なんだよ。きっと花子も気にいるさ」


 提は無理に表情を変えて、笑っているようにも思えた。




 それから二人の会話は、再び和気藹々になる。


「僕もお父さんも芸名を使っているんだ」


「げいめい?」


「平べったく言うと、偽名と一緒だよ」


「じゃあ、提という名前も?」


「ううん。提は本名だよ。弓弦ゆみづるという苗字は偽名かな。ねぇ、花子の苗字は何?」


「宝鏡」


「ほうきょう……?」


 あまり聞かない苗字だねと呟く提から紙とペンを貰う。


 「鏡」と言う字は最近習ったばかりだが、「宝」は未だ習ったことがない。美藍に「鏡よりは書きやすいだろ」と言われて、何度か挑戦して漸くマシになってきた。


「へぇ、こんな字を書くんだ。宝の鏡か……。ふふ、何かファンタジーでありそう」


「うん。提さんは?」


「僕? 僕の本当の苗字はね……」


 コンコン


 部屋のドアのノック音と共に、二人は一斉に振り向く。ドア越しから歩美の声が聞こえた。


「提様。お茶の準備が出来ました」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る