7. 悪魔様のための教会
「なんとなく」
朧げに花子は告げる。これは恐らく、花子が幼い頃によく耳にしていた旋律だった。菫子が口ずさんでいたものか、或いはBGMとして長い時間流されてきたものか。
どちらにせよ考えるたびに闇が広がるのは事実である。
「僕もね、その曲弾けるよ」
いつの間にか、提は自身のバイオリンを取り出し構える。
「この曲はね、背景には中世ヨーロッパで流行った疫病が関係してるんだ。その病は人々を蝕み、命を落とした者も多かった。このことから、死はみんな平等に訪れるものと言われるようになったんだ」
提は今にも弦を鳴らしそうだ。緊迫とは言えないが、弦に触れるか触れないかのギリギリのラインで、それでも花子に会話を途切れない。
「そこでね、絵画や文学の間で「死の舞踏」というものが広まった。死者と生者が手を取り合って踊っているんだ。だから、人はいつ、どんなことがあっても、死ぬことからは逃れられない」
「……」
「僕も踊ってみたいな。だって、死んだ人とはここでは会えないんでしょ? きっと、凄い価値なんだと思う」
「ねぇ、君も踊ってみたい?」彼の言葉に花子は黙り込んだ。
そもそも、死者と踊ることなど考えたことがない。「会いたい」ならまだしも、「踊りたい」である。花子には検討が付かなかった。
「まだ、きっと分からないのかもね。仕方がないさ、死者と踊るなんてこと
「気にしないで」提は気分良く笑いのけた。
「聞いてて。そしたらきっと、君も踊りたくなる筈だ」
そう言って彼は迷わず、バイオリンの弦を引いた。
彼の演奏が終わるまでどれくらいの時間が経ったのだろう。瞬きをしている内に音色は止み、再び静寂へと包まれる。
あっという間だった。
弾き終わった提の顔は清々しそうに背伸びをし、「ぁぁぁ」と絞ったような声を上げる。上半身を屈ませ、パサリと白髪が揺れる。
一体何をしているんだと不思議に見つめる。ゆらりと提は顔を上げた。
「ねぇ、君は音楽が好き?」
唐突な質問に花子は呟く。
「分からない」
「分からない? 分からないってことは……好きでも嫌いでもないってことか。それはきっと、君がまだ音楽というものを、この目で、この耳で、実際に体験することをしていないからだろうね」
「うーん……そうだなぁ」
今度は何を考えていのか、花子は様子見る。
「じゃあ、僕が君に音楽を教えてあげよう!」
「……え?」
花子は訳が分からないという目をする。再びかかる突然の決め事に固まってしまい、その内に提はどんどん目を輝かせる。
彼の整った顔が花子の前に突き出される。
「そしたらきっと、君は音楽を好きになるよ! 好きなものを共有するのは嬉しいからね!」
「……」
「そう言えば自己紹介が遅れたね。僕は
「
「へぇ、花子って言うんだ。よろしく花子」
「おーい! ハナー!」
会場入り口方面から、美藍が慌てた様子でこちらに走ってくる。
「美藍さん」
「忘れ物をしたって言ってたのに中々戻って来ねーからびっくりしたよー。荊樹さんが車出すって言ってから呼びに来たんだ」
「そうなの?」
「そうなのって……全く。そんで、その人は……さっき演奏していた……」
美藍が提に視線を移すと彼は愛想良く振る舞う。
「じゃあ、僕はマネージャーに呼ばれているからもう行くね。
「うん」
花子は手を振りかえし、舞台裏に戻る提の姿を見送った。彼の背中が見えなくなるのを確認した美藍は肩を落として安堵の表情を浮かべる。
「やっぱ、有名人って忙しんだなー。ってそんな事より、忘れ物は見つかったのか?」
「見つかった」
「お、なら良かった。じゃあ、忘れ物もないしもう行くか。ハルも待ってるから」
「うん」
◇
「いやぁ、あの時は大変ご迷惑もおかけして……」
花子たちがホール内を出ると、獄たちの姿が見えた。そこには此糸ともう一人見知らぬ男性もいた。男性は獄たちに申し訳なさ気に頭を下げている。
「あ、美藍さんに花子ちゃん」
「さっき振りだな此糸さん」
此糸は二人を見つけると顔を綻ばせる。
「おやァ? 花子くん、忘れ物は見つかったのですねェ」
「うん」
花子はポシェットの中から藤模様のハンカチを取り出し獄に見せる。「見つかって良かったですねェ」獄は満足そうにそう言い返した。
「所で、この人は……」
「あァ、彼は
「蛇ヶ崎星叶? それって確か……作家だったよな?」
美藍が脳内を振り返る中、男性は答えるように彼女に近付く。
「はい! 初めまして、お会いできて嬉しいです。
「は?
困惑する彼女を他所に獄はニコリと言葉を投げる。
「美藍さん、
「あ、あぁ。つか、
美藍の頭の中で「嫌な予感」が過ぎる。
「実は僕、遊田家で監禁されてまして……」
「はぁぁぁぁぁぁ?!」
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