俳句@置場

佐伯 安奈

はじめに

 これは全ての表現に言えることだろうが、「向こうからやってくるものを捉えて表す」のか、「捉えて表すべきものをこちらから探してかかる」のか、ということがある。

 例えば人が小説を書きたいと思ったとする。そこで何を書いたらいいのか、と考え始めた時に、そうだ昔あったあの体験を元にいっちょ書いてみようと思ったとしたら、それは前者の形の表現と言えよう。この場合、その昔の経験というものが、どういう作用によるものかその人の脳裡に蘇り、書くべきこととしてやって来たのである。

 しかしこの書き方とは対照的に、さしあたって書こうと思うものが見当たらなかった(何も向こうからやって来なかった)ので、一から題材を求めて書く、ということもあり得る。そこである人は歌舞伎の世界について書くかもしれないし、食品業界やスペインの近代を舞台に、調べて書くかもしれない。これは後者の書き方である。当然この二者には何も優劣はない。それぞれのやり方でそれぞれの小説が出来上がるだけである。

 しかしこと俳句に関してはどうだろうか、と私はこの頃思っている。俳句のような短詩型文学とは、一句を作るためにこちらから動いてかかるものではないのではないか、つまり俳句は、「向こうからやって来た言葉を受け止めて、原則的な十七字に収めること」ではないかという思いだ。俳句を作りたいがためにあれこれ考えあぐねて五七五をようやっと埋める、という行為は俳句のあり方ではないのである。何の気もなしにそこにいる時に、ふっと心に生起する言葉、それこそが俳句の元手、酵母のようなものなのではないか。俳句形式に適した心の状態というものがあり(それを私は俳句状態と言おう)、そういう時にこそ、私の「向こうからやって来る言葉を捉える」受信機、アンテナは冴えたはたらきを見せるのではないかと思う。

 そういう姿勢で、私は俳句のような定型のような、大体十七字であるような語のつらなりをここに書いていく。

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