第10話 「いい人」でなければ生きられない
自分で言うのも何だが、私はどちらかと言えば「いい人」だと思う。
でもやりたくて「いい人」やってるわけじゃない。
「いい人」を装っているわけでもない。
「悪い人」になれないだけだ。
「悪い人」とは自分の欲望に忠実で、他人の不利益になろうがその実現のために手段を選ばず、且つ実現可能な実力と精神力を有している者を指すと思う。
例えば他人から金を引っ張ろうと思ってだましたり脅したりするのは一般人にできるだろうか?
そんな悪いことはできない、という前にある程度悪知恵が必要だし、腕力などを背景にした迫力だって必要だろう。
またカモに反撃されたり他の「悪い人」と対峙したりした時のための対応力、はたまた警察から逃れるための智恵、捕まってしまった場合の覚悟も必要だったりするから結構いばらの道だと思うのは考え過ぎだろうか?
理路整然とした思考ができず、腕力その他もろもろの自信がない私にはまず無理だ。
それに私のような者が悪いことをしたら徹底的にやられるだろう。
悪くて弱い愚か者は嫌われるどころか憎まれる。
世の人々はここぞとばかりに正義感を発揮して強くて本当に悪い者以上に叩いてくるはずだ。
だから私は怖くて「悪い人」にはなれず、「いい人」でいざるを得ない。
それと世の中にいる「いい人」の中には本当は善良ではない人も多いと思う。
本当はムカついていても「悪い人」になれず怒り出せないって人だ。
私もどっちかと言えばそのタイプである。
そして私みたいなタイプの「いい人」は平穏無事に過ごせることが多い反面、時として大いに不利益を被る。
ナメられるからだ。
私は断りやすく頼みやすい人間とみなされているようで、無理で勝手な頼み事をよくされる。
使い勝手の「いい人」に成り下がっているのだ。
そんな私には悪党崇拝ともいうべき一種の信仰が昔からある。
悪党は肉体的にも精神的にも強くなければならない。
他人を圧倒する迫力を持っていなければならない。
クレバーで計算高くなければならない。
臨機応変な対応力を持っていなければならない。
何より、冷酷非情でなければならない。
どれも私は持っていないし、持ちたくても持てないから、どうしてもそれを完備した悪党にうらやましさを超越した神聖さを感じてしまうのだ。
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