第36話 知ったことひとつ

 勧誘を受けてさてどうしようと、対応に真っ先に悩んだのが後ろに立つネグロについてだったのは許してほしい。何せ目の前の男については返す答えは一択だったもので。


「お断りします。現状どこか一組織に属する予定はありません。今の俺は聖女手伝いの身の上ではありますが、彼女にも一時的なものだとお伝えしています」


 やんわりと辞退を告げてもいいが……そうすると後ろと拗れる可能性が高まる。それに“聖女名代”の言葉ではなく“俺”の返答ならば、アカネに迷惑がかかることもあるまい。


「おや、聖女に操立てするわけでもなく、どこかの組織に身を寄せることもないと。噂に名高い聖人様らしい選択ではありますが、貴方様とて人でしょう。霞を喰らうばかりでは生きていけないのでハ?」


 ……ううん、痛いところを突かれたな。

 実際今はアカネの手伝いをすることで金銭面の不安はないが、それを辞した後の私に後ろ盾はない。

 日銭くらいなら稼ぐ手段は幾らでもあるが……この商会の勧誘を突っぱねるということは、つまり彼らの息がかかる土地で仕事を見つけるのが難しくなることを示していた。


「……彼の技量を理解しているのならば、その心配は無用では? 彼の使命の後に万一そのようなことがあれば、少なくとも騎士団としては働きに応じた支援を惜しむことはない」


「……ネグロ殿……」


 厄介に厄介が重なってきた。

 あるいは反応に困る一択が、反応に困る二択に増えたというべきか。どちらも国の派閥に大きく関わるのだからやめてほしい。ため息を何とか飲み込んだ。


 叶うならばどちらとも無関係の場所に収まりたいのだが、騎士団と教会と商会の三つを排斥するとなれば取れる選択肢は一握り程度になる。……来るかもわからない未来に対して不安を覚えるのは後にしよう。




 依頼の話は通した。残る懸念点はこの男の行動の根幹にバグが影響していないかどうかだ。やんわりとネグロ殿にも支援はなくとも問題ない旨を告げながらも、内心でカバンに潜む青い鳥に呼びかけた。


(バラッド。改めてこの黒百合商会の空想遊戯内での役割について端的に説明してくれるかな?)


《承知しました。黒百合商会の役割を一言でいうと『三つ巴の悪役枠』になります。彼らは決して国を傾けることを望んでいるわけではありませんが、己の利益を追求した結果そのような状態となっているわけですね!》


 うーん……来る前に聞いていたが、改めて立ち位置がひどい。


《なお、リメイク前は王権強固派がその立ち位置になっていました!》


 ますます複雑だな……。

 実の母と妹が以前立っていた立場に座っている男に目を向ければ、マルグレリンは明らかに冷や汗を垂らして目線を泳がせている。何か形のないものを探すような挙動に素知らぬ顔をして問いかけた。


「おや、マルグレリン様。どうかなさいましたか?」


「えっ!?……いえ、いえいえ。何でもございません。改めて白聖人様の首を縦に振っていただくべく、私どもが提示できる条件を考えていたまででス」


 ──黒だな。

 彼自身の自覚があるのか、実質的に空想遊戯内にどのような影響があるかはさておき、反応を見るに彼にはバラッドの副音声が聞こえたのだろう。ならば、バグの影響を得ていると見て間違いない。


 この商会について、ひいてはマルグレリン氏についてはもう少し調査を重ねる必要がありそうだ。


「それだけお目をかけてくださるのは光栄ですが……俺のような一個人にかかずらう時間を他に割いた方が有益かと思いますよ」


「……本当に貴方は自らの価値をご理解なさってないのですね」


 色のついた薄硝子の奥、細められていた瞳がほんのわずか見開いた。机上に置いてあった私の手を再び取る。


「国ほど大きなものではございませんが、この街における貴方という存在は大きな切り札でス。聖女の心象一つすらも、今や貴方の手の内にあるのですヨ。……ゆめゆめ、お忘れなきよう」


「…………」


 成程、分かりやすい悪役そぶりだ。バラッドの謳った言葉がこんなところで理解できる。彼らは私が商会側に下らないのならば、アカネに纏わる流布と風評を止めるつもりはないと告げてきているのだ。

 逆に言えば、私が彼らの操り人形として働くのならば、それにも斟酌しんしゃくすると。


 強められそうになった腕の力は、けれども割っている別方向の力が押し留めた。無理やり手を引き剥がした男は、そのまま私の体を引き寄せる。


「──抽象を並び立ててあまり惑わせないでいただこう。彼は私の友人でもある。これ以上の不敬は私への不敬とも見做すが?」


「……これはこれは、騎士団長様。失礼致しました」


 ネグロの黒い瞳がマルグレリンを睨め付ける。恭しい一礼を一顧だにすることなく、「行くぞ」と彼は私の腕を引いた。


「ネグロ殿……!すみません、マルグレリン様。そのお話はまたの機会に」


「……ええ。聡明な貴方様なら必ずや最善を選んでくださること、期待しておりまス」


 相変わらず表情を窺わせないその笑みをたたえたまま、黒百合商会の幹部は一礼をして私たちを見送った。



 ◇



「……すみません、ネグロ殿。ご心配をおかけしてしまったようで」


「謝罪は不要だ。お前に非がある話ではない」


 不機嫌さを隠しきれない声ではあるがこちらを掴む手の力は加減されている辺り、理性が今は上回っているのだろう。


「それにしても、厄介な男に目を付けられたものだな。あの男は商会内でも随一の策士で知られている。恐らくこの先お前や聖女の周囲は否が応でも荒れざるを得ないだろう」


「そうならないよう、取れる手は尽くすつもりです」


「荒事の類が起きないとも言い切れん。──必要とあらばお前たち二人を対象に短期支援や短期滞在の検討をするが」


「……俺の返答について、ネグロ殿なら既にご想像されているのでは?」

「違いない」


 それで首を縦に振ってくれるのなら楽なのだがなと肩をすくめられてしまった。


「さて、ひとまず俺の用事は終わりましたが、ネグロ殿の方はいかがでしょう?もしまだ商会の用事がお済みでないのなら……」


「心配は不要だ。私も凡その用件は済んでいる。……ああ。だが最後に一つ、寄る場所がある。付き合ってもらっても?」


「ええ、構いませんが……」


 正直あのやり取りの後に私を商会内で連れ回すのはそれなりにリスクがあると思うのだが。


《ネグロ騎士団長的にはこの後一人で帰して何事か目の届かないところで起きる方が心配だと思ったのでは??》


 うーん、否定できない。

 バラッドのツッコミに返す言葉もないまま、先導するネグロの後をついていく。




 想像と異なり、そのままネグロは真っ直ぐ商会の本部を後にする。行きと同じ通り。丁度私が宝石店の店主に捕まった辺りまで差し掛かったところで声をかけられた。


「おっ!さっきの兄ちゃん、超特急料金で頼まれてたもんはもう仕上がってるぜ!」


「早いな」

「へへっ、これも魔鉱技術様々ってな」


 ネグロへと何かの箱を差し出した男は、金貨が入っているらしい袋を受け取りそのまま離れていく。成程、行きがけにここで買い物をしていたのかと納得していれば、その箱を眼前へと差し出された。


「…………?ネグロ殿、これは……」

「受け取れ」


 有無を言わさない言葉と圧。せめて中身が何なのか教えてほしいのですがという言葉も、見ればわかると端的に切って返された。


 こうなったネグロに何を言っても引かないな……。今日は迷惑をかけた自覚もある。

 諦めて受け取り箱を開ければ、赤褐色の宝石と水晶が細かく砕かれ散りばめられた、男性でも使えそうな流線状のピンブローチがそこには収まっていた。


「……???」


 いや、本当に何だかわからない。

 ピンブローチとネグロを交互に見遣れば、どこか悪戯めいた調子で瞳を細められる。


「先ほどの目利きの時に言っていただろう、その色が好ましいと。砕いて細工にしたものを、私が買ってお前に差し出そうと問題はなかろう?」


「え……ええ、買われるのはネグロ殿の自由ではありますが……」


 それにしても、なぜ私に? 無言の問いかけに答えるよりも先に、彼は箱の中のピンブローチを掬いあげて私の胸元へとそれを付けた。


「──ようやく一つ、お前の好みについて知ることができたからな。その証を贈りたかった。邪魔だというのなら外すなり捨てるなりして構わん」


 噛み締めるような物言いも、わざわざ私の胸元に手ずから付けた上でそんなことをいうのも、確信犯と言わずして何と言おう。思わず額に手を当てた。


「……ええと、せめてお代を」

「構わん。私の自己満足だ」


 そうだな、お前はそういうだろうよ。

 私の首元を見て満足げに頷いた男は「これで用は済んだ。戻るぞ」と再び前を歩き出す。



《……聖女にはネグロルート以外を薦めるべきですかね、これは》


 無機質な響きのはずなのにどこかしみじみと聞こえるバラッドの声が耳に痛かった。これ私のせいか!?

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