第29話 宴席の言葉
あっという間に食事が広がる。元々の昼食だけでなく、ユーリス秘書長官が秘蔵の酒や肉を出すことを許したらしい。飴と鞭の采配があの人らしい。あるいはツィルハネ師団長の口添えもあったかもしれないが。
十人前後の騎士が一塊になり、あちこちに小さな島ができている。いずれのものも手にはジョッキを持ち、晴々とした顔で酒を酌み交わしていた。この三日間の疲労を全て流し込むような勢いを咎めるものは誰もいない。
舞台も階級も越えた無礼講の席。私とアカネも、イェシルとポールがいる席を共に囲みながら、鹿肉と香草のソテーを頬張る。
「んん……おいひいです。それに二人も仲直りされてよかった……!」
「仲直りというにはだいぶ荒療治だったけどな」
「お前が拗らせてたせいだろ」
イェシルがポールの脇腹をこづけば、小さな笑いが輪の中に広がる。アカネがトウトイと謎の高い呻めき声を発した気がしたが……気のせいだろうか?
「にしても、ネグロ騎士団長とあんな真正面から打ち合えるなんて……!お前本当根性あんなイェシル!」
「いやいや、ポールに背中蹴飛ばされたからさ。それにアカネにもヴァイスにも、たくさん世話になったし……」
「そんな、気にしないでください!」
「ああ、以前手を貸してくれた借りを返しただけだよ」
深く頭を下げてきたイェシルに首を横に振って返す。私たちが出来ることをしたまでの話で……と思っていれば、顔を上げたイェシルの顔は、どこか悪戯めいた笑みだった。
「んで、オレは約束守ったぜ?ネグロ団長に声はかけた結果があれだったわけだけど、お前はどうするんだ、ヴァイス?」
「え。」
「そうですよね!ネグロさんもヴァイスさんとまた仲良くしたいと思ってるみたいでしたし、許してあげてもいいんじゃないでしょうか?」
「いや、許すも何も俺は怒ってたわけでは……」
「お! いたいた! ぶっちゃけ探してたんだぜ?」
空気を揺らすほどの陽気な大声と共に、たくましい腕が私に回される。嫌な予感がするよりも早く、そのまま勢いよくツィルハネが私を担ぎ上げた。
「っ、ツィルハネ師団長!?」
「いねぇと思ってたらこんなところにいたとはな。ネグロのやつが酔っ払ってお前の名前ばっか呼んでるからな〜。ぶっちゃけ来てくれねえと困るんだよ」
「同名の別の方を呼んでるのでは!?!?」
元皇太子の方を呼んでいたとしたらいたたまれなくなるのは間違いない。
いや、その元皇太子も私なのだが。大変ややこしい。
「まあそん時はそん時だ! 行くぞ!」
「ちょ、っと、待ってください……!」
肩に担がれたままツィルハネ師団長が歩き出す。
力を込めたところで鍛え上げられた腕も背中もびくともしない。助けを求めようと周囲を見ても、何やら生暖かい目で見られている。しまいにはバラッドも、私についてくる様子もなく皿から菜っぱを摘んで食べている始末だ。見事なまでに味方がいない。
「ドナドナ……」
アカネが何やら呟いたのを耳にしながら、私は師団長にそのまま荷物のように運ばれることになった。
◇
「うっし、到着! 」
のんきな声と共に体が浮遊した心地を覚える。受け身を取る隙もなく放り出された体は、けれども思っていたような硬い衝撃はこなかった。
「………………ヴァイス」
「ネグロ殿……って、ちょ、」
顔をあげれば、どうやらネグロが受け止めてくれたようだ。それはありがたいことだが、随分と顔が赤い。酔っている彼を見ることなど、眠りにつく前すらなかった。あの頃はまだ、酒を飲める年齢ではなかったから当たり前だが。
私を受け止めた彼は、そのまま腰に腕を回して瞳を閉じる。その上頭を私の膝に乗せてくるものだから、立つも逃げるもできはしない。
「ひゅう!膝枕かぁ、団長ってば本当あんたに気を許してんなぁ」
んじゃ頼んだ! と口笛を吹きながら背中を向けるツィルハネに恨みがましい目線を向けるが、当たり前ながらそれで振り返ることも足を止めることもなく、やがて姿は遠くなる。
近くには誰もいなくなったというのに、視線というか意識は四方から向けられているのを感じとる。全く……。
「ネグロ……ネグロ殿、」
申し訳程度に肩を揺らすが、腰へと回った腕の力が緩むことはない。このまま寝入られでもしたら本気で動けなくなるのだけれど。
「あの、起きてくださいネグロ殿。というかお水を飲まれた方が……」
「心配、してくれたのか」
唐突に聞こえてきた声に目を見張った。顔こそ赤くなっているものの、声は想像より明瞭だ。見かけほど酔ってはいないのだろうか。……いや、それならそれでこの腕を離してほしいのだが。無言の訴えは当然ながら無視され、そのまま言葉を繰り返してくる。
「お前には不快な思いもさせただろう。それでも、心配してくれたのだな」
「当たり前でしょう。お伝えした言葉が間違っていたとは思っていませんが、それでも配慮に欠けていた自覚もありますから」
「謝罪は不要だ。……あれからずっと、お前のことを考えていた。殿下のこと以外を考えるのは随分と久しぶりだった。初めてだったかもしれない」
「……他にも考えることはあったでしょう。皇国のこととか騎士団のこととか」
「無論思考はする。だがそれら全てはヴァイス様に帰結するものだ」
「そうかぁ……」
無意識につぶやきがこぼれ、遠い目で空を見る。晴れやかな快晴が目に痛い。
「それで、思い知った。私はお前のことについて、何も知らない。優秀な男であること、聖女のそばを望むこと、イェシルと話をしている時には存外年相応の顔もしていること、ユーリスの苦言も受け流す柔軟さもあること。それくらいだ。お前自身が何を好み、何を目指し、何を望むのか。私は何も知らないんだ」
「…………、」
それを周囲に話してないのは、意図的だった。
眠って起きたところで、人の嗜好はそう変えられない。
それでも少しは話しておけばよかったとその顔を見て思うあたり、私は本当に彼に甘いらしい。バラッドに呆れられても無理はない。
癖のある赤い長髪を梳きながら穏やかな声をかける。
「知らないのなら、これから知っていけばいいでしょう。私だけでなく、あなたの周囲の者のことを。同じ形かは分かりませんが、そうすることで埋まるものもあるはずです」
空の器に喩えた時のことを持ち出して告げる。青い鳥の言うことには聖女に救われる道があるのだから、精神的に磨耗して倒れるような、そんな終わりは訪れてほしくなかった。
「…………ならば、ヴァイス」
「はい?」
腰に回っていた腕のうち片方が剥がれる。身動きはできないが圧迫感はずいぶん減った……と思いきや、自由を与えた彼の腕はそのまま私の手を握る。
「私はもっとお前を知る機会を得たい。だから、私の元に来てほしい」
節くれだった指から、彼の熱が伝わってくる。
私はそれに口を開いて返事をかわす。
「え……いえ、謹んでお断りします」
「………………………………………」
無言の圧が強い……。
仕方がないだろう。どう考えても今の国の状況で私がどこか一つの派閥に入ったらそれだけでバランスを崩しかねない。
世界を救うのは、あくまで聖女の手でなければならないのだから。
「はぁ〜〜!? そこは喜んでって首を縦に振るところじゃねえの?ぶっちゃけ」
「ネグロ団長……もっと断れないように言質を取る形で進めなければいけませんよ。あるいはもっと理路整然と、ひとまず待遇改善の話からしていきません?」
そうこうしていると今度は、外野も話に乗り込んできた。……ツィルハネ師団長だけでなくて、ユーリス秘書長官もグルとは勘弁してほしい。
「えぇ?ヴァイスうち来るの? 歓迎するぜ!」
イェシルはイェシルでよく分からないまま親指を立てているし……アカネに負担がまた増えるぞ。
唯一の救いは嫌そうに顔をしかめているポールだが、彼は彼で口を挟むことを早々に諦めているらしい。
「……はぁ。前途多難だな」
果たしてこの調子でヒロインに世界を救ってもらうことができるのか。いっそもう一度眠ってしまった方がいいかもしれないと思いながら、小さく口角をゆるめて空を仰いだ。
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