ドッグRun!Run!!Run!!! 1


「んー」


「……あのー」


「んーー」


 あたしのことなんて目に入っていないかのように、お婆ちゃん先生は子犬君の瞳を一層深く覗き込んだ。

 赤毛の子犬君達は、体を固くしてるけどそれでも大人しくしてくれてる。

 きっと利口な子なんだろうなぁ。



「んーーー」


「だから、あのー!」


「んまぁーー」


 お婆ちゃん先生が急に顔を上げるから、思わずあたしと子犬君は体を仰け反らせそうになる。というか、なった。


「もう、平気じゃろ」


「え、あ」


 お婆ちゃん先生はゆったりとした動きで診察用の椅子から立ち上がって、薬品棚の方に向かっていった。


「薬は効いとるようじゃし、呼気も安定しとる。もう命の危機は、ないと思うさね」


「本当ですか!」


「んー、多分」


「多分なんですか」


「あたしもこの学園に来てから長いけど、頭が三つある子は初めて診るかんねえ。正確なことは、言えないさね」


「そう、なんですか」


 お婆ちゃん先生が薬品棚を開けて、何かを引っ張り出す。新しいお薬でも出してくれるのかと思ったら、出てきたのは急須と湯呑だった。

 それも、一人分。


「まあ、心配ならもう一晩くらい着きっきりで見てあげればええ。それで、なんかあったらこの御婆のとこに来んさい。診てやるけんね」


「分かりました」


「ん」


 話は終わり、とでも言うように私に背を向けてお茶の準備をするお婆ちゃん先生。


「あの」


 きゅっと、子犬君のことを抱きしめて。


「また、ここに来てもいいですか。その問題が起きたら、とかじゃなくて、この子たちの、様子を見て貰いに、とか」


「んー」


 恐る恐る訊ねる私に。


「ダメ、さね」


 けど、お婆ちゃん先生はそんな風に答えた。


「ええかい、お嬢ちゃん。ここはね、冒険者のための学校さね」


 お茶を淹れながら、けど諭すようなその物言いに。


「寂しいんなら、仲間を作ることさね。こーんな老いぼれんとこ通うくらいなら、ね」


 私は、ちょっと自分が恥ずかしくなった。



「……見透かされちゃった」


 医務室から寮の部屋に戻る途中で、あたしは独り言のつもりで呟く。


「ガウゥ」

「ガウ!」

「……ガウ」


「あはは、慰めてくれてるの?」


 可愛い奴め。

 そんな風に思いながら、子犬君たちの頭を順番に撫でてあげる。


「けど、不思議」


 本当に、あたしの言ってること、分かってるみたい。


「君たちとお話できればいいのにね」


 けど多分、見透かされたのも、危惧されたのも、きっとそういう所。

 学園に馴染めないで、友達の一人も出来ない、そんな……。


「あのさ」


 不意に、背後から声が掛けられた。


(あ、う)


 聞き覚えのない声に、あたしはちょっと憂鬱な気分になって振り向く。


「へえ、そいつが」


 その人は不躾な視線を私に、正確には私が胸に抱いてる子犬君達に向けていた。


「あ、あの。なんですか。急に」


「ああ、失礼。僕の名前はアウル・マギアス。魔導科に在籍してる、君と同じ一年さ」


「…………」


「そう警戒しないでよ。別にナンパとかじゃないからさ」


 そう言うと、その人はニコっと人好きしそうな、あたしから見れば不快になる笑みを作った。

 多分、この人貴族側の人だ。

 魔導科にはそういう人が多いって聞くし、その態度とか、言葉の端々から出る雰囲気がそれっぽい。


「そいつでしょ?学園の端で拾われたっていう魔獣」


「……それ、どこで聞いたんですか」


 あたしの質問にも物怖じしない様子で、アウルさんは肩をすくめた。


「学園中で噂になってるんだよ。かなり珍しい魔獣を拾った生徒がいるってね。それで、僕もちょっと興味があってさ」


「……興味、っていうのは」


 あたしの恐る恐るの質問に、アウルさんはさも当然とばかりに言った。


「決まってるじゃん。そいつの、所有権についてだよ」


「所有権」


 あたしは、愕然とする。


「そんなの、あたし、聞いてない」


「ああ、そうなの?まあ、いいや。それでさ、よければそいつ譲ってくれない?」


「え?」


「勿論、きちんと謝礼は払うよ。今日まできちんと面倒見てくれたことだしね」


「そ、んな」


 言わなくちゃ。

 あたしが、折れる前に。


「この子たちを、物みたいに」


「……はぁ」


 露骨にため息を吐かれた。


「君さ、そんなこと言ってるけど、本当に分かってるの?」


「え?」


「そいつ正真正銘の魔獣だよ?」


「それは」


 あたしは、俯きそうになるのをなんとかこらえる。


「そんなこと、分かって……」


「本当に、分かってるの?」


 アウルさんはすっと、紫紺の瞳をあたしじゃなくて、あたしの腕の中の子達に向ける。


「そいつ今は大人しいかもしれないけど、ケガが治ったらさ、どうなるか分からないんだよ?急に暴れだしたりするかもしれないし、人を襲う可能性だってある」


「……!この子たちはそんな子じゃ!」


「そうは言うけどさ、根拠は?」


「え」


「口で言うだけなら簡単だよ。けど、そんなんじゃ本当になにか起きた時に、責任とか取れないでしょ。ああ、勿論、僕なら平気だよ。うちには調教のノウハウだってちゃんとあるからね。魔獣の躾なら、心得てる」


 怯んでるあたしに、アウルさんはそれに、と続けた。


「お金とか大丈夫な訳?」


 お金。

 その急な現実的な話にあたしは不意を打たれて、二の句が継げなくなる。


「今は君が保護してるだけだから治療費もエサ代だって学園が負担してくれてるけど、本当にそいつを飼うんならそれも君が支払うことになる。魔獣の維持費は、安くないよ?君みたいな一般入試組なら、なおさらね」


「あ、う」


 その時あたしの脳裏をよぎったのは家のことだった。

 お母さんに頼ることは出来ない。


「そうだね。お友達が欲しいっていうんなら、うちから一匹、きちんとしたのをプレゼントさせて貰うよ。もっと人に懐きやすくて手がかからない、使い魔として優秀な奴をさ」


 アウルさんは、あたしの肩に手を置いて、囁くような声で。


「まあ、考えておいてよ。君に損はさせないからさ。それでも、拒否するっていうんなら『学園』のルール通りにやらせて貰うつもりだから」


 そう言った。


(『学園』の、ルール)


 ここは冒険者の学校で、こういう時には。


『決闘』で物事を決めることも、ある。


 あたしは、身震いして、今度こそ下を向いてしまった。


「……参ったね、脅しに来たつもりじゃなかったんだけど」


 アウルさんはニコっと、またあの人好きするような笑みを顔に浮かべて。


「大丈夫、そんなことにはならないさ。そうだろ?」


 あたしは、はい、ともいいえ、とも言えなかった。


「まあ、返事は今すぐじゃなくてもいいよ。よく考えておいてね」


 そう言って、その人は学園の方に去っていく。

 あたしは、その背中を見送ることしか出来なかった。


「ウゥゥゥ!」

「ガウ!」

「……ワン」


 腕の中が、微かに揺れた。


「こら、そんなに唸ったり、睨んだりしないの」


 アウルさんに敵意をむき出しにしたみんなの背中に、あたしは顔を埋める。


「あの人、なにも間違ったことは、言ってないんだから」


『本当に、分かってるの?』


「言って、ないんだから」


 分かってるよ。

 そんなこと。

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