……ワンワン!!Oh……!! 4



「ああああああああああ!!」

「ぬおおおおおおおおお!!」

「…………………………!!


 ボクらが落ちた先は。


『ドボン!』


 幸運にも川だった。


「ご、ごぼ」


 流されながらも、岸まで、なんとか辿り着く。


「ハァ、ハァ」


「助かった、のである」


「……(グッタリ)」


 ギリギリだった。崖下が川になってなきゃ助からなかった。


「随分と、流されてしまってので、ある」


「と、にかく、街道に、戻らないと」


「……………………」


「レフトよ、それはいいのだが」


 一足先に呼吸を整えた兄者が。


「どっちに向かえば、いいのであるか?」


 そう、疑問の声を上げる。

 ボクは、答えることが出来なかった。

 その上。


「あ」

「ぬ」

「…」


 鼻先に当たる、ぴちゃん、という水の感触。

 さっきまで、そんな兆候、なかったのに。


「雨、なのである」


 状況は、最悪だって言えた。


 歩けど歩けど、街道に戻る気配はない。


「ハァ、ハァ」


 息が、苦しい。


 随分流されたことは確かだけど、それ以上に。


(ちゃんと呼吸が、できない)


 一歩進むごとに、体から何かが抜け落ちていく感覚がした。

 体に当たる水滴が、ボクらの体から体力を奪っていく。


「兄者……」


「そう心配そうな声を上げるな、レフト」


 兄者は、いつもの力強さをどこかに忘れてきたかのような声音で、それでもボクを勇気づけるように言った。


「これくらい、へっちゃらである。すぐに、町に着くのである」


「けど」


「大丈夫、である」


 そんなこと言ったって、兄者が限界なのは一目瞭然だった。

 そもそもボクたちは、同じ体を共有しているんだから。


「ぐ、ふ」


「兄者!!」


「すまぬ、レフト」


 とうとう、兄者の体力にも限界が来る。

 体から力が抜けていく。

 消耗しきった体は、いつしか疲労に耐え切れなくなって、最後には立ってもいられなくなって。

 泥にまみれるように、その場に倒れこむ。


(もう、これはもう、だめだ、きっと)


「ごめん」


 ボクは、涙を流しながら言う。

 人間界の空気に、この身体が合っていないってことは、知識としては知っていた。

 だけど。


「ごめん、兄者」


 こんな風になるなんて思わなかった。呼吸ひとつを上げるたびに、苦しさが重くのしかかってくる。雨に打たれて、四肢を投げ出すように倒れ伏して、あとは死を待つばかりといった風情のボクら。


「ボクが、ボクがあんなこと言い出さなきゃ、こんな、ことには」


 けど、ボクの後悔の言葉にも、兄者は満足そうに笑った。


「なに、気にすることなど、ないのである。兄弟の願いならば聞き届けるが、兄というものなのである」


 兄者はこんな身体でもいいと言っていたのに、オレの勝手な願望に付き合って、巻き込んで。


「そう悲しそうな顔をしなくてもよい。ライト兄弟も気にしてはいないのである」

「…………」


 兄者の言う通り、ライトも露骨にボクを恨みがましい目で見ることはなかった。

 ただぼそっと。


「……みんなで、決めた、ことだから」


 近くにいないと聞こえないくらいの小さな声で、そう言ったのが聞こえた。

 普段無口なくせに、こんなときだけそんなこと言うなんて。


「う、ぐ、ごめんよう、ライト」


 ボクは情けなさで死にたくなる思いだった。

 だけど、しかし。


「うむ、限界、である」


 兄者が、いつになく真剣な声で言う。


「意識が、朦朧としてきたのである。我は魔力を喰う量が兄弟よりも多いからな。ここ、までの、ようである」

「そんな、兄者」

「ではな兄弟。できれば、来世でも、いや、それは。難しい、か」


 兄者が目を瞑って、意識を完全に沈黙させる。


「ああ、兄者!兄者ぁぁぁぁ!!」


 ボクの呼びかけにも兄者はもう答えない。

 途端に、体の重さが増していく。

 兄者が受け持っていた負担が、ボクとライトにのしかかってきたのだ。


「……オレも、限界、だ」


「そんな、ライト」


 兄者の向こう側の首。

 ライトも、項垂れ、途切れ途切れに言葉を漏らす。


「……じゃあ、な。……オレも、お前らのことは、嫌いじゃ」


「そんなこと、いうなら、もっと」


 けど、言葉は帰ってこない。いつもの無視とは違う。

 もう、それきり、言葉も帰っては。


「う、うう、二人、とも」


 そして。体を支える二つの力が完全になくなる。

 ボクじゃあ。

 なにも持たずに生まれたボクじゃあ、もう。


(ああ)


 悲しい。また死んでしまうなんて。

 前とは違って、今度は、とても、悲しい。


(女神様)


 こんなに悲しいのなら、知りたくなかった、です。

 こっちの人生、いえ、魔獣生は、短かったけれど、騒がしくても、兄者たちのおかげで、明るくて。


(冷たいよ)


 雨は冷たく、ボクと身体を同じくする兄弟に降り注ぐ。


「くぅーん」


 ボクも力を失い、最後に、犬のように情けなく、弱々しい声を上げて、最後の時を祈りながら待つようにして。


 ピチャピチャと、足音が聞こえた。


「あ」


 そして、声、それから。


「こんなに、弱って」


 ぬくもり。

 誰かに抱きかかえられる浮遊感を覚えながら、ボクはかすかにその顔を見る。


(だ、れ、?)


 おぼろげながらボクの網膜が写したのは、一人の女の子だった。

 ボクはもう声も出せない。

 だから、鼻を鳴らして、こすりつけて、必死にお願いする。

 どうか、二人を助けてと。


「……生きようとしてるんだ」

 

(違う、違うよ)


 消えそうな意識の中で。


(ボクはどうなってもいいから、二人を助けてほしいんだ)


 それは同じ意味なのだと、そう気が付かないままで。

 ボクの意識は、真っ暗闇に落ちていった。

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