第9話

「姉には違いありませんから」


 その横顔に遠い日の記憶が蘇って来る。


「そういえば、妹がいるなんて…確か」


 ポツリ呟いた途端、「姉をご存じだったのですか?」と松原さんはやや切れ長の目を大きくさせた。


「友達としてだけどね。時々会ったりしてた」


「じゃ、もしかして姉がよくじゅんって話していたのは?」

「ああ。俺のことだよ」


 松原さんには苗字しか話していない。こんな偶然があるのかときっと思ったはずだ。しばらく松原さんは黙ったまま俯いていた。そして、重そうな口調で語り始めた。


「あの頃、私も付き合っている人が居たんです。結婚しようなんて話まで行っていたんですが、事件が起こってすぐに分かったんでしょうね。破談になって…。同じ苗字でしたからね。当時、姉は一人で別のところに住んでいたんですが、こんな街ですからどこの誰だなんてことは。そのうち私の家にも嫌がらせの電話や張り紙とか、石を投げられてガラスが割れたなんてことも一度や二度じゃありません。夫婦仲もぎくしゃくして父親は出て行きました。母親と私も逃げるように引っ越しました。松原というのは母親の旧姓なんです」


「そうでしたか…」


 つい絞り出すような声になってしまった。とても明るく励ますなんてことは出来ない。一人の悪さによって一家が滅茶苦茶になる。時々耳にする話だ。そんな張本人も今は居ない。集団強姦教唆で事情聴取をしたが任意だったため一旦帰宅し、村上聡子はその後自殺した。


「前に八神さんはご自身のことを疫病神だなんておっしゃいましたけど、私の方こそ疫病神です」


「いや、それは違います。それにもうあの事件は終わっているんですから」


 言い終わるか終わらないかのうちに松原さんは走り出していた。あとを追うことも出来ず俺はその後ろ姿をぼんやり見つめていた。なんという因果な巡り合わせだろうか。改めて人の縁とは不思議なものだと痛感せざるを得なかった。


 もう会うこともない。これは俺の勘だ。


 しかし、このままでは後味が悪過ぎる。何度かメッセージを送り電話も掛けたが繋がることも返信もなかった。ひと月などという時間はあっという間に過ぎて行った。




 夏本番を迎えたある日のこと。


 気晴らしに買い物でもしようとあまり立ち寄らない郊外のショッピングセンターに出掛けた。結局のところ、ウロウロ歩くだけで何も手にせず建物から出た俺は、外の喫煙コーナーで煙草に火を点けた。大きく吐き出した紫煙が青い空に舞って行く。ものの数分だというのに温度差があるのだろう。額にはうっすらと汗が滲み始めている。


 掌で汗を拭った時だった。ポケットから着信音が聞こえた。液晶に表示された名前を見て俺はすぐさまスマホを耳へ押し当てた。


「もしもし―――」


 片耳に意識を集中するのと妙な気配を感じたのはほぼ同時だった。気配は二つ。そう感じとった瞬間、俺の身体は何かに弾き飛ばされていた。直後、周囲に衝撃音が響き渡る。

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