理想的な部屋

浬由有 杳

お題「住宅の内見」

 まさに理想的な場所いえに思えた。


 海沿いの高台に建つ高層マンションの一室。


 駅から徒歩10分。駅前にはスーパーにドラッグストア。コンビニもある。

 新築ではないが、通勤にも買い物にも便利な立地。

 部屋は改装済みで、新品のフローリングにシステムキッチン。

 防音も完璧だ。


 2LDKの賃貸マンションとしては上等な部類だろう。

 提示された賃貸料で住める場所ではない。


「ご存じとは思いますが。ベランダは使用できません。事故が起こるといけませんので」


 妙におどおどした管理人の言葉に、彼は笑顔で答えた。


「承知してます。フェンスの修理中なんですよね?」


 そう。それがこの部屋が格安で借りられる理由だ。


「絶対にベランダには出ないでください。危険ですから」


「もちろんです」


 確かに、万が一落下すれば、即死なのは間違いない。


「こんなに安く、この部屋が借りられるなんて。妻も喜びます」


 部屋が狭いだとか、買い物に不便だとか、文句ばかり言っているあの女は、本当に大喜びするだろう。


 3年もいい夫を演じてきた。妻の性格はよく知っている。


 少し焚きつけてやれば、ベランダからの景色を見ようとするはずだ。

 たとえ、自分が反対しても。

 いや、反対すればムキになって。


 妻がここですれば、漸く遺産が手に入る。



 所用で管理人が場を外した隙に、ベランダへ通じるガラス戸に触れてみた。


 驚くほど簡単に開いた。


 不用心なことだ。

 まあ、好都合だが。


 靴下のままベランダに出る。


 青ビニールをめくると、ボロボロと化した錆びた鉄筋。


 ひどいな。

 潮風のせいか?


 落下防止柵の高さを確かめる。


 不自然じゃないくらいに身を乗り出させるには…

 そうだな。踏み台になりそうな小テーブルでも置くか。


 柵の隙間から下を覗いたその時…


 白い手が彼の腕をぐいっと掴んだ。



開け放たれた、はめ殺しの戸。ヒビが入った、フェンス。

もう何度目の事故だろう?


警察に事故を告げる老人かんりにんの声は震えていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

理想的な部屋 浬由有 杳 @HarukaRiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ