episode35 海底資源

 


 ――食堂を後にした後。



「なぁ、俺ローレルリングさんを怒らせるようなことしたかな」


「どうした急に」



 研究棟最下層のラボ・マネジメント・フロアの自室で現在の掘削進行状況と翌日の予定を確認しつつも、来訪したエリオットとレイに悩みを打ち明けた。



「お前もラボの前で見たろ? ローレルリングさんがカミカミで俺に挨拶したところ」


「ああ、えらく緊張した面持ちだったな」



 エリオットも警戒ではなく緊張していると受け取っているようだ。



「やっぱ緊張されてんのかな……俺は警戒されてると思ってた」


「警戒……ではないと思います。天才と称される方とお会いするのですから緊張してもおかしくはないと思いますよ」


「レイもそんなこと言うのか……」



 レイからも天才を相手にするのだからと言われるとやはりそうなのか。


 うーん……なんか複雑な気持ちだ。


 俺がやってるのは前世地球で作られていた乗り物や道具達を模倣しているにすぎない。


 そりゃ、俺だって一から作れて運用できたことは嬉しいよ?


 でも、なんだろうか。この世界の人達にとっては世界初だから賞賛するんだろうが、俺からすれば前世の後追い。


 この気持ちの乖離が俺にとってすごくむず痒い。



「世界初の深海……しかも6500m到達。加えて海底には魔石の砂があることや燃える氷、全ての生物の共通祖先である微生物の発見と世界初を矢継ぎ早に成し遂げているのだから、天才と言わずしてなんと言う?」


「最後の奴はまだ見つけてない」



 超好熱メタン菌はLUCAかも? っていうだけだ。



「まぁ、なんだ。そんな相手なのだから緊張もする。私も最初に会った時、緊張したぞ?」


「えぇ〜、ウッソだぁ」



 普っ通に話してたじゃないの。



「本当だとも。それを隠し通せていなければ外交などで下に見られるからな。王位継承権は低くとも一国の王子として必須のスキルだ」


「それもそうか」



 言われてみれば当たり前だった。



「でもそんなのは向こうも一緒なんじゃないか?」


「そうだな……私は立場があるが、あちらはまだ修道女扱いだ。だからそういった外交的スキルの習得はまだなのかもしれん」


「なるほどな、それならわかる」



 確かに説明じゃあローレルリングは優秀な修道女に与えられる称号ってことだったな。


 教皇の側近となる聖女の座に一番近いと言われてるらしいが、それでも今はまだローレルリングってだけ。


 なら緊張を隠して相手と接する練習や教育がされてなくてもおかしくないか。



「ですが殿下。ユースティアナ様は既に教皇猊下と共に外遊されていると聞いていますよ」


「ほな違うかぁ」



 レイの言ったことに対してミルク少年になってしまった。


 外交してるやないか。



「じゃあ、なんで俺、あんなに緊張されるの?」



 ってなわけで振り出しに戻る。



「だから天才を相手にしているから、ではダメなのか?」



 堂々巡りじゃねぇか。


 認めたくはないけど、皆が言う「天才相手だから緊張してる」ってことで今は締めとくか。



「まぁ、そういうことにしておくか。そのうち慣れてくれるだろうし」



 この数日で多少は慣れてほしいなぁ。



 ――


 ――


 ――



「お、おはようごじゃいます!!」


「おはようございます……」



 ローレルリングさんから甘噛みで挨拶された。


 その後ろにはお世話係の方がいらっしゃるが、まだ緊張は解かれていないようだ。


 今、俺は食堂の席に着いているのだが、昨日の夕食時と違ってまだ食べている最中。


 席を外すことができない状態だが、どうする?



「席、ご一緒させて……いただいても?」


「どうぞ」



 今回初めて噛まずに言葉を紡いでくれた。


 ってか緊張する相手と食事の席を共にするって結構すごいことだと思うけど、この人割と根性あるのかな?



「……」


「……」



 黙々と食事を口にしていく。


 何か話すべき?


 それとも食事の席は黙々と食べていくべき?


 うーん……わからん。



「こ、ここの食事は美味しいですね。優秀な料理人を雇われているんですね」


「はい。おかげで毎日食べすぎてしまうくらいですよ。船の上で運動もろくにできないのに」


「あら、本当ですね。私も気をつけなくちゃ」



 くすくすと可愛らしく微笑むローレルリングさん。


 よかった。少しはほぐれてきたかな。噛んでないし。



「昨日はラボを少し見ただけだと思いますが、いかがですか? 掘削船アルカイムは」


「素晴らしい船です。設備も充実していて、ベッドもふかふかで……揺れもないのでぐっすり眠れました」


「左様でございましたか」



 この船マジで揺れないからな。


 波高4.5mでも垂平保って掘削できるよう設計してるからそんじょそこらの波では揺れもしない。



「今までこんなに快適な船旅をしたことはないので本当に私は船の中にいるの? と疑ってしまうくらいでした」


「そうですか。ただまぁ、現在掘削作業中ですので船は一切動いていませんから、船旅……と言っていいかどうか」


「そうですね。うっかりです」



 そう言ってまた柔らかく笑う。


 よかった。本当に緊張がほぐれたようだ。


 安心した俺はふと天井から下ろされているモニターを見やる。


 そこには掘削口のテレメトリーデータが表示されていた。



「それで……ですね。アーサー様? よろしければ今日のご案内を――」


「来た!!」


「ふぇ?」



 ローレルリングさんになんか言われた気がするけどちょっとお待ちを。


 多分、そろそろ――



『主席研究員アーサー・クレイヴス! 至急ドリラーズハウスへ!! 繰り返す――』



 船内アナウンスが流れた。


 食器を片付けようとトレイに手を伸ばす。


 が、それは横からやってきた誰かに奪われた。



「ほら、片付けは私がやっておくから。早く行きなさい」


「助かる! ありがとう、シャーリー!!」



 それはシャーリーであった。


 片付けをしてくれるってんならありがたい。


 俺はお言葉に甘えてドリラーズハウスへ向かった。











 ◆










「……」



 出口へと駆け出し、颯爽と出ていったアーサーを唖然として見送るユースティアナ。


 その様子を見て、シャーリーは呆れたため息を吐き、トレイを返却した後、先ほどまでアーサーが座っていた椅子に座った。



「ティア、さっきアーサーに船内を案内してもらおうとしたでしょ」


「えっ!? その……はい」


「もう……あいつはこの船の主席研究員なんだからそんな暇あるわけないでしょ。私で我慢しなさい」


「うぅ……」



 早計だったと反省し、縮こまるユースティアナであった。











 ◆










「――様子は!?」



 ドリラーズハウスに着いて開口一番に掘削口の状態を確認する。


 するとモニターを凝視していたマシューさんがこちらに向き説明してくれた。



「圧力が徐々に高くなっています。恐らく掘削深度から考えて、帽岩に差し掛かっているものと考えています」


「やっぱりそうですか」



 テレメトリーからもそうかな? と思っていたがマシューさんからそう言われると自信が付く。


 しかし、油断は禁物だ。



「もしかしたら一気に硫化水素が噴き出す可能性もあります。警戒を厳にして作業を継続してください」


「わかりました」



 さぁ、どうなる?


 エリクサーが出るか、それとも石油が出るか。


 前世の科学掘削船「ちきゅう」は石油掘削に携わってはいなかった。


 だが、今世では海洋掘削ができるのはこのアルカイムのみとなった以上、なんでも掘ってもらわないと。


 一応フレアスタックも用意してるし。


 ちなみにフレアスタックとは、前世の海洋石油プラントとかでよく見る炎の出ているアレのことである。


 あれは石油がある空洞に溜まっている気化したガスを燃やしている。


 そうすることで機械から発生する熱などで発火し、爆発するのを防いでいるのだ。



 ――数時間後。



 さすがは帽岩、硬い!!


 掘り進める速度がガクンと落ち、目的の深度までかなり時間がかかっていた。


 しかし――



「あと少し……」



 それもあと数mというところまで差し迫った。


 ゆっくり慎重に進めること数十分。


 テレメトリーに変化があった。


 ドリルビットにかかっていた圧力が一気にガクンと落ちたのだ。



「っ!? 来た!?」


「そのようです。硫化水素の濃度チェック! ドリラーズ総員待機!!」



 マシューさんが硫化水素の濃度を確認する為に人員を外に送り出す。


 顔全面を覆うガスマスクと空気を送るタンクを背負った二人の作業員がドリルパイプへ近づいていく。


 硫化水素探知用魔道具をパイプ周りやパイプ内部へと向けていき、やがて全てのチェックを終えると、俺達のいるドリラーズハウスへ向けて腕を使って大きく丸を描いた。


 問題なしを示すサインだ。



「早速汲み上げてみましょう」


「了解です。サブマーシブルポンプ用意!!」



 海洋石油プラントでよく利用されるサブマーシブルポンプ方式。


 これは単純に海底まで伸びたパイプの中にポンプを沈めて中から汲み上げる方法で、海上石油プラントでは主流の汲み上げ方法だ。


 ドリルパイプ内部にポンプを投入し、目標深度に到達したことを確認した。



「通りましたね。やりましょう」


「はい。ポンプ駆動!!」



 マシューさんの号令でポンプが動き出す。


 海底約1600m、海底下約2300mの約3900m下から汲み上げる為、時間がかかる。


 そもそも、海底に眠るエリクサーが水っぽいのか粘度をもつ油みたいなものなのかまだわからない。


 粘度が高い場合はより時間がかかるが……



「そろそろ上がりそうです」


「思ってたより早いですね」



 なんて考えてたらもう登ってきたらしい。


 さて、どんなのが来るかな?


 しばらくするとポンプの先から虹色の液体がジャバジャバと出てきた。


 どう見ても石油じゃない。エリクサーだ。


 だが、以前、研究室で実験に使っていたエリクサーよりも色が濃い。


 これがフレッシュな状態だからなのか、それとも違うのか。


 とにかく調べるしかない。


 汲み上げられたエリクサーをビーカーに移し、大急ぎでパイプトランスファーシステムのキャットウォークを早歩きで渡り、カッティングフロアから二階下のラボ・ストリート・デッキへ向かう。


 その道中、ラボ・プロセッシング・フロアにいたシャーリーとローレルリングさんとそのお付きの人に出会でくわした。



「あっ、アーサー。見てたわよ、エリクサー採取おめでとう」


「おめでとうございます。そちらが地下から汲み上げたエリクサーですか?」



 シャーリーとローレルリングさんから賛辞が送られた。



「そうです。これから電子顕微鏡で見てみようと思いまして」


「まぁ! 電子顕微鏡ですか! 私の実家の魔道具がこの船にあるのですね!!」


「はい。非常に重宝しております」



 自身の家の商品が使われていることが嬉しかったのだろう。


 それが表情から見てとれた。



「……ところで、アーサー? 早く行かなくていいの?」


「ああ、そうだった。……見ます?」


「よろしいのですか!?」



 シャーリーに言われて目的を思い出す。


 その時、ローレルリングさんに対してビーカーを持ち上げて見せ、電子顕微鏡で見てみるか聞いてみた。


 結構乗り気のようである。



「じゃあ、行きましょうか」



 というわけでシャーリーとローレルリングさんとそのお付きの人と共にラボ・ストリート・デッキへ。


 その一室にある電子顕微鏡に向かい、準備を始めた。


 この船にある電子顕微鏡はタイプとしては透過型電子顕微鏡と呼ばれるタイプで静電レンズ式と呼ばれる型を導入している。


 というか、構造がシンプルな分、すぐに開発に取り掛れそうなのがこのタイプだったというだけなんだけど……



「最初から電子顕微鏡で観測するんですね……顕微鏡じゃダメなんですか?」


「実はもう見てるんです。ですが分解能がどうしても低くて、ただの虹色に輝く粒が見えただけでした」



 通常の顕微鏡……光学顕微鏡はレンズ性能をどれだけ高めても100nmナノメートルが限界だ。


 これは光の波長の限界がそれだからである。


 しかし、電子顕微鏡に使われるのは光じゃなく電子。


 それを使った場合は0.1nmまで分解能を上げることができる。


 この透過型電子顕微鏡の他にもう一つ走査型電子顕微鏡というものもあり、透過型はサンプルの内面、走査型は表面を見るのに優れている。


 前世ではウィルスなどの画像は透過型で撮影されたものがTVなどで出され、髪のキューティクルとかの画像は走査型で撮影されたものが使われていた。



「そうなんですね……でも虹色に光る粒も見てみたいです」


「では、見てみますか? 顕微鏡もありますので」


「いいんですか!?」


「ええ。シャーリー、頼む」



 ビーカーからシャーレにエリクサーをスポイトで移すと、それをシャーリーに渡した。


 電子顕微鏡はサンプルをセットするのに時間がかかるから、手が離せない。


 だからここはシャーリーに任せよう。



「わかった。机にあるやつ使ってもいい?」


「いいぞ」


「ありがと。ほら行くよ、ティア」


「むぅ……」



 見たいと言っていたローレルリングさんだが、何故かむくれ顔だ。


 なんだ? 何かいけないことを俺はしてしまったのか?


 何がいけなかったのか、少しビクビクして考えながらも俺は電子顕微鏡の準備を進めた。

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