episode.9 悩みごと

 ――二週間が経った頃。



 長閑な昼下がりだった。すっかり此処での暮らしに慣れ始めていたリラは、広い屋敷を散策するついでに、ふらりと厨房を覗いてみる。雑然とした厨房の中にぽつりと人影がある。


「…………しよう、どうしよう」

 小声でぶつぶつと呟きながら、パトリックが頭を抱えていた。



「どうしたの?」

 リラは入り口から声をかけてみる。しかし彼の耳に届いている様子はない。何度か声をかけてみるが、彼がリラに気付く気配は一向にない。


 右往左往している彼に近づき、顔を覗き込むようにして再度声をかけた。

「ねえ、どうしたの?」

「ひゃあ!」

 化け物でも見たかのような声を出して、パトリックはその場から飛び退いた。

「……そんなに驚かれると、少し傷つくのだけど?」

「あっ、ごめんなさい……!」


 パトリックは急いでリラに頭を下げた。

「それで、何を困っていたの? さっきからずっと上の空じゃない」

「えっと……。あのですね。なんというか……」

 パトリックは話しづらそうにしている。その背に何かを隠しているようだ。リラが彼の左側から背後を覗き込もうとすると、彼も体を左に向け、覗かれまいと必死に背中にあるものを隠す。反対側から覗き込もうとするが同様だ。リラは呆れながら顔をむくれさせる。

「もう。埒があかないわ」

 パトリックが裏返った声を上げる。

「……どうか、シェフには言わないでいただけませんか!」

「何かわからないけど分かったわ。約束する」

 リラの返事を聞いたパトリックは恐る恐るその場を退いた。



 彼の背後には一つの鍋が置かれていた。リラはその中身を覗き込む。

「あら。ただの美味しそうなスープじゃない。そんなに必死になって隠す理由が分からないわ」

「見た目は美味しそうなんだけど……」

 パトリックは言葉に詰まった。

「なるほど。味が良くないのね」

「そんなにはっきり言われると傷付きますが!」


 リラは鍋の近くにあった小皿を一つ取り、スープを少し注ぐ。

「え! やめておいた方が」

 制止しようとあわあわしているパトリックを無視して、リラは小皿に口を付けた。スープを味わい、ゆっくりと口を開く。

「……これは美味しくないわね」

「だから言ったじゃないですか! なんで飲んだんですか!」

 パトリックが騒いでいる。小皿を机の上に置き、急に動きを止めたリラの様子を見て、パトリックは一層騒ぎ始めた。

「え、大丈夫ですか!? 僕、変なものは一つも入れてませんよ?」

「落ち着いて。それは分かってるわ」

 

 リラはパトリックに向き直る。

「これを飲んだ時、初めに貴方はどう思ったの? パトリック」

「どう……? 苦い、です」

 パトリックは困惑している。表情がコロコロと変わって忙しい。

「そうね。私も同感よ。どうして苦くなったと思う?」

「……わかりません」

「原因は野菜の灰汁よ。きちんと下処理を済ませておかないと、こんな風に苦くなってしまうの」

「あっ……。心当たりがあります」

「そうでしょう。じゃあ、此処からが本題ね。どうやってこれを美味しくするかを考えましょうか」

 パトリックはしょんぼりとしていたかと思えば、今度はゾッとした顔をする。表情がころころと変わって忙しい。

「それは無理ですよ! 美味しくなんて絶対ならない。僕、今日やっと初めてシェフから一人で調理を任せてもらえたんです。それなのに、こんなものお出ししたら何を言われるか……」

「まだ何もしていないのにどうして諦めるの? このまま捨ててしまうなんて、折角ここまで作ったのに勿体無いじゃない。何としてでも食べられるようにしてあげる」


 リラはスープを分析していく。

 塩味は丁度いい。灰汁が出てはいるが、野菜の旨味は十分に出ている。肉の臭みが出ているわけでもない。味付けが薄すぎるわけでも濃すぎるわけでもない。ならばどうしようか。



「ねえ、パトリック。買い出しに行ってきてくれない?」

「はい! 分かりました!」




 一時間後。


「……美味しい!」


 スープを飲んだパトリックが喜びの声をあげる。続いてリラもスープを飲んでみる。

「うん。なんとかそれなりにはなったんじゃないかしら」

「それなり? すごく美味しいじゃないですか! まさかトマトやハーブを入れるだけでこんなに味が変わるなんて。ありがとうございます! これで夕食にお出しできそうだ」

「そうね。そうなのだけれど……」

 初めの状態と比べると格段に美味しくなっており、確かに食べられる味にはなった。しかし、完全に灰汁を感じなくすることはできていない。キャッキャと喜んでいるパトリックとは対に、リラの中には一抹の不安が引っかかっていた。

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