episode.11 忘れ物

 

 それから更に一ヶ月程が経った、ある日のことだった。


 食事の時間、毎日のように顔を合わせているお陰か、少しずつではあるがノアと会話をする時間が長くなってきていた。いつもリラの身の回りの世話をしてくれているメイドをはじめ、屋敷の人達とも慣れ親しみ始めていた。



 リラがリオンにお茶を淹れてもらっていると、突如メイドがバタバタと部屋に入ってきた。肩で息を切っており、ひどい慌てようである。


「リオン様!」

 彼は呆れて溜息をついた。

「ごちゃごちゃとしたことを言うのは好きではないが、流石に今のは看過してやれないな」

「申し訳ございません……」

 我に返ったメイドはしゅんとしている。リラは自分よりもまだ年齢が下だと見える彼女が可哀想になった。

「まあ良いじゃないですか。どうしたの? リオン様に急ぎの用があったのでしょう?」

「はい……」

「ほら。急ぎの用、らしいですよ?」

 大袈裟に強調し、茶化すようにリオンを見る。彼は苦い物でも飲み込んだ後のように渋い顔をした。

「用件を聞こう」

 メイドは手に持っていた書類をおずおずと差し出す。それは薄い束になっていた。

「旦那様の執務室をお掃除している時に、机の上に置かれたままになっているのを見つけて……」

 メイドは言いづらそうに言葉を切った。書類を受け取ったリオンは、パラパラと紙を捲り全体にざっと目を通すと、憂気に息を吐く。

「はあ。このようなものを置いて行くとは……」

 リラは尋ねる。

「大切な書類なんですか?」

「ええ。とても」

 リオンは上の空な返事を返した。新たに仕事が増えたため、今後の予定を変更する段取りを考えているのだろう。

「閣下はお仕事に行かれたのですか?」

「ええ」

「私、届けますよ?」

「ええ。…………はい?」

 頓狂な声をあげたリオンはメイドと同時にリラを見た。

「お二人はこの後の予定がおありなのでしょう? 変わって私がお届けに参ります」

「そういう訳には」

 渋る彼にリラは微笑み、書類を渡せと言わんばかりに両手を伸ばす。

「いえいえ。お任せ下さい。私がきちんとお届けして参ります」



「本当にお一人で?」

 メイドの申し出を断り、自分一人で身支度も整えたリラは馬車に乗り込む。外に出るのは久々な気がして、どこか気持ちが浮き立っている。

「はい。今、手が空いているのは私だけですし」

「貴女の行動力にはしばしば驚かされるものがあります。……では」

 上着に手を突っ込んだリオンは徐に徽章を取り出し、リラに渡す。帝国旗に用いられている物と同じ鷹のモチーフが、ホワイトゴールドの台座の中に閉じ込められている。大きく翼を開いた鷹は雄々しく、今にも空に向かって高く飛び立ちそうだ。

「入り口でこちらの徽章をお見せになってください。そうすればすぐに中に入れますので。ではよろしくお願いします」

 小さな徽章をハンカチで包み、肩に掛けているカバンの中に大切にしまった。

「はい!」

「道中お気を付けて」

 リオンは恭しく礼をする。扉が閉まると、間も無く馬車が動き出す。リラ一人を乗せるには些か広過ぎる気もしたが、折角なので座席を存分に贅沢に使わせて貰うことにする。ふと窓から邸宅を振り返ると、馬車が見えなくなるまでリオンは頭を下げ続けていた。



「着きましたよ」

 御者が馬車の扉を開ける。

「ありがとうございます」

 御者の手を借り、馬車の外に出たリラは堅牢な建物の前に足を下ろした。


「わあ……」



 背後に立つ白亜の皇城。皇城を守るように聳え立つ帝国の要――。



 石造りの騎士団の建物は堂々たる気風で溢れ、上では華やかな赤い帝国旗が風にはためいている。どの方向から攻撃されようとも、抜け目なく設計された厳格な美を崩すことは出来ないだろう。強大な権力を持つ帝国の威光を前に、自然と姿勢を正したリラは封筒に入れた書類を胸に抱えながら建物に向かって歩く。

 入り口に立っていた騎士に渡された徽章を見せると、リオンが言っていた通りすんなりと中に通してくれた。



 温かい外とは変わって、建物の中は冷えた空気で満ちていた。中に入れたのはいいものの、長い廊下が続いており、あちらこちらに扉がある。人の気配が全く感じられない廊下を歩く自分の靴音だけが反響している。まるで出口が見えない迷路に置き去りにされたようだ。果たしてどの方角へ行けばいいものかも分からない。

「入り口で場所を聞いておくべきだったわね……」

 心細くなってきたリラが入り口に引き返そうとした時だった。


「お嬢様?」


 後ろから柔らかい声が掛かる。リラが振り返ると、そこには見覚えがある顔があった。

「ルージュ様!」

 ひょっこりと現れた救世主に目を輝かせているリラに、彼は不思議そうな顔で近づいてきた。


「人の気配がしたので来てみたんですが、どうしてお嬢様がこんな所にいらっしゃるのですか?」

「伯爵様にこちらの書類をお届けに参ったのですが、どこに行けばお会い出来るのか分からなくて……」

「ああ、なるほど! この建物、構造がややこしいですよね。僕も入ったばかりの頃はよく迷ったものですよ。ノアは……、確か今は訓練の最中だと思いますね。時間はお有りですか?」

 リラが頷くと、彼は言う。


「お急ぎで無ければ、ここまで足を運んで頂いたついでに、訓練でもご覧になっていきませんか?」




──────────────────────────────────

【あとがき】

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