第8話 密室でふたりは「ぶつけあう」
「なんだかわくわくしてくるね」
ヤンデレ属性の瑠璃子さんのために、完全な密室に閉じ込められてしまった。
危機管理の「き」の字もない。
原作を知っているから、と高をくくっていた。窮地に陥っても、原作以上に悲惨にはならない。知っていれば、恐れることはないと。
現実は違った。
この世界が原作そのままである保証はない。実際、主人公がモブのようになっている。三大美少女に神奈という謎人物が足されている。
そして、この密室だ。
鼓動が早くなっている。恋心ではない。生命の危機に瀕しているためだ。
ヤンデレに刃物を持たせても危ない。
ヤンデレに密室は、刃物同等に危ない。
部屋という仕切りによって、ふたりだけの空間を作り出す。
独占欲の強いタイプであれば、この状況がいかに至上か。いうまでもない。
「わくわく、ね」
「全然うれしそうじゃないよ? 一緒に登校したり、ご飯を食べたりしたときの方が幸せそうだったのに」
「訳もわからず密室に閉じ込められ、恐怖を抱かないほうがおかしい」
「それが私でも?」
「瑠璃子さんだからこそ、ってのもある」
君の本性がとんでもないと、原作で知っているからね、などとはいえない。
最悪の結果になってしまった。
化けの皮さえ剥がれなければ、俺はいっときの幸せを享受できたのに、
ヤンデレ発覚が転生初日。リアル・タイム・アタックで上位を狙えるだろう。
ここまでやすやすと釣られた俺も馬鹿だった。それでも、この後はどうにか動かなくては。
同じ轍は踏みたくない。ともかく、密室から出よう。
「私は明くる日も明くる日も、一誠くんに想いを馳せてたんだ」
「そこまで俺に惹かれるところがあったのだろうか」
「君は私を受け入れられる『器』だから。溶岩のように燃えたぎる思いを受け入れられる器は、君以外には存在しない」
「耐性があれば、俺以外でもいいってこと?」
瑠璃子さんは全力で首を横に振った。
「それは違うの!」
「お、おう」
「私は長い洞察を経て気づいた。本当は一誠くんしかいないのだと」
ここまでの調べ上げっぷりだと、他の生徒に関する情報もしっかり入ってくるだろう。
であれば、真剣に迷った結果、この結論に至りました、ってのもいちおう頷ける。
「きょうの、ひと味違った一誠くんを見て、私も当初の計画を変更したの」
「まじすか」
「ありていにいうと、直感」
「フィーリングで動くタイプだったか」
会話を続けながらも、思考は止めない。
密室を出る手段は限られている。
その一。鍵を見つけること。
他の場所は、カードをかざして入った。この部屋専用のもの、もしくはマスターキーがあってもおかしくはない。
その二。時間切れを待つこと。
瑠璃子さんは、強制ロックが掛かるのは十分といっていた。それまで他愛もない会話を続ける。
その三。強行突破。
やむにやまれなくなったら、物理攻撃に出るしかない。部屋を突き破り、出ていくのだ。あまり行使したくないし、壁や扉の強度を踏まえると、現実的ではない。
おそらく、時間切れを待つのが無難だ。
「一誠くんと出会ってから、私の人生は満たされてる。周りには優等生という
この世界の俺が、そう思わせてしまう振る舞いをしていたわけだ。
そんなの、瑠璃子さんの思い描いた幻想に過ぎない。ここにいるのは、ヤンデレで手痛い思いをして、ある程度警戒心を抱いている男だ。
「間違っているよ、瑠璃子さん」
そうかな、という返事を受けて、俺は続けた。
「俺は瑠璃子さんが思うような器じゃあない。最初はよくても、途中でひび割れて砕けてしまう、脆い器だ」
「どんな器だって、壊れるリスクはつきまとう。でも、大事に扱えば、永遠に近い年月でも使える」
「それは詭弁だ」
「かもしれない。それでも、私は一誠くんに賭けてるの」
瑠璃子さんには覚悟が据わっている。俺を密室に閉じ込めてまで、語り合おうという覚悟が。
「お願い。私の一誠くんになってほしいの」
俺には覚悟があるだろうか?
ヤンデレを全力回避するという意志が。皐月というヤンデレに殺された前世を無駄にしないという覚悟が。
改めて思う。足りていない。
だから!
「断る」
「え、なんで!?」
「誓ったんだ。同じ過ちを繰り返さないと。危うく流されるところだったが、瑠璃子さんのおかげで思い出せた」
「あれっ? 違う、違うよ。話が違うよ」
明らかに動揺を見せた瑠璃子さん。こちらのペースに持っていけるかもしれない。
「正直、瑠璃子さんのかわいさに惚れそうになった。だけど、ヤンデレはダメなんだ」
「そんな!? 私は君を救いたくて仕方がないんだよ!?」
「救うって、救われたいのは瑠璃子さんだ。『器』の話でいうなら、掬われるのも瑠璃子さんの方だよ」
「く、悔しいけど若干うまいかも」
俺が覚悟を示した途端、瑠璃子さんの方が狼狽え始めた。
完璧を装う優等生、瑠璃子さんの印象とは大きく外れた、ポンコツなところが露呈したような、そんな感じだ。
「以上をもって、俺は瑠璃子さんに屈することはなく、志を持ち直すわけだ」
「おかしい? どうして? いまさら色仕掛けでも……いや、たぶんダメ……」
予期せぬエラーを受けて、もはや瑠璃子さんは壊れかけていた。
当人もそれを意識したようで、いったんゆったりと呼吸をして、雑念を払っていた。
「……失礼。取り乱してしまったみたい。今回は私の負けみたい。認めるしかないようね」
「なら、今後はクラスメイトとして――」
「ただっ」
「?」
ゆっくりとこちらに近づいてくる。耳元に口が接近する。
「絶対に一誠くんのこと、堕とすから♡」
囁きは、しっとりとした質感があった。ぞわぞわとあたたかさが、耳の中に残留している。
あまりにも唐突な囁きに、頭がポワポワしてしまった。
我に返ったのは、扉の解錠音がしたタイミングだ。
「今回は叶わなかったけど」
「ああ」
「次回、この『とっておきの部屋』に来ることになったら。そのときは、覚悟しておいてね?」
あちらの覚悟も相当の物で、こちらの反発にも折れないらしかった。
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