Xをもとめよ

@puei

Xをもとめよ

 過去の記憶は忘れてしまう。それがたとえ自分にとって大きな出来事だったとしても、細かなディテールは抜け落ちるものだ。しかし、抜け落ちたディテールは大きな出来事を意図して思い出そうとした時、共についてくる。過去を思い出すという行為は、落として散らばったパズルをもう一度直す作業とよく似ている、と俺は感じる。過去に完成したパズルは、部屋に飾りよく視界に入る場所に置いたとしても、細部まで見直す機会はあまりない。しかし、落とし散らばったパズルを直すためには、そのパズルと改めて向き合うことになる。そこで再び、自分がパズルのどこを気に入り、時間をかけ完成させたかを感じる。そんな時俺は、暖かく少し切ない気分になる。これが世間一般で言う"懐かしい"なのだろう。

 1000ピースパズルを床にぶちまけ、気を紛らわす為にそんなことを考えていた。数時間かけて部屋のどこかへお出かけしてしまったピースたちを探し回り、完成図をインターネットで漁り、今に至る。大学から疲れて帰り、鍵を置こうとした際このパズルに手が当たり、このザマである。何故鍵置きを離れたところに置かなかったのだ、と過去の自分を小一時間問い詰めたい。

 半泣きでパズルを直していると、ふいにドアチャイムが鳴り響いた。現在時刻は21:00。こんな夜遅く、一人暮らしのボッチ大学生に用があるやつなんて居るのだろうか。疑問に思いながらも疲れた体をのそのそと動かし、覗き穴を恐る恐る覗く。一応、手には食塩と水入り1Lペットボトルを持っておいた。だが目を合わせたら一発アウトな相手だったらまずいかもしれない、なんて考えは相手を見て一瞬で消え去った。暗くて見づらいが紺色の帽子、紺色の服。明らかに警察である。何かしでかしたのか、と頭を回そうとするが驚きと恐怖で何も考えられない。暫く立ち尽くしていると、現実へ引き戻すように大きなチャイムの音が部屋に響いた。

 とにかく、なにかしていようがしていまいがドアを開けて話をしなければならない。足どころか全身が産まれたての子鹿のように震えながらも、ゆっくりとドアを開ける。ふいに、

「申し訳ありません」

 という声が聞こえたかと思えば、俺の視界は暗転した。


 暫くした後、俺は部屋の明かりの眩しさで目を覚ました。普通の光の眩しさとは一線を画す眩しさである。何故こんなにも眩しいのか、答えは単純でこの部屋が四方八方白で構成されているからだ。そして、俺は知らない女性と向かい合って座っている。恐ろしく訳が分からない。ここは何処で、彼女は誰なんだ?もしやまだ眠っていて、夢なのかもしれない。俺は周囲を5度見ほどした後、頬をつねる。悲しきかな、神経は俺の脳にしっかりと痛みを伝える。夢ではないのだ。

「あの、大丈夫ですか?」

 前方から声が聞こえた。俺は改めて女性の方に視線を向ける。艶やかな漆黒の髪は1つに収束し、再びほんのりと広がり重力に従い胴の半分辺りまで落ちている。水分をたっぷりと含み透き通った絹のような肌は、丸く緩やかに曲線を描き人の形を象る。少し暗く奥ゆかしい魅力を放つ黒色の目はアーモンドアイと言うやつだろうか、顔のパーツの中で一段と印象深く美しい。このような状況でなければ、別れたあとで話しかけられたことに歓喜の小躍りをし、末代まで語り継ぎたいほどの美人である。

「あ、あの」

「あっっすみません」

 思わず見とれ、ひたすら彼女の存在を噛み締めていた事に引かれてしまっただろうか。続く言葉が思うように発せず手と呻き声で伝わらない弁明をした。顔がカイロのように熱をおびるのを感じる。その様子を見て彼女は口に手を当てふふ、と上品に笑う。ともかく、不快には思っていなさそうな様子に胸を撫で下ろす。

「あの、こここはどこなのであ、ありましょうか」

 最近、人とまともに話していなかったことや何より自分のストライクゾーンド真ん中の女性を前にしたから仕方ない、と自分の中で言い訳をしておこう。

「そうですね…隔離施設、のようなものだと思います。」

「か、隔離施設!?」

 なぜそのような所にいるのか、まるで見当がつかない。ごく普通に20年間生きてきたつもりだったが、まさか何処かで知らぬ間に魔改造でもされてしまっていたのか?襲いかかる不安をゴクリと飲み込む。彼女は俺の様子を一瞥し、かと思えば俯き、整った眉尻を下げた。

「私が、呼んだのです。巻き込んでごめんなさい。」

「貴女が?」

 彼女の事は記憶にない。いや、忘れてしまったのかもしれない。何度記憶を辿っても彼女に呼ばれるような事をした記憶にたどり着けない。知り合いだったなら気まずいが、ここは尋ねるしかない。

「すみませ、あ、貴女は、誰、なんですか?」

「やっぱり、分からないですよね」

 彼女の瞳から、悲しみがこぼれ落ちていく。何もしていないが恐らく俺のせいで、彼女は涙を流している。彼女の泣き顔を見続けるのはどうしても嫌だ。ふと、ポケットにハンカチが入っていたことを思い出した。雨が降っていたため今日は少し大きいタオルを持っていき、それを使ったからハンカチは未使用のはずだ。焦りでおぼつかないながらも何とかハンカチを取り出し、彼女に差し出そうとする。瞬間、ガン!と鈍い音と共に痛みが手の甲に叩き込まれる。机に手をぶつけたのだ。

「うごぅっ」

 情けない呻き声が漏れる。が、とにかく彼女にハンカチを渡そうとする。思いのほか机が大きく、彼女に座ったままでは届きそうにない。俺は立ち上がり、彼女に近づこうと歩み出すと、ゴン!!という鈍い音と共に今度は足の小指に鋭い痛みが走る。今度は痛みに耐えかねてその場に崩れ落ちる。

「ぐ、ぐぅ」

「あ、あの、大丈夫ですか?」

 彼女が心配そうに駆け寄ってくる。人生最大級に恥ずかしい。俺を穴に埋めて欲しい。マントルくらいに埋めてくれ。どうして心配する側が心配されているのだ。鏡を見なくても今の顔色をスポイトでとったらそのまま林檎が描けるくらいだろうということが分かる。兎にも角にも、彼女にハンカチを渡そう。今のままではあまりにもダサすぎる。

「ど、ぞ使って、くぅ……」

 彼女は眉を下げ、しかし今度はほんのりと微笑んだ。

「そういう所は、変わってないですね」

 またこんなふうになってしまった。

 まて、"また"?俺は過去に同じような失敗をしたことがあるのか。記憶を呼び起こす。確か、小学校低学年くらい。公園のドーム型の遊具の下で、泣いている女の子を見つけた。俺はどうしても放っておけず、彼女に駆け寄る。しかし、勢いあまり遊具におでこを強打してしまった。そして、少女を慰めるつもりが慰められた、そんな感じだったはずだ。芋づる式に、その周囲の記憶が蘇ってくる。そこで知り合った少女は、よくその公園に来ていた。俺は少女と絵本の話やテレビの話で意気投合し、2人で空がオレンジに染るまで夢中でお喋りをしたものだ。たまに2人でお小遣いを握りしめて近くの駄菓子屋さんに行き、どの駄菓子が美味しいだの、どう買えば少ないお小遣いで沢山のお菓子が買えるかだの、そんな話をした。夏場はアイスが売られて、2人でパッキンアイスを半分こして、熱いね、とか、太陽が頑張りすぎてるね、とか、そんな話をした。時折少女は悲しそうな顔をして、私はみんなと違う、と話していた。俺はその話が難しくて、理解はできなかったけども悲しい顔をして欲しくないと笑わせるため奮闘した。

 ふと、目の前の女性が少女に似ていることに気づく。いや、似ているなんてものじゃない。少女を大人にしたらこうなるのでは無いか、と思うほど面影がある。まさか、と思い彼女を改めてまじまじと見て、尋ねる。

「名前は、なんて、言うんですか」

「えと、私の名前はカヤ、です。」

 カヤ。カヤちゃん。俺の初めての友達のカヤちゃん。ずっとずっと一緒に遊んだカヤちゃん。小学生を卒業する頃、急に居なくなってしまったカヤちゃん。俺たちは、この場所で8年ぶりの再会を果たしたのだ。思わず、歓喜と怒りが目から溢れる。

「カヤちゃん、ほんと、どこ行ってたの……!なんも、なんも言ってくれなくて、俺嫌なことしたのかなって、謝りたいなって、会いたいって、ずっと!ずっと!!」

「本当に、本当にごめんなさい。でも、思い出してくれてありがとう。居なくなっても、思っててくれて、ありがとう」

 白い部屋に響く2人分の嗚咽だけが唯一、2人の再会を証明する。暫くそれが続いた。

「それで、なんでこんな事になったんだ?」

 涙を拭い、再び椅子に座る。しかし、彼女の目は赤いままだ。恐らく、俺も。

「それは……多分、そこのメモに書いてあると、思う。」

 メモ。俺が座る位置から少し下を見れば気づく位置に置かれている。すごい!灯台もと暗しだ!と自分で言ってしまいたいくらいには、なぜ気づいていなかったのか疑問である。自分の節穴さは少し置いておいて、メモを開く。内容はまとめると以下の通りだった。

 ・連れ去ったのは警察ではなく国際的な秘密組織で、外宇宙の生命体から地球を守っている

 ・カヤは外宇宙から来た、ンダクバ星人である

 ・ンダクバ星人は、産まれてから二十年後に惑星を破壊する規模の大爆発を起こし、消滅する。

 ・ンダクバ星人は大爆発前にビルを破壊する程度の仮小爆発を起こす

 ・カヤは廃墟にて仮小爆発を起こし、組織に保護された。

 ・カヤは大爆発を起こす前に宇宙の果てへロケットで飛ばす事になっている(23:30頃)

 ・彼女から最後に相染優助と話がしたいとの希望があり、23:00までの面会を許可した


 あまりの現実離れしすぎた内容に、唖然とする。カヤちゃんが宇宙人で、大爆発するから、ロケットで飛ばす?本当に、現実なのか、これが。

「カヤちゃん、これ、本当?」

「全部、本当。」

 部屋の時計は22:55分を示す。カヤちゃんとの永遠の別れまで、あと5分。ようやく会えたのに、今度は二度と会えなくなる。考えるだけで頭の中が黒く冷たいもので埋め尽くされる。何を話せばいい、何をしたらいい、と思考回路がグルグルと掻き回され、焦りが喉を締め付ける。

「カヤちゃん、俺、どうすればいいの」

 収まったはずの感情の溶解が再び起こりそうだ。

「あのね、伝えたいことが、あります。」

「永遠に、お別れする前に。」

「聴く、聴くよ」

「ありがとう。」

 カヤちゃんの顔が強ばる。数回深呼吸を繰り返す。俺は、その様子に息を飲んだ。

「私、初めて会った時、優くんが励まそうとしてくれたこと、本当に嬉しかった。」

「毎日、優くんが公園に来てくれる時間が、待ち遠しくてたまらなかった。」

「優くんが私と同じものが好きって知って、人生で1番嬉しかったよ。」

「私は、」

「私は、優くんに初めて会った時から、優くんが大好きでした。」

 彼女は、言い終わると満足気に笑い

「聴いてくれて、ありがとう」

「愛してるよ、優くん。今までも、これからも。」

 と、言った。俺も彼女に絶対に伝えなければいけないことがある。残り2分。しかし十分だ。

「カヤちゃん」

「俺の、初恋相手は、カヤちゃんだった」

「あの時は気づかなかった、けど、」

「間違ってないと思う。」

「それで、今も、こうして話して、」

「カヤちゃんが大好きなこと、思い出した」

「だから、その、」

 言葉を紡げ。彼女がいなくなる前に、彼女の心を永遠に俺のものにしたい。この行為が残酷で傲慢だったとしても、構わない。

「俺と、付き合ってください!」

 カヤちゃんは、目を見開き、俺の一世一代の告白を聴き届けた。恐らく、俺はこれから先、この言葉を口にすることは無いだろう。

「よろこんで」

「でも、居なくなっちゃうよ、私」

「俺も、愛し続けるから!今までも、これからも!!」

 互いに抱きしめ、相手の体温を最後の時まで感じる。

「時間です。」

 と、スピーカーから声が聞こえた。部屋を出なければならない。

「ばいばい、優くん。」

「カヤちゃん……」

 最後までするかどうか迷っていたが、今を逃せばもう二度とチャンスはなくなってしまう。俺は離れかけていたカヤちゃんをもう一度抱き寄せ、唇を重ねる。そして、離れる。

「永遠に、大好きだよ、カヤちゃん」

「おやすみ」

 そして、俺は部屋を出た。小学生の頃を思い出す。カヤちゃんと沢山お喋りして、遊んで、夕方になってお別れする。だから俺は夕方が嫌いだった。カヤちゃんにその話をしたことがある。カヤちゃんは、

「帰ってからカヤの知らない楽しいことをして、カヤの知らないステキな夢を見て、そのお話を次の日にいっぱいしよう。そしたら、お別れも楽しくなると思うの」

 といって慰めてくれた。それから、俺は別れも好きになった。俺は、これからカヤちゃんの知らない時間を沢山過ごす。全部終わったあとで、カヤちゃんに会える"次の日"に辿り着いたら、沢山話をしよう。その為には、カヤちゃんが退屈しないような話を用意しなければ。

 そのような事を考えながら、施設の外へ出る。俺はそのまま、昔よく遊んだ公園へ足を運んだ。あの時よりも遊具が小さく見える。カヤちゃんと、もっと話したかった。あまりにも短すぎた再会で、再会しなければ幸せだったかもしれない結末。今日でどれほどの感情が溶けだしたのか、もう分からない。でも、今日くらいはいいと思う。そんな事をぼんやりと考えていると、施設の方から強い光が見えた。光は空へと昇っていき、暫くして花火のように弾けた。俺には、弾けるまでの時間がスローモーションに見えた。どうしようもなくそれが美しく見えた。弾ける光の粒が、カヤちゃんの涙に見えた。それは、カヤちゃんの死を意味していた。

 家に帰ると、やりかけのパズルが机に置いてあった。そういえば、家を出る前にぶちまけてしまったのだった。思えば、このパズルはカヤちゃんと完成させたものだった。どうして思い出せなかったのだろう、と悔しく思う。もしも俺が最初からカヤちゃんを覚えていたら、もっとたくさんの話が出来たのに。こんな後悔をしても意味は無い。カヤちゃんは、もうこの世界にはいないのだから。


 あの出来事から暫くして、俺は実家に帰っていた。探し物をしに来たのだ。一日中散らかった部屋を漁り、ようやく目当ての物を発見した。拙い字で「たからばこ」と書かれたそれを開く。中には、雑多なおもちゃやゴミが入っている。その中で、おもちゃの指輪を拾い上げた。カヤから、貰った指輪だ。俺は、カヤの指輪をそっと握り、たからばこの蓋を閉じた。











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