第31話 京子事変
オロチを撃退して家に帰るころにはすでに太陽が日本を照らしており、刹那も眠ることも許してくれなかった。
俺は街を守るという大義を果たしていたにも関わらず学校を休むことさえできず、今は鉛のように重くなった体を酷使しペダルをこぎ続けている。
周りの生徒たちは連休明けの憂鬱を少しはのぞかせているものの、数日ぶりの級友との再会に笑顔を見せている。
片や俺はダルそうな目、クマがひどい顔、だらしない服装。
これほど対比関係を象徴するものもない。
学校に到着し駐輪場に自転車を止め玄関へと向かう。
ロッカーを開け、靴を入れようとするとヒラリと一枚の紙切れが宙を舞った。
なんだよ、誰かロッカーにゴミでも入れやがったのか?
頭が十分な睡眠を得られなかったせいか、短絡的かつ乱暴な思考しかできない。
拾い上げるとそこには達筆な字でこう書かれていた。
「今日の5時に屋上に来てください 待ってます 奈良」
一気に眠気が吹き飛んだ。
読み終えると俺はすぐさま紙をバッグにしまう。
そして靴をロッカーにしまいながら思考を整理する。
奈良から誘ってくれたということは例の語り合いというやつだろうか。
昨日読み終えたばかりだから本はカバンに入れてあるのでちょうどいいタイミングだな、と思ったがそれなら屋上じゃなく図書室などのような場所に呼び出すはずだ。
もしかしてたちの悪いイタズラか?
イタズラなら俺の慌てる様子を見て楽しんでいるはず、と思ってまわりを見回すも俺のことを見ている生徒は一人もいない。
教室に向かう間も考えを巡らせ続ける。
本当に奈良なのだろうか。
いや、ここで誰かがいないからといってイタズラの可能性が消えたわけではない。
実際に屋上に行くと奈良ではない本田みたいなやつが待っていて「やーい、引っかかった引っかかった。わはは」ということもあり得る。
教室に到着して自席に座り教科書を机にしまっているとなにやら視線を感じた。
顔を上げると教室の前の方で話していた女子グループの中にいた奈良と目が合った。
手でもあげて挨拶しようかとも思ったが、奈良は目が合うや否やすぐさま目を逸らし頬を少し赤らめる。
その様子を見て俺の脳裏に連休初日の光景とその時導き出したある結論が浮かんできた。
「…………」
マジ?
運命の放課後になった。
目が驚くほど覚める清涼系菓子を軽く凌駕する衝撃的な事実により俺は普段舟をこいでいる午後の授業さえ起きて聞いていた。
あまりの衝撃に鉛のように重かった体が嘘のように軽くなっており、屋上へ続く階段をスイスイと上っていく。
まさか俺の人生でこんなことが起こるなんて。
階段を上り終えドアの前で身だしなみを整える。
意を決してドアを開けると茜色の夕日に照らされた広く開放的な空間が広がっていた。
頭上は空に覆われ、転落防止の鉄の柵以外は何もない。
奈良は本当に来るのか、と疑っていたがドアから数歩いったところで奈良は柵の上に組んだ腕を乗せて遠くの景色を眺めていた。
「すまん、待たせたか」
「ううん。時間ぴったりだね。来てくれてありがとう」
声を掛けると奈良はニコリと笑って俺に向き合う。
「それでなにか用か」
「うん。ちょっと、ね……」
いつもの歯切れのよさは鳴りを潜め、奈良は話すことをためらっているようだ。
「そ、その前にこの間私が貸した本どうだった? 全部読んでくれたかな?」
「つい昨日読み終えたところだ。まさか最後に女子二人がくっつくなんてな。片方の女子が男子と付き合っている女子を略奪するなんて思ってもみなかった。恋敵として競い合っていたライバル同士がいつの間にか互いを好きになるとは。めちゃくちゃ面白かった」
「そうなの! まさかの女の子どうしがくっつくなんてね。私もビックリしちゃったけどすごいいいお話だなって思ったの」
「今日持ってきたからあとで返すよ。ありがとう」
「うん。で、でもね! 今日はそれを話にきたんじゃなくって、他にも用事があるというか……」
俺は黙って話の続きを待つ。
「私ね、どうしても福井君に伝えたいことがあって、それで今日呼んだの。でもこんなこと他の人に聞かれたら恥ずかしくって……」
奈良は言葉を慎重に選んで積み重ねていく。
俺もそれに応えるように真剣に向き合う。
俺はソラとのことから学んだのだ。
今はただ目の前の一人に対して向き合う義務があるのだと。
奈良は深呼吸し、覚悟を決めたような目で俺を見つめる。
「福井君、あのね、私と……」
俺も奈良から目を逸らさない。
「私とっ……!」
奈良は意を決したように告げた。
「ソラちゃんとのこと、応援してくれないかな!?」
「ごめん!」
俺は頭を下げる。
俺は彼女の気持ちに応えることは出来ない。
奈良は俺より頭もいいし、運動できるし、人望あるし、優しいし、どこをとっても非の打ちどころのない完璧な人間だ。
俺なんかが告白を断るなんてことおこがましいことだって分かっている。
しかし俺には向き合い続けなければならないやつがいるのだ。
そいつと向き合わなければ俺はってちょっと待て。
今、なんて言った?
奈良とソラとのことを応援? はい?
頭を下げたまま疑問の渦にのまれていると奈良が話しだす。
「はーぁ、やっぱりダメだったか。ソラちゃんと福井君、付き合ってるんだもんね。そりゃあ断られちゃうよね」
「え? あの、今のってどういう?」
「あれ? もしかして気づいてなかった? 私もソラちゃんのこと好きなの」
? どゆこと?
「あれはそう、入学式から一週間経った日のことだった」
理解が追い付かない俺をしり目に奈良は回顧するように話し出す。
「私は高校生活のスタートダッシュをうまくきることができたんだ。新入生代表として挨拶できたし、それのおかげかな。クラスのみんなとお話しできて仲のいい友達もたくさんできた。もちろんみんなが優しく接してくれたからっていうのもあるけどね。だけど何かが足りなかった。最高の友達と環境に恵まれているのに私はなぜか満足することができていなかったの」
え?
「でも私はこんなに恵まれているんだからこれ以上望むのは欲張りだって思っていたんだけど、そんな私の目の前に一人の女の子が現れた。美しく、気高く、この世のものとは思えない可愛さを持った女の子。その子こそがソラちゃんだった」
ん?
「その時私は気づいたの! 私に足りなかったものは何かにね。そう、それは恋! 燃え上がるような、刺激的な恋だったの!」
「あ、ああ……」
あまりの急展開に俺は言葉を返せない。
奈良はうっとりとした表情で語り続ける。
「ああ、ソラちゃん、あなたはなんて美しいの。まるであなたの名前のように広く、どこまでも自由な空のような瞳。雲よりも白く、何ものにも汚されていない純白の髪。そしてすべてのバランスが黄金比で整っている、どんな美術品にも負けない、いや、それ自体が美術品といっても過言ではないいでたち! 私は一目で恋に落ちた。ひとめぼれだった。けど……」
それまでハイテンションだった奈良は急に声色を落とした。
「ソラちゃんが転校してきた日の放課後だったかな。それまでは誰かがソラちゃんと話してたから話せなかったんだけど、放課後ソラちゃんが教室を出ていったの。それでチャンスと思って後を追いかけようとしたらソラちゃんがいなかった。私必死に探したよ。だって大好きなソラちゃんと話せるかもしれなかったからね。で、やっとの思いでソラちゃんを駐輪場で見つけた時、私、聞いちゃったんだ」
奈良は殺気をまといだす。
「『わしに付き合ってくれる、それでいいんじゃな?』って」
背筋がゾクッとした。
しかしすぐに奈良は殺気を抑え、本物か作り笑いか分からない笑顔を作る。
「でもいいの。別にソラちゃんと福井君が付き合ってても。だってソラちゃんの幸せは私の幸せだから。好きな人だから当然だよ」
だが、その後ぼそりと言った。
「まあ、それを聞いた時は福井君には永遠に眠ってもらおうかとも思ったけど……」
聞こえてるんだが!?
「私の恋は一日も持たずに砕け散った。でもそれでいい、ソラちゃんが幸せならそれで……って自分を納得させようとしてたんだけど、涙が止まらなかった。それで泣いてちゃダメだ、次に進まないとって思って無理やり気持ちを切り替えるために本を読んだんだ」
……え。
まさか、その本って……。
「それが福井君に貸した小説。それ読んで私、気づいちゃったんだ。私もまだあきらめる必要はないんだって! だからソラちゃんに振り向いてもらえるように頑張ることにしたんだ!」
「え、じゃあ俺に話しかけてきたのは……」
「将を射んとする者はまず馬を射よっていうでしょ? だからまず福井君を落とそうとしたんだ。ソラちゃんを追いかけるついでに福井君がいたら図書館で話しかけたり、イベントでちょっかいかけたりしてたんだけどね。全然別れようともしないし、むしろ仲良くなってるし」
つまり奈良は俺とソラを別れさせようとして、俺を落としたうえで振って、フリーになったソラと付き合おうとしていたということか?
あとソラを追いかけるって普通にストーカーじゃねえか!
「嘘だろ……じゃあこれまでの全部、演技だったってことか?」
「そうだね」
オーノー!
恋する乙女とはこれほどまでに恐ろしいものなのか!
恋は盲目にもほどがあるだろう。
俺はあまりのショックに口をポカンと開けたままになる。
しかも奈良が俺を好きと勘違いして……恥ずっ!
思えばクラスの人気ナンバーワンが俺みたいな劣等生をどうして好きになるだろうか。
考えればすぐ分かったのに……穴があるなら入って地下帝国を築いてそこで暮らしたい。
「でも福井君の心は揺るがなかった。だからこれからはちゃんとソラちゃんにアピールしていくことにするよ。今までちょっかいかけて本当にごめんなさい!」
奈良は深々と頭を下げる。
これは演技でもなんでもなく本心で謝罪しているように見えた。
だが顔を上げると挑戦的な表情でこう言ってきた。
「でもこうなったからには私も手加減しないよ! これからは恋のライバル! 今はソラちゃんを預けておくけどいつか私が迎えに行くから! 覚悟しておいてね!」
奈良は自分の言いたいことをすべて言い終えたのか、「じゃあ、また明日ね!」とすっきりした顔つきで身を翻して屋上から出ていってしまった。
そして屋上には無様な冴えない男が一人寂しくぽつねんと残される。
夕日に照らされながら俺はつぶやく。
「青春は苦すぎる……」
失意と絶望に包まれながら俺は誰もいない教室に戻った。
奈良から借りた本はとりあえずあいつの机の中に入れておいた。
別にタイトルが変なわけではないけど、内容がその……思い出すだけで胸が苦しくなるやつだからな。
そしておぼつかない足取りで駐輪場を目指す。
朝はあんなに軽かった体が嘘のように重い。
結果としてはイタズラでもなんでもなく奈良本人からの呼び出しだったわけだが、その内容が本当にイタズラのようなものだった。
はあ……思い出してもいいことがない。
今日は帰ってさっさと寝て全部忘れよう、と思って自転車に跨ると携帯が震え出した。
今はそんな気分じゃねえ! と思って発信者名も見ずに切ったが、またブルブルとバイブレーションを始めたので電話に出た。
「もしもし」
『やっと出たか。なんで切るんだよ』
この声はスサノオか。
「いいだろ別に。俺は今それどころじゃないんだ」
『何すねてんだ? それよりもお前、もしまだ学校ならその足で俺のアパートまで来い。家なら出てこい』
「嫌だと言ったら?」
『嫌でも来い。じゃないとクソ姉貴がここから出ていかないからな。さっさと来いよ』
そこでスサノオは電話を一方的に切った。
別にあいつの言うことを聞く必要なんて微塵もないのだが、ソラもいるということだから何かあったのかもしれない。
「はあ……」
俺はため息をついて朝と同じようにのろのろとペダルをこぎ始めた。
スサノオのアパートに着くと空き地にソラが仁王立ちしていた。
スサノオも腕を組んで待っていた。
「まったく、どこで油売っとったんじゃ!」
「まあ、色々あってんだよ。色々とな……ははっ……」
「なんじゃおぬし? 体調でも悪いんかえ?」
「そんなところだ」
「ふーん。まあどうでもいいが」
どうでもよくないんですけどね?
「ところで気になってたんだが、そいつはなんだ?」
俺が指さした先の地面には体長60cmくらいの中々にデカいトカゲのような生物がいた。
「ああ。お前を呼んだのは他でもない。こいつをお前の家で飼ってくれ」
「どういうことだ。意味が分からん」
「こやつはヤマタノオロチじゃ」
ソラがそう言うと、そのトカゲは「ヤマヤマー」と上機嫌に鳴いた。
「ヤマタノオロチ? こいつが? 封印したんじゃないのかよ」
「封印しようと思ったんだけどな、もう何年も封印の呪文唱えてなかったから呪文忘れて封印できなかった」
「はあ?」
「でも安心しろ。こいつ、暴走したあげく、俺たちがボコったせいで力を使い果たしたみたいで今はこんな姿になるのが精一杯らしい」
スサノオがそう言うとオロチは残念そうに「ヤマヤマァ~……」と鳴く。
「だが力がないとはいえもとは怪物だ。俺たちの目の届く範囲で監視する必要がある。だから福井武夫、お前の家で飼ってくれ」
「そこでなんで俺んちってことになるんだよ。お前んちは?」
「俺のアパート、ペット禁止」
「じゃあソラの神社は?」
「わしの神社で飼うと神の神聖な力のせいでこやつは消滅してしまう。確かにこやつは元は怪物じゃが、意外にもわしらに忠誠心を誓っておるようでの。このまま消滅させるには忍びないと感じたんじゃ。何かあったら役に立つかもしれんし」
その倒した敵が仲間になりたそうにこちらを見ているみたいなノリはなんだよ。
「萌えの神や筋肉の神、そのほかの神もわしと同じ理由でこやつを飼うことはできん。だからおぬしの家で飼ってくれんかの」
「頼む、今度ユニ子ちゃんのライブ誘うから、な?」
「でも、こんなデカいトカゲ飼えるわけ……」
そう言いながらオロチを見ると昨夜のことが嘘のような純粋な目で「ヤマヤマ~」と鳴いてくる。
しかしこんな得体のしれない生物を飼うことを家族は許してくれるだろうか。
特に妹なんかは絶対に嫌がりそうだが。
そう思い、悩んでいるとソラが辛辣な提案をした。
「おぬしが飼えないなら業者にでも売るかの」
「ヤマ!?」
「それしかねえな。じゃあな、ヤマタノオロチ。どっかで元気でな。二度と帰ってくるなよ」
「ヤマヤマヤマ! ヤマヤマ!」
なんかオロチがすごい俺に向かって訴えかけてくるんだが。
「……あー、もう。分かった。お前らにはこいつを倒してもらった恩もあるしな。しばらくなら面倒見てやってもいい」
「おお、それはよかったのう。せっかく面倒見てもらうんじゃ、おとなしく主の言うことを聞くんじゃぞ?」
「俺たちはお前のこと見てるからな」
「ヤ、ヤマ……」
オロチ、めちゃくちゃビビってんじゃん。
そうして俺はなし崩し的にオロチの世話を引き受ける羽目になってしまったのだった。
本当にいいことないな、今日!
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