[よいお年を]

大晦日の今日も、私は例によって最終バスまで指折り数えるほどしか便が残されていない中、帰途を遂行する前に迫ってきそうな日付の変わり目に急かされた者たちが相次いで乗り込み、ぎゅうぎゅうに苦しくて乗り心地の悪い車内に押し込められていた。


ことはなく。


今日は珍しく相席に与かることができた。私がいつもながら座って小説を書いていると、小銭が落ちる音がした。通路挟んで向かい側の女子高生が落としたらしい。私はなけなしの体力を親切心のために犠牲にしなければならず、自分の座席の下に潜り込んだであろう彼女のお金を拾ってやろうとして覗き込んだ。が、小銭が入り込んだのは、座ったまま体を曲げてみた程度で見えるような場所ではないみたい。


次のバス停で彼女は降りた。私は相席の人の邪魔になりたくなかったので、さっきまでその高校生が1人で座られていた、今は空席になった席にカバンごと移る。そこから座席の下を見ると、小銭が落ちていることが確認できた。50円玉だ。私はそれを拾った。拾って、私の座ってない座席スペースに置いた。知っている。ネコババは犯罪だ。私が降りるバス停に着いたら運転手に、「車内に50円玉が落ちてました」って進言すれば良い。あいにく私はお金に困ってないし、それをポケットに入れたいと思う欲求もなかった。


来た。着いた。私はバスが停車する前に席を立つ。大きめの荷物が座席を通過するたびに背もたれに当たって歩を止めざるを得ない事態を繰り返しながら、ようやく辿り着いた精算機の前で、いつも定期を入れているジャケットのポケットにカードホルダーが入っていないことに気づく。


「あっ、ごめんなさい!」


そういって後ろにつっかえている人に順番を譲るために降車口から一旦出て、片足をタラップに乗せたポーズを取ることでちゃんと支払う意図があることを示す。カバンの中を漁って見つけた。「すみません」とひとこと告げて降りる。ドアが閉まる。おい、違うだろ。バスは出発して行った。


ネコババ成立。これで私は犯罪者デビューだ。ただ、今のご時世、50円で買えるものなど駄菓子か50円自販機の謎に安いドリンクしかない。飲み物で十分じゃないか。ちょうどここから家までの通り道にあるし。別に喉は渇いていないし、そのまま財布に入れてしまっても良かった。だが、悪銭身につ「け」ずだ。悪いことをしたならそれなりに、道理に沿った対処をすべきだと思うのだ。よく分からない。寝言を言っている。


テクテクとあるいて寒い冬に虫も寄らない青白くひかる自動販売機の前に辿り着いた。どうせ飲むならあったかいものが飲みたい。かつ50円で収まる商品は4台あるうちの1番右端下段の缶コーヒー無糖、加糖、微糖、カフェラテくらいしかなかった。ちょっと悩んで加糖を選ぶ。がこんと落ちるや否や取り出した缶を開けて飲み干す。別に特別上手くも不味くもないはずの、普通の缶コーヒー。格別に上手かった。


「くくく・・・。これで50円分の[よいお年を]過ごせたや。」


50円分、私は悪者になった。まったく、よいお年だ。ほぉっと吐く息が暖かくて面白い。


[缶コーヒーの人はいい人だ。]


いつかの缶コーヒーのcm、宣伝文句を思い出した。缶コーヒーを飲む人にだって、悪い人はいる。今 ここにいる。

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