#030 天の結晶⑥
「……悪いな、待たせた、ウォールナット」
「――いいえ。よくやったわ」
俺は、“天井に設置されていたスプリンクラー”にスキルを使った。
スプリンクラーから散布される雨粒に反して、天井の一点――その一点だけが、“炎”をゆらゆらと揺らめかせている。
これが、俺の
視界に収めた物を、それが何であろうと燃やしてしまう。単純であり、それ故に恐ろしいスキルだ。
幼き日の俺は、きっとこの
それこそ、自分が最も信頼を寄せている家族たちに。
そうなればどうなるか、簡単だ。――俺は、より長い時間、家族を視界に収めていた事になる。
俺の脳裏には未だに、真っ黒に焦げて帰らぬ人となった父の、母の、妹の、その姿がこびりついている。
きっと、泣きじゃくりながら、どうやれば止まるのか、納まるのかも分からないまま、助けを求めたのだ。
その結果、俺は自分の最も大切な人たちを焼き殺してしまった。
泣けばなくほど、覚えれば怯えるほど、感情は昂り、スキルはより強く発動し、家族を燃やす炎はより強く燃え盛ったのだ。
……だから、俺は自分のスキルを使うのが怖かった。
どれだけ扱いを学び、スキルを制御したとしても、その恐怖は消えなかった。
スキルを使おうとすれば、動悸が激しくなる。緊張で、恐怖で、脳天が痺れ、神経が焼き切れそうになる。
けれど、今俺の目の前で、バディが必死に戦っている。傷つけられている。
だから俺は、スキルを使った。
また目の前で大切な誰かを失う恐ろしさに比べれば、なんて事はない。
「――でも、まだ、人に直接スキルを使う勇気は無かった……」
ほんの少しでも出力を誤れば、一瞬で消し炭にだって出来てしまうだろう。俺のスキルは元々、林殿の遠隔透視の様にピーキーなタイプだ。
だから、俺はスプリンクラーの近くに火を付けるだけに留めた。
スプリンクラーは俺の放火に反応して雨を降らせ、雨は透明人間の輪郭を露わにする。
それで、それだけでゲームセットだ。俺の仕事は、たったそれだけで充分だ。
直後、視界をクナイが横切り、雨粒を一閃。
そのまま、その切先は雨の中浮かび上がる輪郭の肩口に深く突き刺さっていた。
「な……ッ! お、ま……」
透明人間は言葉を発し切る前に、全身に麻酔毒が回り、その場に倒れた。
気絶と同時にじんわりと透明化も解け、姿が完全に浮かび上がる。
俺たちと同じくらいの年齢であろう、人相の悪い男だ。背は高く細身で、この時期には少し暑そうなカーキ色のコートを着ている。
その手には、天の結晶を納めたキューブ。
来海はゆっくりと倒れた男に近づき、そのキューブを拾い上げる。
そして、俺の方に向き直り、
「あなたは充分、スキルを扱えているわ。もっと、自信を持っていいわよ」
そう言って、にこりと優しく微笑んだ。
その言葉は、他の何よりも俺の心に染み渡って行った。
やっと許された、そんな気がした。そんな訳、無いというのに――。
その後、現場には
手錠をされて繋がれてしまえば、透明人間になろうとも抵抗は出来ないだろう。
そして、俺と
本部までの車内で、俺と来海は並んでシートに座る。
「それにしても、あなた、もっと身体を鍛えた方がいいわよ?」
エージェントとして鍛え挙げられている来海と違い、一般生徒である俺は強烈な蹴りを一撃喰らっただけでのされてしまった。
多少はスキルで役に立てたとは言っても、これではバディとして力不足甚だしい。
女の子に身体を張って戦わせてしまったというのもあって、負い目から視線を逸らす。
「悪かったな。その……そっちは、大丈夫か?」
「大した事無いわ」
来海はタートルネックインナーの首元に指を引っ掛けて伸ばし、ぱちんと戻す仕草をして見せた。
「……それ、防刃だっけ」
「ついでに防弾と耐衝性能も付いてるわ。MGC製よ」
「良いな、それ。俺も支給して貰えないかな」
半ば冗談めかしてそう言ってみると、来海からは溜息が返って来た。
「これ、
「……もしかして、自腹?」
「MGCに知り合いが居るのよ。それで、試作品を譲ってもらったの」
「ああ。それで、あの日MGCに」
「そ。装備の調整に行ってたのよ」
つまり、あのMGCの職場見学の時に来海が居たのはそういう事だったという訳だ。
そんな話をしつつ、本部へと到着。
一度お互い治療を受けてから社長室へと向かい、ボスに任務の結果を報告した。
「――ご苦労様。いやあ、大変だったねえ」
ボスの呑気な労いに、来海が声を上げる。
「ほんっとうよ! おかげで、全身めちゃくちゃ痛いわよ!」
俺はナイフで切られた箇所と、蹴られた所が痣になって少し痛む程度だ。比較的軽傷と言えるだろう。
来海の怪我がどの程度なのか分からないが、視認する限りでは頬に貼ったガーゼくらいで、後はいつもの黒のインナーに覆われていて分からない。
ぱっと見る限り、いつもと変わらずにキビキビと動いていて元気そうに見える。
ボスは調子を崩さずに、まあまあと来海を宥めてから、本題に入った。
手元の資料に目を通しつつ、話して行く。
「――改めて、特区内ショッピングモールでの天の結晶の回収任務、ご苦労様だった。無事目的のブツは回収完了。すぐに技術班に回したから、うちで厳重に保管並びに研究利用させてもらうよ。それで、君たちの任務を妨害した相手に関してだけど――」
ページを捲る。
「まあ、彼も若いからねえ、少し尋問すればすぐに色々吐いてくれたよ。美味しそうにカツ丼ほ頬張っていたってさ。
犯人の名前は
スキルホルダーで、その能力は“透明化”。念じるだけで透明人間になれるって言うのは、便利なスキルだよねえ。おじさんも若い頃なら欲しかったけど、今は腰痛を治すスキルが欲しいかなあ」
来海にむっと睨まれ、ボスは咳払いで誤魔化す。
「それで、犯行の動機に関しても話を聞けたよお。“アルファ様の仇を打つ為”とか、“ナンバーツーにそう言われたから”とか、そんな感じの供述を繰り返しているみたいだねえ」
供述内容は俺たちが聞いた話と一致している。
やはり頭はあまり良くないのか、正直にそのまま口にしている様に思えた。
俺は軽く挙手して、発言権を求める。
「うん? どうした、ローゲ」
「そのアルファとナンバーツーとは、何者なんでしょうか? それと、彼は言っていました。“アルファ様は殺された”と」
ボスが頷く。
「アルファという人物は、彼の口ぶりから察するに彼らスキルホルダー解放戦線のトップの事の様だろうねえ。その行方や安否に関してはこちらでは分からないけれど、勿論
そして、ナンバーツーと呼ばれる人物はその名の通り、そのトップ――アルファ様の補佐だろうねえ。聞いた感じ、今の実質的な指揮はそのナンバーツー君が執っているみたいだよお」
「その二人の人相や、素性なんかは――」
「流石にそこまでは出て来なかったねえ。でも、多分アルファ様っていうのは君たちや彼と年齢の近しい子で、ナンバーツーは大人なんじゃないかなあ」
ボスは自分の予想を話している様で、その言葉はどこか確信めいて聞こえた。
「それは、何か根拠が?」
「いんや、勘かなあ。いやさ、僕も君たちが治療を受けていた間、少し尋問に立ち会って見ていたんだけれどね。で、彼、単純じゃない?」
俺と来海は視線を合わせて、揃って頷く。
「そうそう。でね、口ぶりから分かっちゃうんだよねえ。アルファ様って呼んでる時の声のトーンと、ナンバーツーって呼んでる時の声のトーン、そして彼の瞳の動き。
前者には信頼と愛情に近しい親しみを感じた一方で、後者からは怯えや畏怖、そんな物を感じた。例えるなら、怖い学校の先生に怒られるのを恐れている子供の様だったよ」
透明人間が分かりやすいタイプなのか、ボスの経験値に裏打ちされた観察眼がずば抜けているのか――いや、そのどちらもだろうか。
ともかく、俺たちがそのプロファイリングに異論を挟む余地は無かった。
続いて、来海が口を開く。
「それで、その透明人間さんは、例の不審船とは関りが有ったの?」
「おお、そうそう! それなんだけどねえ、どうやら違うらしいんだよお」
「違う……?」
「彼は今回の天の結晶強奪の為に派遣された構成員で、海上抗争に関しては何も知らなかったんだよねえ。ちゃんと入島記録も残っていた」
では、俺たちの追っていた不審船の乗組員は何処に……?
いや、元々そんなの居なかったのかもしれない。だって――、
俺は口を開く。
「もし不審船の乗組員が生きて特区内に潜伏しているのなら、わざわざ本島から別の構成員を送り込む必要は無いですよね」
「良い読みだ。海上抗争で入手し損ねた天の結晶が再出現、どうしても欲しい。しかしその時の構成員は全滅していた。だから、ナンバーツーは別の構成員を特区に送り込んだ。筋書きとしては筋が通っているねえ」
「でもその場合、俺たちが見つけた来た裏山や橋の下の痕跡は、一体……」
俺は思案する。
特区内で見つけた不自然な痕跡の数々、幽霊の噂、それらは特区に潜伏している不審船の乗組員の物だと、そう思っていた。
しかし、実際は?
MGC襲撃事件、その時にはアルファ様を拉致されたと言っていた。しかし、今回ショッピングモールでは殺されたと言っていた。
どこかで話が大きくなっている。この違いは? 本当にアルファという人物は誰かに殺されたのか?
だとすれば、誰が、何の為に?
海上抗争の発端となり、ショッピングモールに再出現した天の結晶。
スキルホルダーにとってそれは必要の無い物ではないだろうか? 彼らは何故それを求めていたのか、どうするつもりだったのか。
スキルホルダー解放戦線のトップ、アルファ。そしてナンバーツー。
その正体とは、一体?
――答えは、出ない。
喉元まで出かかって、引っ掛かっている様な感覚。おそらく、パズルのピースが足りていないのだ。
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