#003 夜の校舎
部室棟の二階に在る、階段のすぐ隣にある一室。
そこが俺の所属する、文芸部の部室だ。
と言っても、この文芸部に在籍している部員は俺一人だけだ。
六専学院は様々な設備や福祉が充実していて、部活動もその一環だ。
生徒の自主性を重んじて、多種多様な部活動が存在する。
しかし、そうなって来ると部員0名のまま名前だけ存在する部活動が出て来るのだ。
本や小説に馴染みの薄い現代人――特に六専学院の生徒は、殆どの事を支給のタブレット端末で済ませてしまえる。
外界では文化部の定番であったであろう文芸部も、ここ六専学院ではそんな部員0名の幽霊部員ならぬ幽霊部活の1つとなってしまっていたのだ。
そして、ここからが六専学院で快適な学生生活を送るために、俺が編み出したライフハックだ。
高等部1年への進学と同時に、部員0名の部活を適当に見繕って入部する。すると、その部活の部長になり、文化部であるならばほぼ確実に部室が貰えるのだ。
つまり、この裏技を使えば、学校内に自室を得るのも同然なのだ。
別に
ちなみに、この裏技の恩恵を最も受けたのは中等部の前半だった。まだ愛一とも知り合って居ない頃、一人で使える部室は俺のオアシスとなっていたのだ。
しかし、高等部に上がってから少し事情が異なる。
部活であるならば、勿論顧問として教師が付く。中等部の頃は滅多に部室に顔を出す事も無く、活動報告も適当な読書感想文モドキのレポートくらいしか上げていないのに許されていた。
しかし、高等部に上がってから、文芸部の顧問となったのは――、
部室の鍵は開いている様だ。扉を軽くノックすると、「はーい」と声が返って来る。
俺はそのまま部室の扉を開ける。
「あ、
「……ども」
部室に居たのは、今日のスキルの授業も担当していた、あの
長い艶のある黒髪と、縁なし眼鏡が特徴的な女性教師。
女性に年齢を訪ねる訳にもいかないので正確なところは知らないが、見た所20代後半くらいに見える。客観的に見て、若々しく美人な先生だ。
生徒たちからは慕われていて、
真白先生はどうやらこのご時世で珍しい無類の本好きらしく、当時俺が文芸部への入部届を始業式の次の日早速出しに行くと、凄く喜んで迎えてくれた。
そんな先生の嬉しそうな姿を見て、今更違う部活にしますとも言えずに、中等部から続いて文芸部へ所属する事になった訳だが――、
「ふんふん、ふ~ん♪」
真白先生は鼻歌を歌いながら、会議机にノートパソコンを置いて、白い湯気を立てるお茶を飲みながら仕事をしている。
そう。真白先生もまた、部室を合法占拠しようとしていた、俺と同じ思考の持ち主だったのだ。
なんと今、部室には真白先生の私物である小説漫画問わず様々なジャンルの本と、湯沸かし器と、緑茶や紅茶の缶と、本格的なコーヒーメーカーと、お菓子と――などなど。もう好き放題していた。
俺も置いてる本を読ませてもらうしコーヒーを飲ませてもらうしでありがたくそれにあやかってはいるのだが、先生と二人という意味でも、女性と二人という意味でも、如何せん真白先生の居る時の部室はあまり居心地が良くない。
つまるところ、一人の空間としての部室の価値は無くなってしまっていた。
そう言う意味では、食堂に連れ出して共に昼食を食べてくれる愛一にはもっと感謝した方が良いかもしれない。
先生が居るか居ないかはその日次第、運任せだ。今日は外れの日。
しかし、来てすぐに帰るのもおかしな話なので、自分の分のお茶を入れて、本棚から小説本を一冊取って、真白先生とは反対側の会議机の隅に腰を下ろして、本を開いて視線を落とす。
これは先生の私物。俺が産まれるよりも昔の作家の絶版本なので、この部室に来ないと読む事が出来ない。
別にこういった本も電子書籍で買えば読めはするのだろうが、俺は紙の本の方がどちらかというと好みだった。
この話を真白先生にぽろっと零した時は、大そう激しく同意されてしまった。
そう。先生程ではないにしろ、中等部の半分以上を文芸部ごっこで本を読んで過ごした俺もそれなりに読書家だった。
小説を読むのも好きだが、専門書なんかも結構好きだ。主にスキル関係の学術書は読み漁った。
そんなこんなで、何だかんだ不平を垂れつつも、真白先生セレクトの本を読むためにわざわざ放課後に部室へと来ているのだ。
そうして、小説の世界に入り込んでしまえば、対岸で鼻歌を唄いながらキーボードを叩いている先生の事なんてちっとも気にならなくなっていた。
元々真白先生は過剰に干渉して来るタイプでもないので、同じ部室に居てもあまり話す事も無い。
そんな感じで、しばらく小説を読み耽っていると、がらりと椅子を引く音が聞こえて来た。
「先生は先に戻りますね。鍵、閉めといてください」
どうやら真白先生は職員室に戻る様だ。
「はい。お疲れ様です。さようなら」
「はい、さようなら」
と、真白先生はいそいそと片付けて帰って行った。――と、思ったら、顔だけを扉からひょっこりと覗かせて、
「あ、そうそう。お昼にも言いましたが、夜間外出の制限が出ていますからね。もしあれだったら、今日はその本持って帰っても良いですから。早めに切り上げて帰るんですよ?」
と、言い残して、俺が返事を返す間もなく、再びぴしゃりと扉は締まる。
俺は再び視線を落として、小説の世界に戻って行った。
そうしている内に、次第にうつらうつらと、俺の意識は沈んで行き――、
「――はッ!?」
気づけば、外は真っ暗だった。
いつの間にか、机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
爆睡していた俺は人感センサーにも認識されず、部室の灯りも消えていた。
時計を見て見れば、19時時半。
俺の脳裏に、先生の言葉が想起される。
“17時までには部活動を切り上げ寮に帰ること、20時以降の外出は禁止”。
……余裕でアウトだった。
しかし、別に帰宅時間が厳密に記録される訳ではないだろう。
監視カメラをいちいちチェックする事もあるまい。
俺はまだ残っているかもしれない教師に見つからない様に、そうっと部室を抜け出した。
カードキーで施錠してから、部室のすぐ隣にある階段へ。
すると、あろう事か階段に人影が在った。上層階から誰かが降りて来ていたのだ。
慌てて身を隠そうとするが、しかしどうやら教師ではないらしい事は暗がりの校舎の中でもすぐに見て取れた。
窓から差し込む月明かりが、その姿を浮かび上がらせる。
その人影は、セーラー服――つまり、俺と同じ学院の女生徒だった。
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