第5話

 小野田は圭介の通っている学部の修士学生だった。彼にも彼女がいて、圭介はそれを一度だけ見たことがあった。小野田の彼女は無限に延長のある牛丼屋で働いていた。 

 小野田はその時いなかった。松浦が同行者としていて、たまたま牛丼屋に経由して大学へと行こうとしていたところだった。 

 松浦はここは小野田の彼女が働いている場所だ、と一瞬で気づいて気まずい顔をした。こうして見ると、牛丼屋が本屋のBLコーナーのように居心地が悪いように思われてきた。


「まあ小野田さんの彼女がいるとは限らないじゃないですか」

「いやー、ゆっくりと昼飯も食えなくなってしまうよ」


 そこには、小野田の彼女が受付に立っていた。小野田は彼女のことを色々な言葉で形容していた。 

 黒髪は長くオタクの漫画のサブキャラクターのようで、YouTubeのマークのように赤い唇を持っていた。小野田のTwitterには「TOIECで800点を取った」と書いてあって、それに相応しい凛々しい顔を二人は見た。 

 辺りが暗くなって、帰る道がなくなった。そのため、この場所で何かを頼む必要があった。


「一つ何かを頼みましょうか」

「そうだな」


 意を決して、小野田の彼女に話しかけた。彼女は、柔らかな笑顔で「いらっしゃいませ」と言った。


「もしかして松浦さんと圭介さんですか」


 圭介は自分の名前を呼ばれてびっくりした。松浦を通じて知り合っているというだけで、小野田とさほど面識があるわけでもない。一度あったきりである。


「不思議な顔をしてますが、小野田君がやたら圭介さんのことを話しているんですよ。仲良いと思っていましたが」


 聞くに、小野田は文化会系部活会で圭介のことを知っている。圭介が文化会で発言したりしているところを見て、面白がっているそうだ。圭介は学年の取りまとめのようなことをやっていたわけだし、そこで目立っているのもおかしくはない。 

 小野田は圭介が馬鹿らしいことをするのが好きなのだ。去年の文化祭で強硬神輿を行った時、たいそう笑ったそうだ。圭介としては、伝統を無理やりに復活させる。そうして、変わらないものとは何か追求するという普通の営みの中にあったものだったが、小野田には学生の悪ノリに見えたということだろう。実際そうだしそう話してきた。


 牛丼屋の無限に続く廊下の中、小野田の彼女は牛丼とカレーを運んできた。


「それにしても、意外ですね。圭介さんほどの人間でも牛丼を食べるんですね」

「そりゃそうですよ」

「何か……人間っぽくなくて」


 小野田の彼女は、サバクトビバッタの群生相を圭介に放った。圭介の服が食いちぎられる。もちろん、牛丼も食べられてしまった。松浦はそれを見て弾丸を放ち、やっとのことで彼女の頭を壊した。


「でも安心しましたー。牛丼、美味しいですか?」

「食べられなかったですよ、サバクトビバッタの群れにあってしまって」

「それは不幸だったことですね。お味噌汁のおまけをしますよ」


 味噌汁を二人はもらった。少し得した気分になって、松浦は機嫌よくなった。


「それで、お姉さんはどこで小野田さんと会ったんですか?」

「ははは……マッチングアプリですよ」


 何も隠さず彼女は言う。それでも松浦は食いついて言った。


「マチアプで彼女さんみたいな美女に会えるなら悪いもんじゃないですね」

「褒めてもお味噌汁以上のものはでませんよ」


 しかし嬉しい言葉のようで、彼女は延々と続くこの店の廊下の長さを短くしていった。消失点が手前に来ると、道が短くなったことが実感できる。やがて牛丼屋は有限の長さになった。 

 圭介は二人の会話を見ながら味噌汁を飲み干した。さほど量が多くない。


「私にも彼女がいたんですが、今は一人です。今度お友達を紹介してくださいよ」

「松浦さんなら是非とも」

「圭介もどうだ? 行きたくないか」

「結構です。実は彼女とか作る気になれないでいて……」


 それならそうと言えと松浦は言った。食べるものをすべて食べ終わって、二人は会計をした。松浦は普通にやるみたいに圭介に奢った。 

 牛丼屋の出口が無限に遠ざかっていく。彼女に「出口を出してください」と松浦は言ったが、いっこうにそれが現れるようには思われなかった。 

 雪が室内で降り始め、出口はますます遠ざかった。そして荒廃した店内の景色がますます二人を圧迫する。 

 松浦は彼女を揺さぶった。


「もう出しませんよぉ」


 彼女は、指を前に出して電源を切った。店内の明かりが消えて、何もかもが見えなくなる。 

 すると、圭介の手の中で赤く輝く槍があった。後から考えると、この時初めて槍をみた。おそらく、この槍は圭介自身の疑問である。この世界に疑問を持った時、確かなものがないと思うようになった時、この槍が現れるのだ。


「わかった」


 そうして、圭介は槍を彼女に差し込んだ。彼女は霧のように消えて、牛丼屋の出口だけを残した。

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