この槍を彼女に撃ち込むと

carbon13

第1話

 この槍を彼女に撃ち込まねばならない。「槍」とは言うが普通の槍ではない。丈の半分が竹製の持ち手である。先端はまるで今熱されているかのような鈍い赤色で、返しがいくつかついている。これを差し込むと、獲物に上手く絡みついて引き抜けないだろう。

 これを彼女に撃ち込まないといけない。その理由は定かではない。しかし圭介はそれを直感した。


 圭介が大学2年の春、人生で初めての彼女を作った。アルバイト先でたまたま同じ大学であることを知った女性だった。なぜか圭介の方に積極的に絡んできて、素敵な仕事のやり方を教えようとする良い先輩だった。彼女は、手の甲に歯茎が生えていて笑顔がとても綺麗で美しい女性である。眉毛がなだらかに下がっているのを見て、穏やかな気質と細かいところまで気を使うセルフケアの上手さを良いと思った。

 初めてのデートは映画館だった。自分の逆張りした選択でつまらない映画を見せてしまったのではないかと心配だったが、それで喜んでくれたので嬉しかった。特に後半の主人公が雷を落として警察の気を引くシーンが好きだったらしい。

 彼女の家は大学から近くにあり、静かな住宅街と農地の境目のところにひっそりと立っていた。山を背後に建つ煉瓦の家で、母も父も海外に行っていないらしい。この家を一人で任されているところに感慨があった。夏になると、圭介は頻繁に彼女の家に通うようになった。


 そのころ、ニュースでは千葉で起こった殺人の話で持ちきりだった。SNSは女子供を狙った殺人犯のことを激しく糾弾し、テレビキャスターは声をあげて言った。


「犯人はまだ見つかっていません。もし似た風貌を見たら特別ダイヤルにご連絡を!」


 犯人の再現イラストには、しわくちゃな老人の姿があった。誰もおよそ見ていないだろう惚けた目。それが不愉快に画面の前の人間を睨む。

 その番組を見ながら、薄暗い部屋のソファに座った彼女は言った。


「おかしい話だね。こんなに変わりやすいもので人を探そうとするなんて」


 隣でポップコーンをつまみながら、圭介は「こんなに変わりやすいもの」に惚れたのだと思いたくなかった。彼女にとっての本質はそんなものではなかったのだ。

 彼女はよだれを上腕から垂らした。汗かと思ったがねばついている。ポップコーンを皮膚から吸収して、美味しく食べている。

 彼女の体は変わっている。そんなに変わりやすいものに人は惚れるのだ。現に、圭介は上腕の肌の白さに惚れ惚れしていた。ワンピースから覗くその柔肌に欲情した。


「でも人間には何も変わらないものを見抜く力なんてないから。何も変わらないものなんてないんだ」


 圭介は苦し紛れにそう言った。すると、彼女はポップコーンを食べるのをやめて、こちらに覆い被さった。そんなことをどこまで夢見ていたか知らない。

 圭介の母親の愛人の口癖は、「人の愛は変わらない」だった。母はそれを信じるよう圭介に言った。しかし、そうすることはできなかった。だから、彼らの前で素行が悪い振る舞いをするしかなかった。

 圭介は、変わらないもののことを信じることができない。


「変わらないものはあるよ。人たちは目が悪いだけ」

「目は悪くしないように気をつけてたんだけどなあ」

「うん。そうして欲しい」


 目が良い人は好きだから。そう言って、圭介のことを彼女はからかった。

 彼女は笑った。そんな不確かなことで、「人を殺したのか」そんな簡単なことが聞けなくなってしまうのだった。


「そういう営みがあるだけだよ。私はそのことで責任を取ったり、取らなかったり、自由に選ぶことができる。私は、この社会と全くに無関係な事柄だから」

「許して欲しい?」

「許さなくていいという話だよ」


 いや、彼女は許して欲しいはずだ。圭介はそう思うことにした。もちろん、彼女を許したくなどはなかった。人殺しはもっとも忌むべきものだ。圭介はそのような当たり前の感情を当たり前に有していた。

 一方で、この槍を彼女に撃ち込んだら酷いことになるだろうとも知っていた。彼女がいくら肉体が変わらないと言っても、物理的な空間に居住する圭介にとっては当たり前のことは当たり前のように挙動するものだった。血は流れて、人は死ぬだろう。彼女は特別じゃない。変わらないものではない。


「でも……この槍を撃ち込まねばならない」


 すると、いつのまにか手の中に槍があった。その槍を圭介は、彼女の眼球に差し込んだ。滑らかに入ったので、血が床に流れ落ちた。

 彼女の体が変わっていく。


「一つ言っておくけど、私は変わらないものじゃないよ。変わることが変わらないことと近似したパフォーマンスを生み出すんだ。隣接した要素が円環を構成することで、概念的な価値を産出する柔軟な存在なんだ。でも、槍を使えばもっと壊せるかもね」


 彼女は元の姿に戻っていた。

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