煙草
この世界から魔法を消滅させる。それが、アステシアの願い。故にアステシアには魔法を消し去る魔法、月の魔法に目覚めた。
青い空から満月が消えた。少し低くなっていた気温は上昇していく。太陽は再び溢れんばかりの美しい陽射しを浴びさせる。
アステシアの告白を聞いて、獄蝶のジョカは荒くなった呼吸を元に戻せないまま立ち尽くすことしかできなかった。獄蝶のジョカの目に映るアステシアは真剣な表情でこちらを見ている。ただ、驚きを超えた放心だけが、獄蝶のジョカにあった。
「……なにが本当で、なにが嘘なんだよ」
頭を抱えて俯いた獄蝶のジョカは、長い沈黙の末にそう言った。アステシアはその質問に、間髪入れずに即答する。
「何もかも真実だ。あの女の言葉にも、私の言葉にも偽りはない」
獄蝶のジョカは目を閉じて息を吐いた。自然にポケットに手が伸びる。獄蝶のジョカは空になった煙草ケースを取り出して物思いにふける。
「タバコ、まだ吸ってたんだな」
「生徒の前では吸わないようにしているだけだ」
「銘柄は?」
「変わっていないさ。あの頃からずっと同じだ」
2人が子どもの頃、漠然と煙草は大人の象徴だと思っていた。20歳になった時に初めて吸った煙草は煙たくて苦くて、到底美味いとは思えなかった。けれど、その時はまだ、ある意味で2人は子どもだったのだろう。
「ん、吸うか?」
「くれ」
自分を知り、他人を知り、世界を知り、大人になった2人。隣に立っていたはずなのに、いつの間にかこんなことになってしまった。
苦手だった煙草を今でも吸う理由を、明確にすることはできない。でもきっと、言葉にすることができるのなら、それはきっと、目の前の相手の同じ理由。
獄蝶のジョカは咥えた煙草に火をつけて白煙を吐く。少し苦くて、吸った後はほんのり甘い。あの頃からずっと変わらない煙草の味。
「なんで今なんだ」
「ようやく実現できる算段がついた。それだけだ」
「とっくに諦めたのかと思ってた」
「あぁ、諦めていたさ。つい最近まではな」
だが、アステシアは見てしまった。奇跡を起こす魔法を。奇跡を起こせる魔法使いを。それだけではない。魔法世界とは隔絶された、理の外に繋がることができている。
可能性を見出してしまった。できると思ってしまった。そうしたらもう、止まることなどできなかった。
「なんで諦められなかった」
「なぁジョカ。お前は『魔法』についてどう思う」
アステシアのその問いに、獄蝶のジョカは上手く答えることができなかったのか、腕を組んで頭を悩ませた。一度は持った疑問だ。獄蝶のジョカは今みたいにその問いについて考えたことがあったが、何日も考えて出た答えは、正解はないという曖昧な言葉だけだった。
だが、今改めて獄蝶のジョカはその答えを得ようと思索する。魔法、呪いとも言うべき人間に備わった力。
「……ダメだ。無駄な思考が多すぎる」
「今のお前にこの質問は酷だったか」
「で、お前なりに何か考えがあるんだろ? 言ってみろよ」
「ズルい答えだと笑うなよ」
短くなった煙草をポイッと捨てて、アステシアは最後に白煙を吐いた。その表情は、覚悟を決めたように見える。
「魔法が在る理由。それは、魔法がなくなった時にわかる、だ」
「……なんだよそれ。私のしようとしてることは間違いじゃないですって言いたいのか?」
「違う。私の行動の正当性なんてありはしない。独善的で身勝手なことに過ぎないからな」
「じゃあなんだってんだよ」
怒りを隠せないまま獄蝶のジョカは言葉を吐く。だが、アステシアは怯みもせずに続けた。
「いつだって答えは過去を振り返った時にしかない。私たちの歴史の答え合わせは、私たちの足跡でするしかないんだ」
「だから、それがなんだって言うんだ! やらなきゃ何も変わらないって!? 馬鹿なこと言うなよ!」
獄蝶のジョカの感情を、アステシアは理解できた。自分のためではなく、世界のために、自分のために怒ってくれているのだと、アステシアは知っている。
「……『生きているだけでは存在証明になりはしない』。お前はいつもそう言っていたな」
蝶が生まれ持った羽を使うように、魚なら尾を、鳥なら翼を、獣なら爪と牙を。すべての生命がそうであるように、我々もそうあるべきだと、獄蝶のジョカは口癖のように言っていた。
「自分に備わっている力を使うことが、私たちの『存在証明』であると、私は信じている」
その時点で、獄蝶のジョカはアステシアの言いたいことを理解した。何が言いたいのか理解もできなかったが、ようやく分かった。
「……この世界を壊せる力があるなら壊すべきだって、そう言いたいのか」
「あぁ」
「……滅茶苦茶だ。ふざけたことを言うのも大概にしろ」
獄蝶のジョカは半分ほどしか吸っていない煙草をプっと吐き捨てて獄蝶で燃やし尽くす。アステシアの言おうとしていることは理解できた。
つまり、これまではできなかったけど、今ようやくできるようになったから魔法を消し去るよってことだ。それこそが、ルナ・アステシアの『存在証明』であると言いたいのだ。
「……魔法で奪われる命があるように、魔法で救われる命もあるんだよ。魔法がなくなれば、お前の望みは叶うだろうな。でも、他はどうだ?」
愛を求めた者がいた。きっと、いつまでも愛に飢え続けるのだろう。
心を求めた者がいた。きっと、理解できない苦しみに悶え続けるのだろう。
希望を求めた者がいた。きっと、深い絶望を味わい続けるのだろう。
自由を求めた者がいた。飛べない蝶のように、泳げない魚のように、不自由に囚われ続けるのだろう。
魔法がなくなった世界。それが本当に幸せだと言えるのだろうか。アステシアが言うように、その答えは、魔法がなくなった後にしか分からないことだ。
「アステシア。答えを急ぐ必要はないんだよ。私たちは、その為にこの道を選んだんだ」
次に託すために。求めた答えの正解を、きっと見つけてくれると信じて、獄蝶のジョカとアステシアは『教師』という道を選んだ。
「生き急ぐな。なぁ、アステシア。今度極東へ行こう。あの時より、少しはマシだろ。また一緒に、朝を見ようよ」
だが、獄蝶のジョカの言葉に、アステシアが首を縦に振ることはなかった。
「……なら、私はいつ救われるんだ?」
魔法が世界からなくならない限り、アステシアが救われることはない。けれど、魔法がなくなれば、今度は呪われた魔法使いたちが不幸になるだろう。
親友を犠牲にして世界を救うか、世界を壊してたった一人の親友を救うか。
それだけしか選択肢は残されていない。
「私は……もう後戻りできない。済まない、ジョカ。私は……私は…………」
「……そうか。わかった」
甘いはずの煙草が、酷く苦く感じた。
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