刃が切り開く先

 どうしてこうなってしまったのかを知ることができるものはいない。



「ここまでくれば大丈夫だろう」


「……ありがとうございます」



 ただ、裁かれるつもりで告白したつもりだったのに、いつの間にかヴェローニカは国綱に手を引かれて逃げ出していた。七曜の魔法使いの使命から、現実から。ヴェローニカは逃げた。遠く、ひたすら遠くへ走り、景色は変わっていく。

 夜の空に朝日が昇る。夜空が広がるノーチェスでは考えられない眩しい日差し。見た事のない世界が広がっている。そこはノーチェスを出た知らない土地だった。



「ここは?」


「ノーチェスの隣国。トリウスという国だ」



 2人はそこそこの値段のする宿屋を借りて身体を休めていた。無一文だったヴェローニカは受付でオロオロとしていたが、「臨時収入があったから」と言う国綱にスマートに奢られた。

 とはいえ、そこそこの宿屋で個室が2個取れるほどの金は国綱にはなかった。仕方なく2人はその宿屋でも格安の部屋を2人で使うことにして、今に至る。

 ベッドに腰を下ろし、ヴェローニカは深くため息をついた。もし、この逃避が七曜にバレたら、何をされるかわかったものではない。いきなり姿を消した国綱たちをバウディアムスが怪しまないはずもない。ため息が出てしまうのも当然だろう。

 そんな状況だからか、ヴェローニカはかなり疲れている様子でベッドの隅で縮こまっている。ふと国綱がヴェローニカを見ると、金色の艶やかな髪が乱れているのを発見した。



「髪、崩れてるよ」


「さ、触らないでください!」



 ヴェローニカの髪に伸びた国綱の手を叩き、ヴェローニカはヒステリックに叫ぶ。壁が薄く、その声が響いてしまったのか、隣の部屋から壁を叩きつける鈍い音がした。

 ヴェローニカは慌てて身を隠すように国綱に背を向ける。その瞬間、金色の長い髪が揺れて、その奥にあるものがハッキリと見える。国綱は、それを見逃さなかった。



「それは――」


「……だから嫌だったんです。こんなの、気味が悪いでしょう」



 あの日、ヴェローニカの秘密を知った日も、こんなことがあった。髪に触れた瞬間に、その手を叩かれる。これは2度目だ。けれど国綱には、ヴェローニカが髪を触られることを嫌がっているようには見えなかった。

 その理由を、国綱は理解した。国綱が見たのは、人間のものではない、だった。怯えるように両手で耳元を隠すヴェローニカに、国綱は小さく、優しい声で言う。



「エルフ……なのか?」


「……もう、隠す必要もないですわね」



 ヴェローニカがその長い髪を耳にかけると、国綱が見た耳が顕になった。一瞬、国綱自身も見間違いだと勘違いしそうになったが、そんなことはなかった。



「私はエルフ種。人間ではないんです」


「……君には驚かされることばかりだな」



 本当に驚いているのか、国綱が浮かべているいつもの笑顔はなかった。呆気にとられたような表情で、国綱はヴェローニカの耳を凝視する。

 エルフ種。種族としては最上位の、精霊や神にも近しい種族だと言われている。だが、森林の減少や魔法による環境の悪化によって、エルフ種は年々数を減らしている。

 だが、そんなことを国綱が知るはずもない。極東にはエルフ種なんて種族は存在せず、極東に来たのもごく最近の話だ。国綱は今までずっと気になっていたことを聞いた。



「エルフは長寿だって聞くけど、本当のところどうなんだい?」


「知りません。私以外のエルフを見た事がありませんから」



 思わぬ所で国綱は地雷を踏んだ。好奇心を抑えることができず、何も考えず質問してしまった自分を国綱は恥じる。



「……ごめん。デリカシーなかったね」


「女性に年齢を聞くのも、髪を勝手に触るのも辞めた方がいいと思います」


「いや、僕はただエルフの特徴とかを知りたくてね? 決してそんなことを聞こうとしたわけじゃ――」


「でも貴方、『髪ふぇち』なんでしょう?」



 言い慣れないような口ぶりでヴェローニカは言った。純真そうな顔をしてなんてことを言うんだと、国綱は思いながらヴェローニカから顔を逸らす。今だけはなぜか、ヴェローニカの顔を見ながら話ができないと感じたからだ。



「……な、なんのことかな」


「モニカさんから聞きました。騎獅道がそう言っていたと」



 とぼける国綱に追い打ちをするように、ヴェローニカは言う。欠片の悪気もないことはヴェローニカの顔を見れば分かる。だが、国綱にしてみればこれほど耳が痛い話はない。



「あれでしょう? 貴方は髪が好きな人なんでしょう?」


「あの……いや、そういうのじゃなくて……」


「……もっとひどいのですか?」


「断じて! そんなことじゃないから安心してくれ!」



 必死に弁明するうちに国綱の声量は大きくなっていき、先程よりも怒りのこもった壁を叩く音が響いた。



「本当に辞めた方がいいですわよ……私の髪を触ろうとしてたのもそれですか?」


「それは……あれだよ、髪が乱れてるのを見つけたから……」


「私に直接言えばいいでしょう」


「…………いや……その」


「……本当に辞めた方がいいと思います」



 何も言えなくなってしまった国綱にヴェローニカは軽蔑するような眼差しを送る。申し訳ない気持ちで国綱の心臓は爆発しそうなほど拍動していた。

 いつの間にか、重苦しい空気は少し和らいだようで、ヴェローニカの顔にも笑顔が増えたように見える。



「さて、これからどうしようか」



 国綱はヴェローニカと一定の距離を開けてベッドに腰を下ろす。身体は思った以上に疲れているのか、気を抜けば眠ってしまいそうだった。それは国綱だけではなくヴェローニカも同じなようで、枕を抱きしめて横になっている。



「……もう、戻ることはできませんわ」


「いっそのこと、『七曜』側につこうか」


「…………何を言っているんですか?」


「いやいや。君を守ることを考えるなら、それが1番賢明だと思うよ」



 確かに、間違った判断ではない。「任務は失敗した」、という体でスパイを辞めれば、ヴェローニカが『七曜の魔法使い』に戻ることは可能だ。失敗した場合に何があるかは分からないが、今の現状よりはいいかもしれない。それが国綱の考えだった。



「でもその場合、貴方はどうなるのですか」


「どうしようかな。どうせなら、僕も『七曜の魔法使い』になってしまうか」


「……どこまで馬鹿なんですか、貴方は!」



 ベッドに拳を振り下ろし、ヴェローニカは声を荒らげる。もう隣の部屋から壁を叩く音は聞こえてこなかった。

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