神精樹の古書館 ―3―

 パーシーと旭に置いてけぼりにされたモニカは、1人であるコーナーの本をじっと眺めていた。かなり古い極東の書物がずらっと並んでいる本棚だ。中にはボロボロな本や、虫食いが激しく簡単に千切れてしまいそうな本が大切に保存されている。モニカはその中の一冊を壊さないように恐る恐る手に取った。



「……これだ」



 モニカだ手にした本は、昔の極東の字で「妖なる者」と書かれた、本棚の中でも1番古い本だった。思わぬ所でモニカは今最も必要としていたものを発見した。



(私は、知らなくちゃ。妖のこと。ソラと、八重さんのことを)



 モニカはまだ妖のことを、ソラのことを知らない。妖とは一体どういう存在なのか。九尾の狐はどんな妖なのか。そして、たびたびモニカが耳にする「繋ぐ者」とは。なぜ、自分は妖が見えるのか。モニカはまだ、何も知らない。

 モニカは1ページ、1ページを大切にめくる。その中には見た事のあるあやかしもいくつか記されていた。実技試験で見た見越し入道、毎日美味しい餅を提供する盤星寮の静か餅。それ以外の見たことの無い妖をじっくり目に焼き付けて、再びページをめくると、そこにはモニカのよく知る名前があった。



「…………なに、これ」



 ある程度極東の言語を読めるモニカでも、そのページの言葉は途切れ途切れでしか解読できなかった。3分の1も読めなかったページだったが、が恐ろしい存在であることは、薄々感じることができた。

「夜」、「獅子」、「真王」、「女」、「輪廻」、「矛盾」、「ひつぎ」、「偽」、「王道」、「王墓」。読み取れたのはそれぞれの単語だけだった。見開きのページの隅々まで、モニカは目を通した。そして、やはりこのページは、を記したものなのだと、改めて理解してしまった。なぜ、妖を記す本にこの名前が刻まれているのか、モニカには分からなかった。



「……っ、て」



 そこには騎獅道と書かれていた。モニカが分からないはずもない。それは、旭の性だった。極端に苗字で呼ばれることを嫌っていた理由が、モニカは何となく分かった気がした。モニカが考え事をしていると、背後から誰かの気配がした。



「『彼の者、星の光に導かれ。月と蝶は夜空を創り、未来を護る。星は交わらぬ道を繋ぎ、夢は終ぞ途絶える』……」


「誰っ!?」


「あっはは! モニカちゃんってば驚きすぎ!」


「そ、ソフィアちゃん……」



 何か、予言めいたことを呟きながら、ソフィアはいつの間にか現れた。ソフィアの視界から隠し、モニカはパタンと勢いよく本を閉じた。モニカにソフィアの言葉は届いていなかったのか、何事も無かったかのようににっこりと笑って振り返る。



「得意魔法、モニカちゃんはもう調べた?」


「う、まだ……」


「じゃあ、私とやろ? 私も今からなんだ〜」



 モニカはソフィアと共に本とコップに注がれた水を持って自由スペースに場所を移した。得意魔法の調べ方にはいくつか種類がある。今回モニカとソフィアが試すのは、「水と血」という判別方法だ。

 コップに注がれた適量の純粋に、対象の血液を1滴垂らす。そして、血が水に完全に混ざる前に魔力を込めることで、コップの水が変色する。



「じゃ、私からいきまーす!」



 ソフィアが人差し指を噛み切り、指先から鮮血が滴り落ちる。水の中に落ちると、血はゆっくりと透明な液体を染めていく。そして、ソフィアが水に魔力を込めると、じわりじわりと液体は変色していった。



「……おぉ。すごい……けど、これ何色?」


「多分、金……色かな?」


「もっと魔力込めちゃおう」



 ソフィアが再び水にめいっぱいの魔力を込めると、コップの中の水が、古書館の僅かな光を反射させてギラギラと輝き始めた。



「うぇ、眩しっ……! これは間違いなく金だね……」


「目開けられない……早く止めて……」



 ソフィアが手を緩めると、水は徐々に輝きを失っていき、やがてただの薄赤く染まった水になってしまった。



「私の得意魔法は「金」かぁ……実感ないなぁ」


「「金」ってどんな特徴だっけ……?」


「えーっと、「信念、意志の強い性格」……だって。」


「……当たってる?」


「当たってない」



 ソフィアの得意魔法は「金」。「金」の性質を持つ魔法使いは行動力や強い理念、合理性を与える特徴を持つ。だがその反面、判断が大胆になったり、豪胆な態度になってしまうこともある。



「ってことは、苦手な魔法は「風」と「土」かぁ。まぁ、私攻撃魔法苦手だからいいんだけどさ」


「なんか、あんまりソフィアちゃんっぽくないね」


「……そう?」


「うん。私、「風」の性質だと思ってた」


「自由人だって言いたいの〜?」


「あははっ! くすぐるの無し!」



 古書館の自由スペースで、2人は静かに笑う。耳を澄ますと微かに聞こえるくらいの声量で、時間を忘れるほど楽しそうにじゃれあった。ひとしきり笑った後、呼吸を整えてリラックスしたソフィアは言う。



「じゃあ、次はモニカちゃんの番ね」


「うぅ……緊張するなぁ」


「大丈夫だって。どうにもならないよ」



 ソフィアはもう1つ、コップに入った水を用意する。モニカは何度も深呼吸を繰り返し、心を落ち着かせている。



「よし! 行くよ!」



 覚悟を決めたモニカは、勢いよく親指の先を噛み切り、傷口からじわりじわりと血が滲む。モニカの指を伝い、血は雫となって水に混ざり、ゆっくりと濁らせていく。

 モニカが水に魔力を込める。ゆっくり、丁寧に、水の様子を見ながら魔力を注ぐ。だが、水には一向に変化が訪れず、血は水に混ざりきってしまった。



「……ちゃんと魔力込めてる?」


「込めてるよ! も〜なんで変色しないの〜!?」


「もっと思い切って! ほら、どかんと一気にやっちゃおう!」



 モニカはソフィアの言葉に従い、コップの水に全力で魔力を注ぐ。ソフィアの言う通り、魔力に勢いよく魔力を込めると、変化はすぐに訪れた。

 だがそれは、本来水の色の変化で属性を見極める「水と血」の方法とはまったく異なる変化だった。コップや机、辺り一帯の本棚がカタカタと揺れ始める。



「ちょ、やばっ……なにこれ!」



 そして、コップの中の水が宙に浮き、徐々に凝縮していく。モニカが魔力を込める度、水は小さくなっていき、少し大きい水滴程度の大きさになった。



「……ど、どうなったの?」



 モニカとソフィアがじっと水を見つめると、宙に浮いたままの水滴が、赤黒く変色する。凝縮していった水滴は、今度は段々と大きくなっていく。水風船みたいに、破裂しそうなほど水滴は暴れ回り、いつの間にかモニカの身長を大きく上回ってしまった。



「こ、これ……どうしよう……?」



 真黒に染まった巨大な水は、古書館にいた全員から注目されていた。今まで静かだった古書館がざわざわと人の声で騒がしくなる。

 水を支えているモニカの腕がぷるぷると限界を訴えている。モニカの身長の何倍もの大きさに膨れ上がった水滴が、今にも落ちそうなほど震えている。



「もうっ……限、界」



 遂に限界を迎えてしまったモニカは、水を支えることができなくなり、パッと手を離してしまう。巨大な水は、一瞬だけ重力に従って落下した。



「はぁ……目を離した隙に、何をやっているんだ」


「あ……アステシア、先生」


「もっと安全な方法を試せ」



 さっきまで入口付近で眠っていたアステシアが、モニカの肩に手を置いて巨大な水を支えていた。水に手をかざし、ぎゅと手を握りしめると、古書感に浮いていた巨大な水はアステシアの手のひらサイズにまで縮まってしまった。



「す、すごっ!」


「さて、これの処分方法だが……」



 アステシアはモニカの方を向いて、手のひらに乗せた水滴をモニカの顔に近づけて言った。



「飲め」


「…………え?」

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