焔の心 ―2―
焔。
それは、旭が使用する魔法の性質。焔の魔法を使用できるのは、独自に作り出した旭だけだ。火ではなく、炎ともまた違う。そこに互換性は存在せず、ほむらは火炎系の魔法とはまったく異なる能力を持つ。
それは、記憶と理解。
この能力を使って、「獄蝶」の魔法構造を理解し、獄蝶のジョカ以外で唯一「獄蝶」を扱うことができるようになった。
そしてこの戦いでも例外はなく、旭は八重の放った「”殺生・炎天”」を吸収し瞬時に理解した。妖気、妖術の性質と構成。そして、妖という存在にまで手を触れることによって、旭は人間と妖を隔てる扉をこじ開けた。
だが――
(…………くそったれが)
旭の攻撃は確かに八重に届いた。完全に不意をつき、直撃したはずだった。それでも八重はかすり傷程度しか負わず、最後に放った旭の決死の攻撃も虚しく、八重は疲れた様子すら見せない。土埃を被って咳き込む八重が、地面に倒れ込む旭の目の前に現れる。
「死んだら祟ってやるよ」
旭の前にいるのは、獄蝶のジョカと同じ称号を持つ妖。玉藻の前、又の名を「九尾の狐」。最強の妖、伝説の神獣とされ伝承されている。その名に偽りはなく、旭はそれを身をもって実感していた。
「悪いな、エストレイラ。俺じゃ無理だったわ」
ソラを抱えたモニカが土埃の奥から現れる。ぼろぼろになった旭の姿を見て、ハッと息を飲み、旭に駆け寄る。
「なんで……なんでこんなになるまで戦ったの……私の事、苦手だって……嫌いだって言ってたのに……」
意味はない。旭はこの期に及んで、この戦いに意味を見出そうとはしなかった。答えはもう分かりきっているのに、知らないふりをしていた。
「泣くなって、それよりも今は……」
3人の眼前には、完全に妖としての力を取り戻した八重が立っている。全盛期の100分の1にも満たないが、それでも旭を倒し、モニカを抑え込むには十分すぎるほど回復している。まだ八重の尾は1本しかないというのに、既に倒せる未来が見えない。だが、旭の盾になるようにモニカとソラが八重に立ちはだかる。
しかし、戦いの幕は思いのほか呆気なく閉ざされた。
「……ここまでじゃな」
八重はそう言って肩を落とす。八重の全身が、白い光に変わり、身体が崩れていく。
「……な、何が起こって」
「この身体が限界を迎えた、ただそれだけじゃ。元々即席の代償で用意した妖の身体。永くは持つまいと思っていたが、まさかこれ程早く訪れるとはな」
八重曰く、死者、妖が理を破り、現界にたどり着いたとしても、そこに肉体はなく、思念体だけしか残らないのだという。しかし、いくら理を破ろうが、それではソラを連れ戻すことができないと考えは八重は、もう1つの代償を払って妖の身体を構成させた。
「寿命じゃ。数百年分のな」
「じゃあ……!」
「気に病むな。妾は死なぬ。そう簡単には死ねぬようになっておるからな」
瞬く間に八重の身体が光となって消えていく。見ていることしかできず、旭たちはその光景をただひたすら目に焼き付けていた。
「勝負は妾の勝ちじゃ、だが――」
もう半分ほどしか残っていない身体を動かし、八重はモニカの方に身体を向けた。
「モニカとやら、妾の娘をお主に任せてもよいだろうか。この調子では、妾は面倒を見てやれんのでな」
「……いいんですか?」
「何を言う、お主以外に誰がいるというのか」
ソラがこれほどまで懐いて、心を許した人間はモニカが唯一だ。当の本人は子どもみたいに涙で顔面をぐちゃぐちゃに濡らして、母との別れを惜しんでいるようだった。
「お、おかあさま……」
「……心するがよい、ソラ。お主はこれから、まだまだたくさんのことを経験するであろう」
母との別れよりも、もっと辛い、目を背けたくなるほど苦しく絶望に満ちた道になる。まだ幼いソラは、これから数え切れないほどの思い出をモニカと作っていくのだろう。そして、その経験と思い出に彩られ、ソラは育っていくはずだ。
「じゃが、妾の背を追うのだけはやめておけ。九尾の狐になど、なってはならぬ」
八重のその言葉は、まだソラには届かないようだった。言葉が難しすぎたのか、意味を理解しきれていないのか。こてんと首を傾げて、純粋な瞳で八重と目を合わせる。
「うむ、穢れひとつない美しい瞳じゃ」
純白の姿。純粋な心。穢れひとつない瞳。その全てが、八重とは正反対だった。
「運命に恵まれたな。その出会いを大切にするんじゃぞ」
「はいっ……!」
別れの言葉はそれで終わりだったらしい。もはや抵抗することもしなくなった八重は、徐々に形を失っていく。上半身の半分までなくなってしまった時、八重が目を見開いて言った。
「最後に……小僧、名をなんと申す」
「……騎獅道旭」
「……あぁ、やはり……ふふ。なんの因果かな」
「何言って……」
「有無を言わず受け取るがいい。妾からのプレゼントじゃ、後生大事にせよ」
指先一つ、八重を包み込む光が収束し、1つの欠片となって雫のように滴る。光の欠片のように見えたそれは、黒と白の色をした不思議な石だった。灰の色ではなく、まるで陰陽のように混ざり合うことなく、それぞれが個々の色を引き立てている。
「おかあさま!」
「……ふふ、愛い子じゃ。最後に甘えるなんて、ズルいことをする。これでは別れが惜しくなってしまうではないか」
そう言う八重の目は微かに涙で濡れていた。ソラを撫でながらも、八重はずっと涙を堪えているように見えた。しかし、その涙をソラに見せることはなく、完全に消滅するまで、八重は涙を流すことはなかった。
「おかあさま! また……今度は、私から会いに行きます! 絶対です!」
最後の一瞬に散った一滴の涙が、風とともに空に去っていく。
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