八重の桜 ―3―

「ちょっと待てバカ狐」



 満足そうに昔話を語り、放心中の八重の背中を蹴り上げて、怒ったように旭が口を開いた。



「結局お前が人間を怨む理由なんかねぇじゃねぇか」


「な、何言ってるの旭君! 八重さんはあの男の人を殺されちゃったんだよ……!?」


「違う。それはこいつか人間を怨む理由にはならない」



 頓珍漢なことを口にする旭にモニカが抗議する。だが、その場にいる誰も、モニカの方を持とうとはしなかった。



「その男は、死んだんだろ」



 モニカはハッと息を飲んだ。男の命は、理不尽に奪われたのではない。男はあの時、命を狙われていた八重のために命を散らしたのだ。八重を助けるために平の京を滅ぼした結果が、男の死だった。それは決して、人間のせいではなかったはずだ。



「全部、お前が招いた結果だ。それを怨むのはお門違いってやつだろ」


「……ふふ、そうじゃな。お主の言う通りじゃ、小僧」



 八重は願ってしまったのだ。まだ生きていたいと。そして、人と共に生きる世界を。それが、男に京を滅ぼす決断をさせてしまった。それ以外の道もあったはずなのに。



「その男と逃げればよかっただろ。それが、お前の本当の望みだったんだろ」



 八重が心の内に隠していた本心を、旭が暴く。八重は、自分が本当に望んでいた未来を頭の中で思い浮かべて少し悲しそうに口角を上げた。妖と人間が隔てなく生きる世界など建前だ。ただ、京へ足を踏み入れる前の、あの何気ない日常が、八重の唯一の望みだった。



「それが、どうしてこんなに曲がっちまったんだか、早く教えろよ」



 復讐をする真っ当な復理由ではない。だというのに、八重の怒りは復讐以外の何でもなかった。少しだけ間を空けて八重は口を開いた。



「……って………………ん」


「は?」


「だって、急にいなくなっちゃうんだもん!」


「…………は?」



 あまりにも想像の斜め上を行く八重の返答に、旭の思考がフリーズする。八重は可愛く顔をふくらませてバタバタと駄々をこねている。そしてソラを大切そうにぎゅっと抱き抱え、旭から距離をとり、今度はちっとも悪びれずに大声で言った。



「妾の娘が急にいなくなってしまったから! お主たちのせいだと思うだろうが!」


「親バカ……」


「どうとでもいえ!」


「はぁ……心配して損したわ」



 つまり八重は、急にいなくなった娘が人間にさらわれたと勘違いをして復讐をしにきたのだ娘を愛しているが故の行き過ぎた報復だったらしい。



「……ソラってもしかして、八重さんと話に出てきた男の人の子なのかな……」


「んなわけねぇだろ」



 モニカの疑問をバッサリと旭が切り捨てる。そもそも、時系列が合わないからだ。



「この子はな、妾のを分けて生まれた子なのじゃ」


「九尾の狐の尾って何でもできるな……」


「尾は時と共に回復していくが、1度命を孕めば二度本来の力は取り戻すことはできぬ」



 ソラを腹に宿した時、既に八重は九つの尾を犠牲にしており、それから時間をかけてゆっくりと力を回復していった。そして今度は、不完全な状態のままの尾を八つ代償として払って理の壁を壊してきたらしい。

 その話を聞いて、旭は冷や汗が止まらなかった。モニカはニコニコと、楽しそうに八重の話を聞いているが、旭はそれどころでは無い。今の八重は、であの強さだったのだ。



(全盛期……話に出てきた時のこいつの強さが計り知れない……)



 八重の昔話はそれで終わったが、問題はまだ解決していない。



「……さて、それでは」


「はぁ……」



 旭はうんざりしてため息をつく。八重の話を聞いて、旭の心は折れかけていた。



「帰ろうか」



 そう言って八重はソラに手を差し出す。こうなってしまうことは、八重の話を聞く前から分かっていたが、旭は考えないようにしていた。旭はどうにか説得できないかと考えていたが、それももうできそうにない。



「お、おかあさま……私は……」


「ん?」



 八重は、愛する娘を取り返しに来たのだ。



「ま、こうなることは分かってたけどな……」



 純善、純悪。あの時の悲劇を知っている八重はもう、人間を信用しない。愛する娘を守るためなら、人間を、理を、世界ごと壊す。

 旭の肌がジリジリと焼けていく。八重が青い炎を纏うのと同時に、焔が煌々と火花を散らす。今にもぶつかり合う2人に挟まるように、モニカが割って入る。



「ちょ、ちょっと待って!」


「……小娘、いくらお主がとはいえ、容赦はせぬぞ」


「退けエストレイラ、やらなきゃこっちがやられるぞ」


「そうじゃなくて……八重さん、ソラの……この子の話を、ちゃんと聞いてくれませんか?」



 モニカが目を向けた先には、ぷるぷると震え、今にも泣いてしまいそうなほど涙を堪えているソラがいた。



「八重さんの言ってることは……私にも分かります。大事な人は大切にしたいし、離れたくないのも分かります」


「……」



 旭は黙ってモニカの言葉を聞いていた。もう戦う必要は無いと判断したのか、焔を納め、バッタリと地面に仰向けで倒れ込んだ。

 旭と同じように、八重は動きを止めてじっとモニカの方を向いて動かない。パタンと耳を畳んで、耳を傾けているのだけは辛うじて分かった。



「でも……1回だけでもいいです。この子の話を、ちゃんと聞いてください」



 八重は渋々と言ったふうにため息をつき、大広場に腰を下ろして言う。



「……1度だけ、聞いてやる。その1度で、お主が妾を納得させられなければ……分かっているな」



 真剣な目つきの八重の前に、ぺたんとソラは腰を下ろす。体格や性格に違いはあれど、その姿からは、2人が親子なのだということが伝わってくる。よく似た背筋、座り方も同じだ。



「……私は、こちらの世界へやってきてから、楽しいことばかりでした」



 そして、ソラは話し出す。



「偶然モニカとあって、沢山のことを経験しました」



 一緒に暖かい布団で寝て、朝は一緒にフレンチトーストを食べて、たくさん遊んで、魔法の勉強をした。その日常のすべてが、ソラにとって尊いものであり、忘れられない思い出だった。



「おかあさまのことは大好きです。嘘じゃありません。おかあさまならわかるはずです」


「……ならば、なぜ戻ることを拒む」


「私は、もうおかあさまに守られるだけは嫌なのです」



 八重の紅い瞳にソラが映る。その表情に、言葉に、心に、一切の偽りはない。だからこそ、八重の目からは涙が溢れて止まない。悲しいのではない。今にも、自分の手から離れていく我が子が誇らしくてたまらないのだ。



「私は……ずっと分かっていました。おかあさまは、いつもどこか寂しそうで……私も悲しかったです」


「……だというのに、妾から離れていってしまうのか?」



 だが、それはそれとして、だ。親離れをしようとしているソラを八重は引き止める。だが、ソラの思いに、迷いはない。



「はい。でも心配しないでください! 私には、モニカがいて、心強い師匠もいます」


「ん?」



 そう言って、ソラは旭の方を向いてにっこりと笑う。一瞬絆されそうになった旭だったが、次の瞬間にソラの魂胆を理解した。



「そうか……師匠か」


「……恨むぞクソガキ」


「えへへ……!」



 八重の敵意が旭に向けられる。



「そこまで言うなら妾が試してやる、小僧。お主の実力が我が子を預けるに相応しいのなら、妾も満足して帰れるというもの」


「結局こうなるのかよ……」



 そして、火蓋は再び切られた。

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