怨炎 ―2―
「なんで、ここにいるのですか……おかあさま」
モニカの魔法書を両手で大切そうに抱えたソラが姿を現した。土煙は既に晴れ、ソラは空で闘いを繰り広げる旭と九尾の狐を見て、身を震わせている。ボロボロになりながら焔を纏う旭と、ぐったりと横たわるモニカを見て、ソラは声を荒げた。
「私の友達に、何をしているのですか!」
「……友……だと。自分が何を言っているのか分かっているのか!」
九尾の狐の意識が完全にソラに向けられる。ソラに近づこうと背を向けた瞬間を、旭は逃さない。しかし、旭の身体は思うように動かなかった。原因は、時間だった。
相手は”
闘っていた数分間、2人は均衡を保ってはいたが、消耗は明らかに旭の方が大きかった。それでも、旭は今にも燃え尽きそうなほど弱々しい焔が、九尾の狐に突き立てる。
「”
手持ち花火よりも小さい焔の矢が、無防備な九尾の狐の背に向けられる。届けと強く願いながら矢をつがえ、狙いを定めて矢は放たれた。
「その熱が
まるで、暑い夏の日の陽射しのような、突き刺すように肌を焼く気配に気が付かないわけがなかった。ひらりと、九尾の狐は旭の攻撃を躱し、トドメを刺そうと青い炎を操る。
「確かに、届けたぞ」
九尾の狐に避けられ、旭の放った火矢は情けなく落下していく。やがて、前に進む力を失い、自由落下していく火矢を、待っていたかのようにキャッチする。
「ありがとう、騎獅道」
手のひらを焼きながら、モニカが火矢を掴む。その傍らには、微かながら確かに九尾の狐と同じよう妖気を纏うソラの姿がある。
(火矢? なぜ今鏡の女に……いや、小僧やあの小娘では妾を傷つけることは……!)
1秒に満たない思考の末、九尾の狐は旭のトドメを刺すことを優先した。青い炎が旭を襲う。人影も残らないほど激しい、怒りと怨みが込もった青い炎が放たれ、数秒間旭の身体を燃やし続けた。
「はぁはぁ……これなら、跡形も残るまい」
「当たれば、ね」
声がしたのは下からだった。九尾の狐の青い炎の傷はなく、余裕の表情で九尾の狐を見ている旭の姿がそこにあった。
「貴女が鏡に映らないなら、映る方を移動させればいい。妖なんかと闘うのは初めてだけど、これ以外にも対処法は色々あるよ」
「鏡の女……!」
「倒す方法はいくらでもあるんだけど……あっちの子、貴女に用があるみたいだから、私はここで引かせてもらう」
パキンと、鏡の割れる音と共に、九尾の狐の視界に映るビアスの姿がひび割れる。次の瞬間にはビアスの姿は消えてしまう。そして、九尾の狐が振り向いた先にいたのは―――
「……小娘。悪いことは言わん。死にたくなければ、そこを
「断ります。私は貴女と話がしたい」
「おかあさま! 私からも、お願いします! この人間……モニカは、悪い人間ではありません!」
それは九尾の狐にとって、数千年ぶりの感覚だった。久しく忘れかけていた、忘れてはいけない記憶。己のためではなく、誰かのために。それも、種族も、存在する次元すら超えた、妖のために戦う姿。かつて、九尾の狐が目指した、理想の関係。
「……人間、なぜ頭を下げる」
「貴女とまだ何も話してない」
「何も……話すことなど」
九尾の狐が手を振りあげた瞬間、ソラが胸に飛び込んでくる。ソラの目はにはうるうると、少しでも刺激すればこぼれてしまいそうなほど涙を浮かべている。
「名前、名前を教えてくれませんか」
「……名を?」
「私は、モニカ・エストレイラです。私、貴女と仲良くなりたいんです。だから……」
「くだらぬ」
九尾の狐が吐き捨てるように言う。百年を超える年月、ずっと見てきた九尾の狐には、もう信じられなくなってしまった。
「人と妖が分かり合う未来など、もう……」
望めなくなってしまった。理想の世界を。だが、そんな九尾の狐の不信を、モニカがこじ開ける。
「……もしかしてなんですけど、九尾の狐さんって、人間のことが好きなんじゃないですか」
「何を言って……っ!」
モニカははにかみながら九尾の狐に質問する。顔を真っ赤にして、図星だと言わんばかりの慌てようで九尾の狐は否定する。
「俺らのこと何回も殺せるチャンスはあったろ。なのに、全部見逃してた。いつでも殺せるから……ってわけでもねぇだろ」
ボロボロの旭が2人の会話に割って入る。手足は焼けて焦げたように黒くなっている。爛れてはいないが、すぐに治療しなければ大事になってしまう。
「話をしようぜ。なぁ、九尾の狐」
そして、九尾の狐は語り始める。遥か大昔、九尾の狐が「玉藻の前」と呼ばれていた時代。人間によって引き起こされた悲劇。そして、九尾の狐が人間を怨むようになった過去を。
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