焔の記憶 ―2―
旭は、忘れていた過去を見ていた。正確には、謎の女によって「見せられていた」の方が正しい。二度と思い出さないために、記憶の奥底に閉じ込めていた記憶が、無理やり開放される。
ノーチェスの景色ではない。そこは極東だった。まるで映画を鑑賞しているみたいに、記憶には一切干渉できず、ただ映像のように記憶が流れていく。何も無い空白のような空間に旭は佇んで記憶を眺める。
「お久しぶりです、先輩」
生い茂る木々が揺れる森の中。大きな城のような豪邸の前で、1人の女が家主に声をかけていた。
「何をしに来た、ジョカ。こんな何でもない日に」
「いやいや、何でもないわけないでしょう。今日は、貴女の息子の誕生日ですよ」
その瞬間、家主のような女は腰に携えた刀に手をかけ、一瞬にしてジョカの首元に刃が突き立てられた。
「……戯言を。そんなことがあるはずがない!」
「全員殺したから……ですか?」
女は刀に力を込めて振り切った。確かに刃はジョカの首を切り裂いたはずだった。
「今日は、こいつの8歳の誕生日です。どうか今日だけは……一緒にいてもいいんじゃないですか」
「黙れ! 何も知らぬ部外者の貴様に何が分かる!」
家主の女は、随分と疲弊しているように見える。身体はやせ細っており、刀をひと振りしただけで息切れを起こしている。余裕のなさそうな表情でジョカを睨んで目を離そうとしない。
「わざわざ見ていろというのか。あの悲劇を、あの惨劇をまた!」
「先輩、落ち着いて―――」
「近づくな!」
空気が張り詰める。あと一歩近づけば貫かれてしまうほどの距離に、ぷるぷると震える刃を突きつけている。対するジョカは動じず、話の話題にも出ている男の子の頭を優しく撫でて背後に隠した。男の子はジョカの服を掴み、ギュッと目をつぶっている。
「私は、何も知らないわけではありません」
ジョカのその言葉を聞いて、家主の女が目を見開く。
「……調べたのか。私の、騎獅道の家系について」
「不快にさせたのなら、今この場で斬っていただいても構いません」
家主の女は少し考えて、大きくため息をつく。そして、驚くほど丁寧で洗練された手つきで刀を納刀して言った。
「子どもの前だ。そんなことはしない。それに……お前は私の大切な後輩だ。殺すような真似はしない。だが―――」
ジョカの背後に隠れる男の子を見て、家主の女はまた何かを考えるように動きを止める。
「私には……できない。もう見たくないんだ」
ただ、その光景を眺めていた。
(
旭が考えていると、記憶がまた動き出す。誰かに操作されているみたいに、映像は途切れ途切れになりながら、記憶旅行は再開された。
(今度は……あの城の中か?)
「もうすぐ、日が変わる。旭も、今はもうぐっすり寝ている」
大きなテーブルを、2人の女が囲んで話をしている。赤と黒の部屋の中、奇妙な雰囲気が漂う。紅茶をすすりながら、家主の女は口を開いた。
「……私は今まで何をしていたんだろうな」
「さぁ、私には分かりません」
「旭は……優しい子だな。お前が育てただけはある」
旭、と名前を呼ぶ女の顔には少しばかり笑みが見えた。
「だが、もう―――」
そして、記憶旅行は終わりを告げる。
*
辺りは暗闇だというのに、頭の中は真っ白だった。
「悪いが、放心はそこら辺にしてもらおうか」
謎の女が旭に声を掛けた。
「今見せたのは君の記憶の一部だ。何か手がかりはあったかな」
「……あんなもんを見せて、お前は何がしたいんだよ」
「ん〜、強いて言うなら、観察かな」
謎の女は続けて言う。
「君がどちらを選択するのか見ていたいのさ。どんな結末を迎えようが興味はないんだけどね。どういう経緯で、どんな意志を持って選ぶのかを知りたいのさ」
「なら、とっとと失せろ」
記憶旅行から戻ってきて放心しているのか、それとも、忘れていた記憶の断片を見せられて何かを悟ったのか、旭に数分前までの焦りはなかった。何故か、自分が何をすべきか、分かるような気がした。
「お前の正体も、何となく分かる。殺されたくなかったら今すぐここから消えろ」
「あははっ、怖いな〜。じゃあ、君の言う通り、大人しく眺めさせてもらうよ」
君の哀れな人生をね
そう言い残して、謎の女は暗闇に姿を消した。瞬間、ぷつりと緊張の糸が途切れたように、旭の身体は重力に逆らえずぐったりと倒れ込む。
(眠い……)
「うげ……」
目を閉じようとしたその時、草陰から白い髪が見えた。
「お前、ここが寝床なのですか?」
「……お前って呼ぶな、クソチビ」
「ふん、身動きが取れないヤツなんて怖くないのです」
獄蝶のジョカと闘った後と、同じように、どこからともなくソラがやってきた。ふみふみと、小さな足で旭の頭を踏んでいる。
「ここで寝たら風邪引きますよ」
「いいんだよ。野宿は慣れてる」
「ふーん、そうですか」
ギリギリ焼け焦げていない青い芝生の上で、旭は目を閉じた。まだ、まぶたの裏には記憶旅行の感覚が微かに残っていて、感覚を研ぎ澄ませれば、また何かが思い出せるような気がした。
だが、旭にもうそんな活力はなく、ただゆっくりと眠りにつくだけだった。
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