魔法使い ―6―

「覚悟ができたら、扉を開けなさい」


(……短かったけど……いい人生だったなぁ……)



 家の扉の前に立ち、モニカは先程とは違う意味で死を覚悟した。モニカの母、アンヘル・エストレイラは、一言で表すなら「温和」な人だ。「母親」として、モニカと接する時は、柔和で優しく愛のある理想の母のような振る舞いをしている。母として、家族のことを何よりも大切に考えて生きている。

 ただし、温和=怒らない、ではない。時に厳しく、しかし愛を持って、アンヘルは烈火の如く起こる。最後にモニカがアンヘルに叱られたのは、1年ほど前のこと。空を飛ぶ魔法の練習のためにパーシーを連れていき、崖から飛び降りて死にかけた日だ。近頃同じようなことがあった気がしなくもないが、この日モニカは小一時間怒られた。ゆっくりと、扉を開ける。数センチほど開いたところで、アンヘルが口を開いた。



「パーシーちゃん、あなたは早く帰った方がいいわ。親御さんが心配してるわよ」


「は、はい!」



 モニカが怒られている場面を見たことがあるパーシーも、もちろんアンヘルの恐ろしさを知っている。両手を合わせ、「ごめんね」とつぶやき、可愛らしく舌を出しながらパーシーはしっぽを巻いて逃げ出した。ついに頼れる親友さえ失ったモニカは覚悟を決め、家に足を踏み入れた。



「……家に帰ってきたら?」


「た、ただいま」



 入ってすぐ、美しい姿勢で椅子にすわるアンヘルの姿と、机の上に置かれた白紙が目に映る。アンヘルの対面にはモニカが座る用の椅子が用意されており、アンヘルは手で指示して、モニカもぎこちない動きで椅子に座る。目の前には冷たい視線を送るアンヘルがいる。これから一体何を言われるのだろうと、モニカは少し俯いた。



「アージェントさんには、謝った?」


「は……う、うん」


「そう。ならいいわ」



 返事が素っ気ない。いつもなら「!」が5つくらいは付きそうなほど怒るはずだが、何かがおかしい。



「…………ごめんなさい。こんなことが言いたいんじゃないの」


「なんで、お母さんが謝るの……?」



 悲しい顔を、している。初めて見る、不安とはまた違う悲哀に満ちた表情だ。なぜ、そんな顔をするのだろうと、モニカも悲しくてたまらなくなる。アンヘルは、誰よりも笑顔が似合う人だ。この世界にいる誰よりもきっと、笑った顔が周りまでも幸せにさせる。そんなアンヘルが、静かに涙を流す。



「私は……ちゃんとモニカの事を見ていなかったのかもしれない。「怖いものが見える」と言ったモニカの言葉を、真剣に受け止められていなかった」


「そんな……そんなの、みんなそうだよ!」


「違う。私は「みんな」じゃないわ。一人しかいない、モニカの「母親」なのよ。なのに、私はモニカを信じていなかった。ごめんなさい」



 どんなものよりも重い母としての役目。それを果たせなかったと、涙を流す。親が子を信じれなければ、一体他に誰が信じてあげられるというのだろう。



「今度は、いっぱい聞かせて。あなたの大事な、小さなお友達のこと」


「うん」



 母なりの、覚悟だったのだろう。もう、アンヘルの目に涙はなかった。母が信じてくれるのなら、それ以上に心強いものはありはしないと、モニカは胸を張る。そして、アンヘルは机に置かれた1枚の白紙をモニカに差し出した。



「モニカ宛よ。受け取りなさい」



 訳も分からず、モニカは紙を手に取った。その瞬間、モニカの指先から紙はジリジリ焼け焦げていき、本来の姿を見せる。黒い紙に白い字で書かれた招待状。宛先はモニカ・エストレイラ、送り主は……



「バウディア……ムス……?」


「モニカ、あなたには選ぶ権利があるわ。でもそれと同時に、選んだ責任も伴う。私は母として、あなたを応援したいと思ってる。その招待状に価値を見出すのは、あなた次第よ」



 ずっと夢でしかないと思っていた。理想は理想のままで、このまま夢を見続けて死んでしまうのかと思ってまでいた。奇跡のような、一縷の望み。これに賭けてみるのもいいのかもしれない。



「私、やりたい。挑戦したい!」



 大魔法使いになるための、最初の0歩。

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