第六話:オタクな彼女 上
図書室の奥にある資料室。僕は無表情の漆茨さんの隣で本の背表紙に学校名と管理番号の印字されたシールを貼っていた。ここ数日にわたって行っている新規入荷した本の貸し出し準備だ。
本来図書委員の仕事だけど、今回の新旧入れ替えの本はやたらと多いようで、人手が足りなくなったから助けて欲しい。そう図書委員の漆茨さんに言われてやることにした……らしい。
らしいというのは、今朝この世界に帰ってきたばかりの僕は日記に書かれていたのを読んで知ったからだ。
今日までの二ヶ月弱で世界線の移動は十五回以上起こっている。そこまでは数えていたけどその意味もないだろうとなって数えるのは止めた。
それだけ繰り返して分かったことは二つある。
一つ目は、僕はどの世界の漆茨さんと目を合わせても拒絶されるような幻覚は見ないということだ。
麗し茨さんと普通に目を合わせられたことから、他の世界でも試してみたら問題なかった。
とはいえ彼女の時と同じように至近距離で向い合って話をしたわけじゃなくて、すれ違う時とかたまたま近くに来た時に目を見るようにしただけだからもしかしたら不正確かもしれない。
じゃあ他の人はどうかというと未だに目を見ることは出来ない。これまでと変わらず見るとそこに幻覚が立ち現れてすぐに目を逸らしてしまう。
それは鞠寺君も例外ではなく、それどころか人物像が曖昧になり始めているからもっとタチが悪い。
鞠寺君が責任感のある優しい人だとは分かっているけど、他の世界で見た何人もの彼の表情や発言がちらついて性格がぼかされる。だからどれが元の世界の鞠寺君のものなのか判断しきれなくなってしまった。
でも漆茨さんにそれは起こっていない。何回世界を移動しても漆茨さんだけは他の世界の彼女と重なることはなかった。
一貫した無表情のおかげだろう。
そして分かった事の二つ目は、今のところ他の世界には無表情の漆茨さんはいなかったことだ。
これは世界移動を繰り返すうちに気付いたことでもあるけど、無表情に悩んでいるのは元の世界の漆茨さんだけで、別世界の彼女は全員性格や振る舞い、顔つきが露骨に異なっていた。
陸上部のエースになっていたり不登校になっていたり美術部で活躍していたり、行く先々で別々の彼女を見てきた。
もしかしたら行った世界全てであからさますぎる程に異なっていることがどの漆茨さんにも幻覚が伴わない理由かもしれない。加えて一度元の世界に戻ってきて無表情を見ることによって彼女の印象がリセットされることで、別世界の彼女たちの目にも幻覚が映らなくなっているのかもしれない。
結局やっぱり、無表情の漆茨さんのおかげなんだろう。
そう思いながら横顔を見ていると「どうかした」いつもの語尾が上がらない質問がきた。
「ううん、何でもない」
「そう。なら手を動かしてくれると嬉しいのだけど」
「ごめんごめん」
謝りながら手元の本とシールに視線を落とした。
他の世界から戻ってくる度に漆茨さんの無表情を見て僕はいつも安心している。
戻ってきた実感を得られるし、よく話しかけてくれて何も気にせず会話ができるから。
そしてその安心感のおかげで世界移動に対する忌避感も少し和らいでいる。
でも、だからなおさら不思議だ。
どうして漆茨さんだけが毎回別人みたいに変わるのだろうか。
他の人は性格や言動が微妙に変わるだけで顔つきや身長まで変わるのは稀だった。
漆茨さんの性格を基準に移動する世界線が選ばれているんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
でも世界線の移動と漆茨さんの無表情が関係しているとは思えないし、関係しているとしても理由は分からない。
きっと今はまだ試行回数が大した数じゃないから変化が漆茨さんに偏っているだけだろう。
もっと移動すれば無表情の漆茨さんも出てくるはずだ。
とはいえ、僕としてはどの世界とも被らない漆茨さんがこの世界にいるからこそ安心できるから、他の世界にはいて欲しくないと思う。
「深青里君、また少しズレてる」
全く別のことを考えていたせいか、普段の不器用さに磨きがかかってしまった。
「ごめんこういう細かい作業得意じゃないから」
「深青里君が不器用なのは知ってるわ」
「なら丁寧にやる代わりに少し遅くなっても文句言わないでくれると嬉しいな」
「それ、昨日も聞いた」
「……そうだっけ?」
「えぇ。もしかして健忘症」
「あはは……」
まずったな。
日記には書かれているのは出来事だけで細かい会話までは書かれていない。何度も悩まされている世界移動の弊害の一つだ。
当たり障りのない受け答えだけならいいけど、少しまともに会話しようとするとこういうボロが出ることがある。これが続くとなんとなくギクシャクしてきて気まずさが滲んでくる。
だから基本的には極力最低限しか話さないようにしていたのだ。
「もしかして寝ぼけているのかも。ほら、六限古文だったでしょ? あれは眠くなるって」
「……それ、前も言ってた」
「そうだっけ?」
「やっぱり健忘症」
「…………」
誤魔化しの言葉を重ねても今は墓穴を掘るだけらしい。
移動直後に何か突っ込まれた時の常套句は元の世界ではあまり使わない方が良さそうだ。
「ぼ、僕が不器用だと分かっているならなんで誘ったの?」
気まずくなるのが嫌で話題を変えると漆茨さんは顔をこっちに向けた。
「暇そうだったから」
「……そっか」
確かに部活もやっていないしすぐに家に帰らなきゃいけない理由もないけど、バッサリ言われるとなんとなくショックだ。
「あとは私といることを苦にしていないようだし、私としても深青里君は一緒にいて……」
「……一緒にいて?」
「…………」
漆茨さんは口をパクパクとさせるだけで言葉が出ていない。無表情でそれをされると餌を待つ金魚みたいでちょっと面白い。
でも珍しいな、いつもハッキリ言う漆茨さんが言葉に詰まるなんて。
顔には言いたいことも考えていることも表れないから僕は漆茨さんの言葉を待つしかない。
しばらく金魚になっていた漆茨さんは急に口を結ぶと作業に戻って「気楽」ボソッと言った。
「そっか、ありがとう。僕も漆茨さんとなら気楽に話せるし、一緒にいられて嬉しいよ」
淡々とした口調でもその言葉が嬉しかった。
一緒にいて安心できる彼女と同じ気持ちでいられるのは良いことだ。
その気持ちを漆茨さんに倣ってそのまま伝えると、なぜだか彼女は固まった。
突然エラーで止めたロボットみたいだ。
その横顔に「どうかした?」と問いかけると、ゆっくりとした瞬きから再起動を始めて「何でもない。それより早くやって」僕を見た。
相変わらずの無表情に頷き返して、僕は作業に戻った。
* * *
朝目が覚めて日記を読むと、昨夜書いていないことが書かれていた。
世界を移動したということだ。
読んだ日記には特別注意した方がよさそうなことは書かれていない。今日も今日とて、どの世界にいても送れるようないつもの日常がこの世界でも過ぎているらしい。
いつも通り着替えて洗面所で歯を磨き始めた。
始めてすぐに前髪の長さが気になった。
元から目を隠せる長さにはしているけど今は鼻面まで伸びている。くすぐったくなってきたしいつもこれくらいで切ってもらっていた。
今週末にでも行こうか。
「あれ……?」
待て、おかしくないか。
口をゆすいで水を吐き出した時にふと違和感が頭に絡みついた。
顔を上げて鏡を見た。
見慣れた僕が僕を見返してきている。
別におかしなところなんて何もない。
部屋は配置含めて何も変わっていなかったし、日記だっていつも通り置かれて読んできた。
目の前の鏡に映っているのは何も変わらない僕だし、だから髪が伸びたことに気付いた。
何も変わっていない、違和感の一つもないいつもの僕なのだ。
「……なんで?」
そうだ、よくよく考えればそれはおかしくないか?
木ヶ暮市に戻ってきて再び世界移動が起こり始めてから、これまで僕は少なくとも十五回以上世界を移動している。そこには違う性格の僕がいたっていいはずだ。
でも今まで見てきた僕は全員髪が長かった。違和感を覚えないくらい、みんな長い髪をしていた。
もし僕自身と他世界の僕の性格が違うならそれはあり得ない。
僕が髪を伸ばしている理由は人の視線を感じにくくするためだからだ。
日記を書き始めたのは世界移動から戻ってきた時に前日までになにがあったか確認できるようにするためだった。
ということは、今まで移動した世界の僕はみんな、小さい頃に世界移動を経験して人の目が怖くなった僕なんじゃないか。じゃないとどの世界でも長髪であることと日記を書いている説明がつかない。
それによくよく考えるとどの世界に行っても今日は様子がおかしいとか性格が暗くなったとか、そんなことは言われたことがない。
話し相手の母数が少ないから、という可能性もあるけど、ほとんどの世界で話しかけてくれる鞠寺君にも言われていないし麗し茨さんの時も僕は普段通りの行動をしていたようだった。
となるとどの世界の僕も性格や考え方は似通っている可能性が高い。
思い出していくと他にも変わっていないものがあった。
毎回僕は同じ木ヶ暮北高の同じクラスにいるし、クラスメートの顔ぶれも変わっていない。性格は変わっていても人物自体は同じだった。
それは僕の世界移動の起点は、木ヶ暮市に戻ってきてクラス編成が決まった時点での北高に通い始めてからだからなんじゃないか。それより早い時点が起点となっているなら、下手すれば木ヶ暮市に来ていなかったかもしれないし、来ていたとしても他の学校に通っていたパターンだってあり得た。
そうなっていないということは、僕の世界移動は木ヶ暮北高校の二年生になると確定した時点を基準に起こっていることになる。
今まで全く考えたことなかった。
とはいえ、気付いたからといって何ができるというわけでもないけど。
でも一ついいことがあるかもしれない。
性格や考え方が同じなら移動した先の世界で誰かと積極的にコミュニケーションをとって何らかの約束をしてしまったとしても、ちゃんとそのことを引き継ぎさえすれば、残った僕も受け入れてくれる可能性が高いということになる。
考え方や性格が近しいなら、僕の行動や頼み事に理解を示してくれるはずだから
それならきっと、麗し茨さんの話し相手になるといった約束をあっちの世界に残った僕は引き受けてくれるはずだ。希望や期待ではなくほぼ確信になった。
おかげで少し気が楽になる。
数少ない、まともに話ができた人が辛い思いをするのはやっぱり嫌だったから。
良い気分が反映されているみたいに空は晴れていて太陽の日差しが眩しかった。まだ六月になったばかりだというのに登校するだけでも汗ばむようになった。
季節はもはや夏冬、花粉と歪な三季になったとネット上では文句を言われている。そのカテゴリでいうと今は立派な夏だ。
それでもまだ蝉の合唱は始まっていない。どころか梅雨にすら入っていない。夏本番になったら一体どれくらい暑くなるんだろうかと今から嫌になりそうだ。
そんなことを考えながら校門をくぐって下駄箱に向かっていると、丁度その方向から蝉を思わせるような騒がしい声が聞こえてきた。
張り上げられた声は最初何を言っているのか分からなかったけど、近づくに連れてハッキリとしてきた。
「誰か~! オカルト研究会、入らないか~!」
さりげなく目だけ向けると下駄箱の前に仁王立ちしたおかっぱ頭の女子生徒が看板を掲げて駆け回っていた。
どうやら下駄箱の前で来る人来る人に声をかけているらしい。
その看板には『オカルト研究会! 部員募集中!』と書かれている。
研究会なのか部活なのかどっちなんだろうか。
というかこの暑い中一人で大変そうだな。
立ち話に付き合うのも嫌だし部活に入るつもりもないから話しかけられないうちに早く下駄箱に入ってしまおう。
そう通り過ぎようとしたところで手首を掴まれた。
いきなりすぎて前につんのめりそうになりながら振り向くと、看板を持ったおかっぱの女子生徒がニンマリと笑っていた。
「深青里氏じゃないか!」
「…………」
不運なことに僕の事を知っているらしい。
そして顔を見て僕もその女子生徒のことを知っている事に気付いてしまった。
丸眼鏡の向こう側に見える目は赤茶色で笑顔であること以外は見覚えがある。
さらにうっかり目が合ってしまっても幻覚が立ち現れない。
そんな人は一人しか知らない。
「……漆茨さん?」
「いかにも! というかなぜ自信がなさそうなのだね?」
「……寝ぼけているからかもしれない」
「デュフフ! 抜けているところもあるのだな、深青里氏は!」
大きな声と顔の圧が凄い。そして笑い声が怖い。
というかここの漆茨さんからは深青里氏って呼ばれているんだ。仲が良いのだろうか。
漆茨さんは僕の正面に向き直って、両手首を掴んでグイグイと顔を寄せてきた。
「それよりもだ! 助けて欲しいことがあるのだ!」
「な、何?」
距離感のおかしさに一歩引きながら答えると漆茨さんはその分だけ詰めてきた。
「まず確認だが、深青里氏は何か部活に入っているのかね?」
「いや、ない……はずだけど」
ここに来たばかりであまり情報がないから確実ではないけど、どの世界の自分もほぼ同一の自分であるらしいことと、ラインなどでも特別なグループに所属していなかったことを考えるとこの世界の僕も未所属ということでいいだろう。
それが好都合だったようで、漆茨さんはニヤニヤと口の端をつり上げた。
「そうかそうか、なら一人目になってくれそうだ! 最早運命だな!」
「……なんのこと?」
「デュフフ、話は部室でしよう! とりあえず移動だ!」
「うわっ」
何がいいたいかは分かったけどそれでも一応確認のために聞くと、漆茨さんは答えずに掴んでいた僕の手首をさらに強く握って駆け出した。
不意に引っ張られて抵抗できずに引きずられていく。
そして靴も替えさせてもらえないまま下駄箱を素通りして僕は小教室に連れ込まれた。四個向かい合わせにくっつけられた机と黒板だけのごく普通の簡素な教室だった。隅の方には段ボールが積み上げられている。物置として使われているのかもしれない。
入るや否や漆茨さんはドアの鍵を閉めて「さぁ、座るのだ」僕のためだろう椅子をひいた。
どうするか迷っていると早くするのだ、と急かされた。仕方なく座ることにする。
ただその前に革靴は脱いだ。今更かもしれないけど土足はやめた方がいい。ひんやりとした冷たい感触を足の裏で感じながら椅子に座った。
漆茨さんは満足そうに笑って僕の正面に立つと机に紙を置いた。
「私は今、オカルト研究部発足に向けて人数を集めているのだよ! まずは研究会から始めてゆくゆくは部活にするつもりなのだが、肝心の会員が誰も現れてくれなくて困っていてな、ぜひ深青里氏に入って欲しいのだ!」
置かれた紙には『オカルト研究会入会希望者』と書かれていてそのすぐ下に漆茨樹の名前があった。
案の定そういうことらしい。
「悪いけど僕、部活とか入る気ないんだ。そもそもオカルトにも興味ないし」
「そこは安心してくれ! オカルト研究会と言ってもどちらかというとメインは都市伝説を扱おうと思っているからな! 実質都市伝説研究会といってもいいくらいだ!」
「ごめん、都市伝説も興味ないんだけど」
「気にする必要はないぞ! さぁ何の話から聞きたい?」
「いや、気にするとかの問題じゃないし、何も話さなくていいよ」
断ったはずなのに漆茨さんはとてつもない勢いで喋り始めた。
「なるほど! なら古代宇宙飛行士説から日ユ同祖論やピラミッドの起源は日本だったとか、実は世界の始まりは日本だったという話があってな! まずそれだけでわくわくしないか? 竹内文書やシュメール文明では地球の文明を構築したアヌンナキやその母星とされる太陽惑星ニビルの存在、そして地球と火星の関係がほのめかされいるのだよ! 興味深いのは地球人は火星人と猿を掛け合わせて作られた奴隷という説があってだな!」
うっとりとした表情で一気に捲し立てられている。
何がなるほどだったんだろうか、話し始めた漆茨さんは倍速再生を疑ってリモコンを探しそうになるくらい早口だ。
そして声も大きいから至近距離でマシンガンを乱射されているみたいに騒がしい。
というかなんで話し始めたんだ。もしかして「話さなくていいよ」の「いいよ」だけ切り取って好意的に解釈されたのだろうか。
でも漆茨さんには申し訳ないけど早口すぎる上に知らない単語も出てくるから全く話が頭に入ってこない。
そんな僕をおいて漆茨さんのマシンガンみたいなトークは続いていた。
「ほかにも未来予知系の話ならタイムトラベラー、ジョン・タイターにアンドリュー・カールシン、もっと身近なところだと2062年から来て2ちゃんに書き込んだタイムリーパー、不可思議系だとルドルフ・フェンツあたりか? あとはババ・ヴァンガさんも有名だな!」
「ごめん、ほとんど聞いたことない」
衰え知らずのマシンガントークは面白いくらいに僕の心には当たらない。
ただ撃つのが好きで的も用意しないまま無邪気に引き金を引いているみたいだ。そんなんじゃ誰の心にも、もちろん僕にも当たらないだろう。
そもそも漆茨さんが狙うべき的はオカルトや都市伝説に興味を持つ人であり僕ではない。
でも、五分程漆茨さんの声を聞き流しながらどう言ったら上手く断れるだろうかと考えたところで、不意に言葉の銃弾が僕を掠めた。
「パラレルワールドは好みか? グリーンチルドレンは? 日本で起こった事ならトレドの男や昭和65年の一万円硬貨はリアリティがあって面白いぞ! あとはオカルト色が強いがゲラゲラ医やきさらぎ駅、山の祠から平行世界に行く話なんかも人気だな!」
漆茨さんの早口トークでも理解できる言葉として耳に飛び込んできた。
興味があったわけではない。でも平行世界の話は僕も知っている。
「デュフッ、特に一万円硬貨は凄くてな、存在していないはずの昭和65年製だったことに加えて記念硬貨でもないのに鋳造技術も相当高くて偽造品には見えなかったから謎が多くてな! 前に北海道と、あとどこで使われたんだったか……まずいど忘れしてしまった! 私としたことがっ……!」
「……茨城のコンビニだよ」
どこだ、どこだと両手で頭をかき乱し始めた漆茨さんを見てついうっかり答えてしまった。
「そうだったそうだった! 茨城のコンビニで使われて……って、どうして知っているんだ深青里氏! やっぱり興味あるんじゃないか!」
漆茨さんの瞳が輝きを増して僕に迫ってきた。
その眩しさと鬱陶しさに顔を背ける。
「興味があるわけじゃないよ。ただ偶然知ってただけで」
漆茨さんの言う通り確かに僕は調べたことがあった。
でも間違っても興味からじゃない。
世界を移動するようになった後、その原因を知るために調べたのだ。
自分に何が起こっているのか分からなくて怖かったから、現実的かそうじゃないかにかかわらずとにかく情報を集めた。
でもそのほとんどは平行世界というよりは異世界に近くて、言語が変わるくらい世界線が離れていたり心霊的な要素が強かったりと参考にはならなかった。僕と同じ現象に悩んでいる人は見つからなかったし、元の世界に戻る方法だとか根本的な原因を解決する方法だとか、そんなものは一切載っていなかった。
結局自分の状況を知る手がかりはなにも見つからなくて、少しだけ平行世界に関する都市伝説に詳しくなっただけで諦めて終わってしまった。
そういう意味では好きどころかむしろ良い印象はない。
その時の徒労感を思い出して心が冷めたくなっていく。
「ふむ? だが興味もないのにたまたま知っていた、となれば才能があるということじゃないか! 存分にオカルト研究部で発揮してくれないか!」
「知識に才能も発揮もないよ、クイズ大会じゃないんだから」
「そんなこと言わずに頼むよ深青里氏! 面白い話はまだまだあるのだからな! 例えば木ヶ暮市にも都市伝説があってだな」
また長い話が始まるのかと覚悟したところで予鈴が鳴った。
流石にそれには漆茨さんの口は止まり「むぅ、仕方ない。続きは後にするか」不吉な言葉を吐いた。
またするのか、この話。
朝良くなった気分がどんどん悪くなっていく。
「とりあえずクラスに戻ろう! 授業に遅れるのは不味いのでな!」
「……うん、そうだね」
これに関しては漆茨さんが正しかったから僕は頷いて彼女と小教室を出た。
強引に話の銃口を向けようとしてくる割には常識はあるみたいだ。
颯爽と教室に駆けていった漆茨さんとは違って靴を変えなきゃいけなかった僕は下駄箱に戻ってから向かった。
座席表で自分の席を確認する。僕の席は中央列の一番後ろだった。ちなみに漆茨さんの席は窓際の一番前だった。今は凄い勢いで何かを書いている。
席に着くと隣から声をかけられた。
「おはよう。朝から災難だったな、深青里君」
「あっ……鞠寺君。おはよう」
目を合わせないように前髪越しに見ると、頬杖を突いた鞠寺君が笑顔を浮かべていた。
元の世界の彼とは見かけはほとんど変わらない。黒縁の眼鏡をかけていて表情は穏やかにこちらを向いている。
「見ていたよ、深青里君が引きずられていくの。何も出来なくてすまなかったな」
「鞠寺君は何も悪くないから」
「そう言ってもらえると助かる。漆茨さんみたいなのは端から見ている分には愉快だけど、自分が巻き込まれるのは絶対にごめんだから」
「う、うん、さっきので身に染みたよ」
ただ少しだけ言葉の端々に棘があるというか、口調が強い。
僕の世界での彼なら絶対ごめん、とまで言い切ることはしない気がする。
「にしても、今日からいきなりだから驚いたな、オカルト研究会なんて言いだしたの」
「えっ、今日からなの?」
「昨日までやってなかっただろう?」
「てっきり裏で細々でもやっているんじゃないかなって思ったんだけど……」
「ないと思うな、それは」
鞠寺君は漆茨さんの方に視線を向けた。僕も見てみると今もまだ何かを書き続けているみたいだ。
「去年からずっとブツブツ言いながら一人で何かしているだけだったからな、あんな風に。だから近寄りがたいし彼女の方から誰かに話しかけることもなかったよ。あっ、でも最初は少し話してたか。でもオタクっていうのかな、早口だし何言ってるのか分からないし会話も噛合わなかったから、申し訳ないけど俺は会話を諦めたよ。合わないタイプだって」
「そ、そうなんだ」
どうやらここでの漆茨さんは孤立気味らしい。鞠寺君でもお手上げとなると相当だ。まぁ常にあの調子なら無理もないか。
鞠寺君は苦笑しながら肩をすくめた。
「だから今日来てちょっと驚いたよ、部員……会員かな? をいきなり集めているんだから。一体何を考えているんだろうな」
「どうなんだろうね、僕も一方的に都市伝説とかそういう話をされただけだったから分からないや」
「流石オタク茨さんってとこか」
「オタク茨さん?」
あぁ、オタクっぽいからか。言われてみれば典型的なそれっぽい。笑い方なんていかにもだったし。
「深青里君は気を付けた方がいいかもしれないな。朝話したから目を付けたかもしれない」
「あ、あはは……」
僕は苦笑するしかなかった。
続きは後にするか、と言ったからには、鞠寺君の言う通り漆茨さんはまだ僕を巻き込むつもりなのだろう。
この世界にいるのは三日間とはいえ、気が重くなる。
その懸念通り、放課後になると帰る準備を終える前に漆茨さんが僕の机に飛んできた。
「さぁ時間だぞ深青里氏! 早く行こう!」
『後』の時間がきた。逃げ切れなかった。
漆茨さんの騒がしい声に周りは静かになって引き気味に僕らを覗ってきた。巻き込まれるのが嫌なのか直視してくる人はいない。
浮いていることに気付いていないのか気にしていないのか、漆茨さんは大きい声のまま手を掴んできた。
「何をボーッとしているのだ! 時間がなくなってしまうじゃないか!」
「あの、何するの?」
「決まっているだろう! オカルト研究会の記念すべき一回目の活動だ!」
「入るとは一言も言ってないんだけど……」
グイグイと詰め寄られる。その分だけ後退る。
「平行世界を愛するもの同士、共に語り合うのが自然だろう?」
「別に愛してないし」
愛するどころか世界移動に対しては忌避感が強い。最近は無表情の漆茨さんのおかげで少しマシになっているけど、好意は一切芽生えていない。
「ならこれから愛していけばいいではないか! そのために語り合うのだよ!」
「どっちにしろ語り合いたくはないんだけど……うっ」
後退しているうちに教室の壁に背中が触れた。
なおも身体を寄せてくるけどもうどうしようもない。朝といい今といい距離感がおかしい。
代わりに顔を逸らすと何本もの視線が向けられていることに気が付いた。身体に突き刺さっているのを感じて一気に冷や汗が吹き出してくる。
漆茨さんのせいで僕も浮いてしまっているんだ。もしかしたら仲間認定され始めているかもしれない。
鞠寺君は何故か哀れむような目で敬礼してきた。
「なるほど聞く方が好きなのか! すまない先に確認しておくべきだったな! なら私が語り聞かせようじゃないか! 平行世界だけじゃなくあらゆる世界の都市伝説を!」
「そういう意味じゃないよ」
冷めた目と可哀想なものを見る目、クラスメートから浴びせられる視線は半々。
どちらも刺されるように痛いのは変わらない。
でも漆茨さんは諦めそうにないし、このまま何を言っても聞入れてくれなさそうだ。一方的に喋るだけ喋ってこっちの言葉はほとんど届かず話は平行線をたどるばかりだろう。
そうしている間ずっとこの痛い視線に晒され続けるなんて考えただけでもゾッとする。
漆茨さんに巻き込まれることとこの視線を受け続けること、どちらの方がまだマシだろう。
そんな後ろ向きの天秤が傾き始めて、とうとう僕は諦めて口を開いた。
「わ、分かった、行くからとりあえず鞄は持たせて」
全く快い承諾ではないのに、漆茨さんは目を輝かせて笑った。
「ようやく分かってくれたか深青里氏! 流石我が同士だ!」
頼むから同士なんて呼ばないで欲しい。勘違いされたら厄介じゃないか。
と思ったけど、すでにそんな雰囲気をクラスメートの視線から感じる。
もう遅いみたいだ。
うなだれながら鞄を持って漆茨さんに引きずられていく。
その間も敬礼を続けている鞠寺君を見てピンときた。
送り出す時の合図だ、これ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます