第23話 忘却されし屋敷(後編)

「いましたーっ!」


 扉を開けてすぐ、大声を放つ。

 フミカに、ツタが飛来してくる。それをシールドで受け止めるのと同時に、ヨアケがフミカの隣を疾走していく。

 ナイフが突き刺さった。青いドレスの胸元へと。


「ふふ、うふふふ。遊びましょう。もっと」


 オラクルがツタに包まれて、窓の外へと退避していく。

 これで三回目。深窓の令嬢とのかくれんぼは、混迷的で厄介だ。


「このまま、かくれんぼで終わりだと思いますか?」

「いえ、そんなことはないと思いますっ」


 フミカの声は不自然に上ずっている。先程のアレを打ち消すためだ。

 ヨアケはそんなフミカのことに気付いているのかいないのか、部屋のテーブルに置かれた、一冊の本を一瞥する。

 パラパラと中身に目を通して、


「これは。読んでみてください、フミカさん」

「なんですか?」


 本はどうやら日記のようだ。


〈先生は教えてくれました。どうしても欲しいものがある時は、魔法で虜にしてしまえばいいと。私には、それだけの才と資格があるのだと〉


 誰かの思念が記されている。

 フミカが読み終えたのを確認すると、ヨアケは本を閉じた。


「日記の主は誰だと思います?」

「ヨアケさんはどうですか?」

「予想はついています。フミカさんは?」

「私もです」

「じゃあいっしょに言いましょう」


 せーのっ、と声を合わせて。

 オラクルという名前がハモる。


「まぁ十中八九、ですよね」

「今回はかなりわかりやすい方かと思いますわ。ミスリードの可能性はゼロではないですが」


 会話のキャッチボールが滞りなく行えている。

 その事実がフミカの口角を上げ続けた。


「キーなのはきっと、先生という人物だと思いますが」

「それについては情報が足りませんわね。これまで、先生と呼ばれるに相応しい人物は出てきてませんから」

「一旦保留ですね」


 きっとろくでもない人物なのだろう。

 過去作では、先生や師匠と呼ばれるような教え導く者が存在していた。

 剣術の師、魔法の師、戦法の指南役など。

 

 しかしてプレイヤーから人気なのは、得てして自ら師とは名乗らないタイプだ。

 いわゆる謙遜型。

 先生を自称するタイプは、往々にしてろくでなしが多い。


「きっとそのうち出てきますよ。その時は、また考察しましょう!」


 フミカの笑顔は輝いている。

 楽しすぎる。エレブレの考察話を、こうもすらすらとできることが。


「ところでフミカさん」

「はい! なんですか?」


 元気よく返事をしたフミカに、ヨアケは微笑みを湛えたまま、


「カリナさんとはどこまで?」

「……んん!?」


 ぶっこまれた質問に、フミカはフリーズした。

 どこまでとはどこまでなのか?

 質問の意図は?

 ヨアケは何を言わんとしている?


「いふ、は、ほ、ふえ?」


 言葉にならない声を聞いて。

 ヨアケはからかうように笑った。



 ※※※



 カリナが飛んできた壺を避けて杖を構えた頃には、斬られた敵が斃れていた。


「相変わらずの早業だぜ」

「この程度、魔法を使うまでもないだろう」

「確かにな」


 サーベルを鞘に仕舞うナギサとは同意見だ。

 本命は屋敷のあちこちに転移しており、必然的に移動も多くなる。

 すなわち、会敵回数も増えるというわけだ。

 

 魔力量には限りがあるので、オラクルと戦う前にガス欠なんて間の抜けた事態になりかねない。

 魔力薬も個数は決まっている。

 楔の花に触れれば回復できるが、敵もリポップしてしまう。

 それでは本末転倒だ。


「この部屋にはいないな」

「わかるのかよ?」

「異物は、一目見ればわかる」


 そんなわけないだろ――と突っ込んでいただろう。

 この世界に来る前は。

 超人的なナギサには、ずっと振り回されっぱなしだ。

 

 しかし今回ばかりは、その傍若無人な態度――実際には他人を気にするがゆえの行動――がありがたく感じる。

 アレを思い出さなくて済む。

 

 勢いに任せて、しでかしそうになった寄行を。

 思えば、やらかさずに済んだのもナギサが割り込んできたからだ。


「……助かった」

「何がだ?」


 無意識にこぼれた礼に、反応されてしまった。

 深堀りされるのはまずい。

 咄嗟に別の話題を声に出す。


「あ、あんたたちは息ぴったりでいいな。阿吽の呼吸って言うかさ」

「私とヨアケか? 長い付き合いだからな」


 返答するナギサの顔はどこか誇らしげだ。

 護衛と主人。そして、友達。

 二足の草鞋で二人三脚をする二人の絆は、強固で効率的だ。

 擦れ違ってはいたが、それも、互いを思い合った上でのこと。

 

 そんな関係に、きっと自分とフミカはなれない。

 諦観の念がカリナの胸中をよぎった。


「主にヨアケのおかげだが。彼女はとても頭がいい。だから、私が何を考えるのか理解してくれているし、行動を予期してもいる。私に合わせてくれているんだ」


 謙遜するナギサ。

 ヨアケに類似した質問を投げれば、同じような返答が返ってくる気がした。


「私は感情の機微を察することが苦手だし、他人を思いやることも不得意だ。正直に思ったことを言葉にしてしまうし、行動してしまう。かつてこう言われたことがあった。それはできる側の意見だと」

「あー確かに、ありそうだな」


 ナギサは天才肌だ。特に身体能力に恵まれている。

 生まれつきのフィジカルエリート。

 他人に僻まれるのも、一度や二度じゃないだろう。

 

 そして、こう言われるわけだ。

 

 お前は特別だからズルい、だとか。

 できない人間の気持ちはわからないなどと。


「その通りだと返したがな。私はできるから、できない人の気持ちなど理解できないと」

「いやもっとこう……あるだろ」


 いくらなんでもストレートすぎる……が。

 それがナギサの魅力であると、ナギサファンクラブのクラスメイトが言っていた。

 当たり障りのない言葉では、気付けないこともある。


「言い繕っても仕方ないだろう。それとも、嘘を吐かれるのが好みなのか?」

「そういうわけじゃないが。トラブルになるだろ?」

「トラブルになったとして、私は問題なく対処できる。むしろ、大変なのは相手側だ」

「あー……まぁな」


 話を聞く限り、ナギサはその手の問題を解決するプロだ。

 ヨアケに関わるあらゆる危機を防ぎ、対処するために仕込まれた護衛。

 能力も知識も経験もある。

 そんな人間を陥れようとしたって、結果は目に見えているのだ。

 

 ナギサは、襲ってきた使用人に刃を突き立てた。

 別の敵の攻撃を弾きながら、何事もないように会話を続ける。


「かつての私は、抜き身の刀だった。その鞘となってくれたのが、ヨアケだ。彼女が緩衝材となってくれたおかげで、不必要に他人を傷付けずに済む。どうしたって避けられないこともあるがな。君だとか」

「喧嘩売ってんのか。……なんてな。冗談だよ」


 カリナも、ナギサに舞い込んだ問題にちじょうの一つでしかなかったのだ。

 以前決闘した時も、他の奴はすぐ降参した的なことを言っていたし。

 

 カリナは、ナギサから離れた敵の背後を小剣で突く。

 暗殺している間に、三人もの使用人が床に沈んでいた。

 

 その差を見ても、悔しくはない。

 付随して、負ける気はしないという気持ちもある。

 矛盾しているようでぶつかり合わない不思議な感覚だ。


「やはり、君はガッツがある」

「あ? なんだよ」

「この話を聞いて。私と共同作業をした人のほとんどは自信を喪失するか、羨望の眼差しを向けてくる。しかし君は違うな。平常心のままだ。折れない心、根性がある。自分に芯がある人間は、他者の才覚を見たとしても動じないものだ」

「おだてたってなんも出ねえぞ?」

「率直な分析……ただの感想だ。褒めてもけなしてもいない」


 こういうところがモテる秘訣なのだろう。

 辛辣なようでいて、ただ事実を淡々と述べているだけだ。


「それに君は、私よりも思いやっているだろう」

「思いやり……あたしが?」


 喧嘩早くて、不良なんて言われているのに?

 ナギサが扉の前に陣取っている巨大なカエルへ、クロスボウを撃ち込む。


「君の喧嘩相手は数多くいるが、誰一人として再起不能となったという話を聞かない。むしろ丸くなったという評判ばかりだ。私とは違う」

「ただのまぐれだ」

「100%の事象を、偶然とは言わない」


 などと会話しながら、ナギサはカエルを切り刻んでいる。飛来してくる家具を物ともせずに。

 カリナも小剣で刺突を繰り出した。

 苦し紛れの体当たりを、ナギサは避けずにブレイヴアタックで迎撃する。

 カエルのライフゲージがみるみるうちに削られていく。


「私とこうやって行動できていることが何よりの証明だ。何も不安に思うことはない。相性はいいはずだ」

「相性?」


 ナギサの兜割りを受けて、カエルが絶命した。


「フミカ君との話だ」

「そんなこと一言も言ってないぞ」

「違うのか?」

「……違くないけど」


 カリナはカエルが守っていた扉を開ける。

 ここも何の変哲もない部屋のようだが、不自然な箇所があった。

 巨大な壺が、これ見よがしに真ん中に置いてある。


「しばらく距離を置いていた二人が、自然体で過ごせている――これを相性が良いと言わずして、なんと言えばいい?」


 カリナは杖を構える。

 無意味な攻撃は避けねばならないが、意味のある魔法行使であるならば。


「なんであんたが人気者なのか、わかってきたぜ」


 炎が壺に迸る。

 化けていたオラクルが姿を現した。


「あぁ、あなたじゃないあなたじゃない。私の大事な、大事な人は」

「うるせえ。元はと言えばお前のせいだ。借りは返してもらうぜ」


 オラクルが窓の外へと撤退していく。

 勝気なカリナの、眼差しから逃れるように。



 

 ※※※

 



「向こうは二回見つけたって」

「こっちも二回だから……後一回くらいですかね?」


 ミリルの報告を受けて、フミカが考察する。

 こういうのは回数が決まっている。

 シングルプレイなら大体三回だが、マルチプレイなので五回に設定されているのだろう。

 経験から出た予想に、ヨアケも頷き返してくれた。


「わたくしたちが見つけるか、ナギサたちが速いか。競争ですわね」

「どうせなら、賭けとかしても面白かったかもですね!」

「ボクは伝達係じゃないんだけどね……」


 愚痴をこぼすミリル。色々ぼやきながらも、なんだかんだ手伝ってくれている。


「でも、助かっていますわよ」

「そうそう。これくらいはやってもらわなきゃね」


 ただの傍観者でしかなかったミリルも、仲間らしくなってきた。

 和気あいあいとしながら屋敷の中を進んでいく。

 辿り着いたのは、倉庫のような場所だ。

 宝箱が一つだけ、大切に仕舞われている。


「オラクルの偽装……ではなさそうですね」

「確認しますね!」


 殺戮砦の二の舞にはならない。

 慎重に近づいたフミカは、指差し確認を行う。


「右ヨシ、左ヨシ、上ヨシ、下ヨシ。宝箱に異変なし。攻撃は――」


 ガツンとメイスで殴る。びくともしない。


「問題なし! 開けていいですか?」

「ええ、どうぞ」


 促されて、フミカは宝箱を開ける。

 中身は罠ではなく、ちゃんとアイテムが入っていた。


「なんでしたか?」

「これは――」


 銀色の鎧の一部。

 初見だが馴染みあるそれは、フミカの武器や鎧と同じ輝きを放っていた。


「足甲ですね。フェイドシリーズです」

「なるほど」


 ヨアケが顎に手を当てる。

 フェイドシリーズの優先権をフミカはもらっていたので、躊躇いなく装備するついでに、アイテムテキストを読んだ。


〈騎士フェイドの足甲。眩い銀の輝きを特徴とする防具。さしもの騎士も、娘には当惑した。狂気に包まれた執着から逃れるべく、自身の防具を置き去ったのだ。果たさねばならぬ使命のために。例え、秘術を犠牲にしたとしても〉


「これは……」


 ヨアケと内容を共有すると、彼女は興味深そうに考え込んでいる。


「フェイド……執着……」


 フミカも思考を回した。何かヒントがあるような……。

 うんうん唸りながら脳内で情報を整理して、頭の中に稲妻が奔った。


「あーっ!」

「どうかされました?」


 ヨアケの問いに答える。興奮気味に。


「フェイドですよフェイド! この装備にオラクルは反応してたんです!」

「けれど、あなたはフェイドではなく、フミカさんですわ」

「気が狂ってるからわからないんです。きっと、アルディオンもそうです!」


 今際の際の恨み節も、フェイドに対して放たれたものだ。

 そう考えると、辻褄が合う。

 それに、未解決だったもう一つの疑問についても。


「もしかして、穏やかな悪夢に引き込まれたのも……?」


 宿屋の主人は装備がどうとか言っていたし、後からカリナに聞いた話では、フミカが会話した時とセリフが違っていたらしい。

 

 加えて、ハイルが妙に懐いてた理由にも合点がいく。

 彼女も正気ではなかった。だから、フェイドの鎧を着る自分をかの騎士であると誤解して呼び込み、花蜜の味の違いで激怒したのだ。

 嘘吐き、と。

 

 思い返せば、フェイドのメイスもそこで入手したのだし。

 まだ細かな疑問は残るが、フェイド関連であることは間違いない。


「どう思いますか? ヨアケさん!」

「わたくしも、同意見ですわ」

「ですよね!?」


 食い気味に応じたフミカの前で、ヨアケは気まずそうに目を逸らした。

 てっきりフミカの勢いに引いたのかと思いきや、どうやら違うようだ。

 なんでだろう? と考えて、すぐに思い当たった。


「……わかってました?」

「確証はなかったのですが、それとなくは。伝えるべきか悩んだのですが……その……」


 言い淀むヨアケ。

 フミカは笑顔でお礼を言う。


「ネタバレしないでくれて、ありがとうございます!」


 気を遣ってくれたのだ。フミカが考察を楽しめるように。

 目を見開いたヨアケは、すぐに柔和な笑みを浮かべた。


「ふふ、ナギサの言う通りですわね」

「え?」

「こちらの話です。先に進みましょう。そうすればきっと、見えないモノも見えてきますわ」

「ですねっ!」


 活き活きとしながら倉庫を出て、かくれんぼを続行する。

 次なる部屋へと扉を開けて、中に入った瞬間、がちゃり、と反対側の扉が開いた。


「あれ? カリナ」

「ヨアケか。かち合ってしまったようだが」


 貴族が舞踏会でも開きそうな広間で、カリナたちと合流してしまった。

 別の部屋へ行こうとした三人を、ヨアケが呼び止める。


「お待ちを。きっとここで合ってますわ」

「ローラー作戦だったからな。見落としてはない、か」


 答え合わせかのように、笑声が響き渡る。

 オラクルが中央に出現した。無邪気に遊んでいるかのように、笑顔だ。

 純粋無垢のように見えて、狂気に満ちている。


「流石は、流石は。愛しいお人。こうも私を見つけて下さる」

「四人だからな。当然だぜ」


 カリナの声を聞いても、オラクルの視線はフミカ――が纏う装備に向けられている。

 婚約者か何かなのか? でも、足甲の説明では逃げたとあった。

 一方的な恋愛感情……片想い、というものか。

 

 そう考えると可愛げがあるように思えるが、熱を帯びた視線には人を呑み込むような恐るべき何かがある。

 ヤンデレは物語として楽しむ分にはいいが、実際に遭遇すると心身ともにやられてしまう……なんて話を、耳にしたことがあった。

 狂気的な眼差しに怯んでいると、庇うようにカリナが立ち塞がった。


「お前をボコボコにしないと気が済まねえぜ」

「わたくしも協力しますわ」

「ヨアケの望むままに」


 やる気マックスの三人に負けじと、フミカもメイスを握りしめた。


「私だって負けないよ!」

「ああ、遊びましょう、遊びましょう。心行くまで、何度でも。気持ちの良さに、果てるまで」


 オラクルのライフとスタミナゲージが出現する。妖艶な曲が流れ始めた。


「果てるのはてめえだけだぜ!」


 カリナが炎を飛ばすが、オラクルはツタでガードした。

 流れるように連携を行う。

 

 オラクルが攻撃に転じた瞬間、フミカが前に出てツタを防御した。

 その間にヨアケが背後から一撃入れて、反撃をナギサがブレイヴガードで弾いた。

 

 ツタがオラクルの足元に戻っていく。

 そこへ、カリナがトゲ状に成形された炎を発射した。


「新技食らえ……! 炎の突起だ!」


 炎がオラクルの胴体を貫通する。

 勝ち誇った笑みを浮かべたカリナの表情が、ギョッとしたものへと変わった。

 フミカも息を呑む。

 

 エレブレシリーズは、一部の敵を除いて部位欠損がない。

 このゲームがR18にならない所以の一つだ。

 

 しかし、オラクルのお腹にはぽっかりと穴が開いている。

 臓物がボロボロと零れ落ちたり、血がダラダラと流れ落ちる……ことはない。

 

 満開、だった。

 緑色の、美しい花が穴から生えていた。


「なんだこいつ!?」

「楔の花……!?」

「本当に、いけずなお方。早く、一つになりましょう?」


 身体が貫かれたというのに、オラクルは笑っている。

 楽しそうに、笑っている。


「っ、あれ……」


 フミカのメイスを持つ手が震え始めた。

 尋常ではない震え方だ。確かに恐ろしい。

 狂気を感じて、どうにかなってしまいそうだ。

 

 だとしても、ゲームでの話だ。このようにあからさまに恐れることはない。

 身体の震えが止まらなくなることなど――。


(状態、異常……!?)


 オラクルの瞳を直視し過ぎた。

 オラクルは、状態異常を付与してくるタイプの敵だったのだ。

 

 多くのRPGに存在する状態異常も、エレブレシリーズにはある。

 ステータス異常――恐慌によって、フミカの身体の自由が奪われていた。


「か……っ」


 言葉もまともに発せない。

 一撃が致命傷に成り得るゲームでは、伝達不足は致命的だ。

 

 察しの良いヨアケも気付いていない。ナギサは戦闘に集中している。

 カリナは傍にいるが注意はオラクルに向けられている……。


「く、ぁ」


 オラクルと目が合う。ゾッとするような眼差しに射抜かれて。

 なす術なく、フミカは殺される――。


「むぐぅ!?」


 唐突に視界が覆われて、口を塞がれた。

 またオラクルに口づけされたのかと思った。

 

 しかし感触が違った。硬質的で、覚えがある。

 直後に流し込まれた液体の味についても。

 こくりこくりと喉を鳴らして、飲み干した。


「治ったか?」

「うん、平気」


 カリナが離す。フミカの口に押し付けていた花蜜の瓶を。

 恐慌状態は毒や呪いなどの一般的なステータス異常とは違い、花蜜を飲むことで回復することができる。

 

 と言っても、シングルプレイでは異常状態になると行動不能になってしまう。

 予防的に飲むしか対策はないが、マルチプレイなら話は別だ。


「こういう時は、不死鳥の炎撃だ」


 炎の壁でオラクルを阻んでいたカリナは、マルフェスからの贈り物を行使しようとする。

 炎の照り返しで輝くカリナは、期待を込めて見つめてくる。


「時間、稼げるか?」

「もちろん!」


 フミカはオラクルに突撃した。ツタを左右にステップして回避。

 メイスを打ち込むとあっさり左腕が折れて、そこからまた花が生えた。

 そして、花びらを飛ばしてくるのを、シールドで防御。


「ナギサ!」

「ああ!」


 さらなる追撃を、ナギサがクロスボウによるヘッドショットで阻止。

 直撃を受けた左目から、食い破るようにして花が咲く。

 

「ああ、ああ……溢れてくる、溢れてきます。あなたへの愛が、想いが」


 オラクルのライフゲージが半分以下になっていた。

 何かが破れるような不快な音が響き、深窓の令嬢は見る影もなくなっていく。

 麗しい身体のあちこちを突き破り、花が生えていた。

 

 ホラーゲームに出てくる怪物のようだ。

 人体と花の融合は、一種の芸術性を感じるデザインではある。

 独特な美しさすら感じるが、今は違う。


「ああ、咲きました。咲いて、しまいました。私と、あなたの、愛が」


 残った人の顔が妖艶に悦んでいる。いや、元々人ではなかったのだ。

 花の怪物が、人の皮を被っていただけ。そんな印象を覚える。


「来るぞ!」


 ナギサが呼びかけた瞬間、花が伸びてきた。防御が間に合わずダメージを受ける。

 花蜜を飲もうとするが、花に襲われて回復できない。

 

 オラクルの背や肩、太ももから生える花は触手のように個別に攻撃できるらしく、ナギサたちも足止めを食らっている。

 そのうちの一本が、チャージ中のカリナに向かっていく。


「させないッ!」


 メイスで茎を殴って中断させる。

 パターンを見切ったヨアケが、花を一本切断した。

 ナギサは二本いっぺんにだ。

 フミカも、妨害した花へ殴打を続け断裂させた。


「アハッ! アハハハッ!!」


 不気味な笑い声。またもやフミカを見据えたオラクルは、素早くツタを飛ばしてきた。回避も防御も間に合わない。

 拘束されたフミカが引き寄せられる。

 唇を奪われてしまった時と同じように。

 ナギサとヨアケが救出を試みるが、切断部位から再生した花に阻害されている。


「育みましょう? 愛を。繋ぎ止めてあげます。永遠に。どうか私を、楔にして?」

「くッ……!」


 両腕が封じられて反撃できない。オラクルの右目が扇情的な視線を注いでくる。


「ああ、フェイド様……」

「私は……」


 ゆっくりと唇が迫ってくる。

 フミカは焦燥しながら後方を一瞥した。

 カリナが魔法を構築している。返ってくるのは、信頼の眼差し。


「――フミカだよッ!!」


 フミカはフェイドの足甲で、オラクルの顔面を思いっきり蹴り飛ばした。

 意図せずブレイヴアタックになったようで、拘束から逃れる。

 地面に着地して、棒術スキルを発動。破砕殴打で打ち上げた。

 

 そこへ不死鳥型の炎が突撃してくる。

 火の鳥は、邪悪な花を燃やし尽くす。


「ああ、ああ……本当にいけずなお方。フェイド様……愛して、います」


 オラクルのライフがゼロになり、討伐完了の文字が視界に表示された。

 糧光が全員の元に迸り、アイテムが自動入手される。

 束縛のツタ、という魔法だ。


〈オラクルが用いる花の魔法。魔法陣から呼び出したツタで相手を拘束する。アルディオンより教導を任された師は囁いた。あなたは選ばれし子である、と。父の手で幽閉されようとも、彼女は恐れていなかった。欲しいものは、手に入れればいいだけなのだから〉


 これまた考察しがいのあるテキストだ。

 そもそもオラクルの存在自体が謎過ぎる。

 彼女は何者なのか? 楔の花との関係は?

 ヨアケと掘り下げたいところだが、それよりも。


「やりましたねっ!」


 勝利の喜びを分かち合う。


「今回のMVPはカリナさんですわ」

「礼なら彼女に」


 二人に促されて、くるりと振り返る。

 カリナは新魔法をチェックしていたようだ。

 勝利の美酒に酔ったまま、フミカは駆け出す。

 

 破砕殴打からの、不死鳥の炎撃。

 見事に連携技が決まった後の爽快感は、筆舌に尽くし難い。


「カリナーっ!」


 その達成感を共有しようとしたところで、


「あわっ!?」


 残っていたツタに足を取られる。


「お、おい――」


 支えようとしたカリナが前に出てきて。

 チュッ、という音と共に、柔らかい感触が唇に伝わった。

 幼き時とはまるで違う。

 柔らかさも、その意味も。

 

 支えられて、見つめ合って。

 ゆっくりと、思考が現実に追いついてきた。


「えっと……今、のは……」

「お、おう……」


 カリナは気恥ずかしそうに顔を逸らしている。

 どうすればいい? 誤魔化すべきか?

 いや、誤魔化すべきだ。可及的速やかに。


「じ、事故! 事故だね! ひっか、引っ掛かっちゃって! えと、うん……」


 饒舌に回るかと思われた舌が、羞恥心で鈍化する。

 ただ恥ずかしいという感情だけなら対処できた。

 嫌だったのならば、もっと明確に拒否できた。

 

 しかし、なんだこれは?

 どういう感情なのかわからなくて、対応しきれない。

 暑い。頬が、身体が、火照っている。


「お、おい?」

「…………っ」


 これがマンガやアニメなら、きっと目がぐるぐるになってしまっているだろう。

 顔を逸らして硬直していると、ヨアケが感心し、ナギサが訝しんでくる。


「あらあら、まぁまぁ」

「何してるんだ?」

「なんでもねえ、なんでもねえって!!」


 我に返ったカリナが、誤魔化すように叫んだ。

 フミカも、心の中で絶叫する。


(ふざけんなオラクル――ッ!)


 これも全部、オラクルのせいだ。

 おのれオラクル。おのれマメシステムズ。

 理解不能な感情に蓋をするかのように、的外れな憤りを続けた。

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