第4話 昏き谷底
「――で?」
酔いが醒めたかのように、冷静に戻ったフミカは唸る。
庭園で道は閉ざされている。この先に向かうための、ルートがわからない。
洋館の先は断崖絶壁で、どう考えてもクライミングできる様子はなかった。
「わからないの?」
ミリルが呆れる。
「案内人を殴り殺しちゃったからさ。必要な情報がないんだよ」
マルフェスを倒した後、出現した楔の花に触り、経験値をレベルへと変換した。
さらに、ボス撃破ボーナスとして追加ポイントも入手している。
また悩みそうだったので、振ってはいない。
もうちょっと情報が出揃ってからでも、間に合うだろう。
「なんか手に入れてないの?」
「羽はゲットしたけどさぁ」
不死鳥マルフェスの羽。
説明文では、武器の強化素材として使えるようだ。
「シリーズ既プレイでしょ?」
「新作なんだからわかるわけないじゃん」
記念すべき初死を迎えた落とし穴だって、過去作ではもっと露骨だった。
石を投げて判別するシステムもなかった。
水を吐き出した宝箱もそうだ。
あんなの初めて見たのだから、これからも初見殺しだらけだろう。
「じゃあ詰んじゃったってこと?」
「いやいや、それはないと思うよ。うっかりチュートリアルを無視したとしても、詰まないようにはできてるから」
これは過去作もそうだ。
あくまでも難易度が高いだけで、システム面は意外と親切だったりするのだ。
「とりあえずギリギリまで行ってみるか」
見えない床とか、そういうギミックがあるのかもしれない。
フミカは崖際まで近寄り、
「え――」
背後から響いた、マルフェスの鳴き声に驚く。
「やべえ、まだ生きてた……!?」
「不死鳥だから死なないんじゃないの」
戦闘態勢を整える間もなく、復活したマルフェスのくちばしが迫る。
食われる――死を覚悟して目を閉じ。
身体が宙を舞う感覚に襲われた。
自身の胴体が咥えられている。
「あれ……? 食われてない?」
「運ばれてるみたいだね」
谷底の上を悠々と飛行するマルフェス。その姿は神秘的だ。
ひな鳥にミミズでも運ぶような形で、フミカは連行されている。
即死技を繰り出す様子はない。叩き落とすつもりはないようだ。
「そうか、これで最初の街に行くんだ」
案内人が生きていれば、きっとそんな感じの説明をしたのだろう。
「ちゃんと説明聞かないから」
「服がなかったせいでしょうが」
ミリルに抗議する。
小さな妖精はマルフェスの頬にしがみついていた。
遠方に目を凝らすと、巨大な街が見えてきた。
アルタフェルド王国の第一城壁都市プレク。
王国の門にして、侵入者を拒絶する壁としての機能も有する場所だ。
――君も、楔を解きに来たのかい?
キャラクリを終えた後に流れたムービーを思い返す。
名もなき青年は言っていた。
――楔は祝福でもあり、呪いでもある。
これまでは楔を絶やさぬよう、皆が励んできた。
しかして、これからは楔を壊さねば。
囚われたまま、朽ち果てるだろう。
エレブレシリーズは楔がキーワードとなる作品だ。
過去作では楔の力を守るために旅をした。
シリーズ集大成の4では一転、楔を壊しに行くというわけだ。
「勇気を持って、応じたまえ……」
「なにそれ?」
「エレブレ4のキャッチコピーだよ。そんなことも知らないの?」
「そういうの、よく調べなかったからさ」
その言い方にカチンときた。
このゲームを利用しているくせに、内容を知らないのはモヤモヤする。
「ちょっとそれ、良くないんじゃない?」
「お説教しようとしてる? そんな筋合いないけど」
「いやいやあるでしょ。このッ!」
イラついたフミカは棍棒でミリルを殴ろうとしたが、彼女は掴まり移動して避けた。
一丁前に避けてみせた。
その事実に、余計苛立たされる。
現地についてしまえば、やり返すチャンスなんて巡ってこない。
一発ぶん殴る権利が自分にはあるはず。
フミカは何度か追撃したが、ミリルは避け続けた。
「当たらないよ~」
「こなくそ!」
がむしゃらに棍棒を振り回す。
と。
悲鳴が聞こえた。
それはいい。望んだところだ。
問題は、悲鳴の主。
声はとても大きく。
そして、自身の胴体を震わせていた。
「やっべマルフェスを殴っちゃった!」
「あーあ、何してんの」
クリーンヒットしたマルフェスが暴れ始めた。
そして、さらに大きく鳴き喚く。
凄まじい声量で。
人を食べられるくらいの、巨大な口を開けて。
「あっ」
瞬間、フミカはするりとくちばしから零れ落ちた。
「あちゃー」
ミリルがやっちゃったね、という顔を作る。
身体が、重力に引かれ始めていた。
「嘘おおおお!!」
絶叫しながら、フミカは暗い谷底へ吸い込まれていく。
「だぁあああ死んだ! 鳥タクシーをもう一度かい!」
身を起こしたフミカは、しかし見慣れぬ光景に目を白黒させた。
全体的に薄暗いエリアだ。明るい洋館や森とは大違い。
近くでは川が流れている。目の前にあるのは楔の花。
「まさか、隠しエリア?」
ゲームをクリアする上で、攻略する必要がない場所。
特殊な行き方でしか辿り着けない、秘密のエリア。
シリーズの経験から推測したフミカは一旦、楔の花へと近づく。
「よお、お前も鳥から落とされたクチかい?」
「うおっ!?」
触れようとした花に話しかけられて、飛び上がる。
楔の花に話しかけられた経験はなかった。
「び、びびった……」
「どうやら驚かしちまったようだなぁ。ま、仕方ねえけどよお」
「す、すみません……」
反射的に謝罪する。
なんで謝ってるんだろうと思いながら。
「まぁ仲良くやろうぜ? 俺たちはこれから一蓮托生だ」
「どういうこと?」
この花は相棒ポジションのNPCだろうか。
分析しながら会話を続ける。
「どうせ出れっこないんだ。この昏き谷底からは。お前も、そこら辺の石ころと同じようになるんだぜ」
「あーそういうのね。わかったわかった」
合点がいった。
脱出が不可能という、演出の一つだろう。
メタ的に言ってしまうと、全然そんなことはない。
ストーリー的なフレーバーだ。
ここが如何に陰鬱で悲惨で絶望的な場所であるかを、教えてくれているのだ。
「まぁ、私は脱出しちゃうけどね。なんたって主人公ですし?」
「威勢のいいことだぜ。その威勢がいつまで続くか、見物だな」
花との会話が終わった。
着地の衝撃でダメージを受けているので、楔の花で補給した花の蜜を飲む。
フルーティーな香りが、鼻腔を駆け抜けていった。
「やっぱうまいなコレ」
前回よりも、心なしかうまい気がする。
もう一杯くらい飲みたくなるが、いつまでも飲みそうになるので堪えた。
とりあえず先に進むべきだ。
ミリルはどうしたのだろう。
フミカは進み出して、
「へへっ。飲んでくれてありがとうな。俺の花蜜をよぉ」
離れ際に花が発した言葉で、硬直する。
「う……うげええええ」
三人称視点ならちょっと気持ち悪いぐらいで済むセリフが、思いのほかクリティカルヒットしてしまった。
キモい。
キモすぎる。
なんだこの花。燃やしてやろうか。
しかし下手な攻撃はできない。案内人の二の舞は避けねば。
そもそもなんなんだこの花は。
これまでの楔の花は、おとなしかったのに。
「これも考察の余地ありってこと? したくねえ……」
気を取り直してフミカは歩を進める。
敵が見当たらない。ひたすらに陰気なだけだ。
プレイヤーを嫌な気持ちにさせたいという、開発陣の意志が具現化されたような場所。
しかし嫌いじゃない。
好きな部類だ。
コントローラーを握って、画面を見つめている分には。
(まさか自分の足で歩く羽目になるとは)
嫌な雰囲気だなぁ、と思いながら巨大な花の前を素通りする。
そして食われる。
むしゃむしゃと。
「喉ちんこの作り込みすごっ」
それが今際の言葉だった。
「……はぁ」
おしゃべり花の前でフミカは復活する。
どうやら巨大な花は、敵というよりもトラップの類らしい。
気を付けなきゃ、と身を起こして、
「また俺の蜜を飲みに来たのかい? いけないお嬢ちゃんだ……」
「きっしょ!」
身の毛がよだつセリフを背にして、走り出す。
食人花の前に来たので、タイミングよく前ステップ。
回避成功。
「よし、行ける!」
スタミナ管理しながら小刻みにダッシュ。
と、川から水音がしてその方向を見る。
こちらに伸びてくる食人花の口が目に入った。
「いやあああああ!!」
また美味しく頂かれてしまい、おしゃべり花の前でリスポーン。
「懲りないお嬢ちゃんだ。さぁ、今蜜を絞り出してあげよう……」
「うるせええええ!」
一本目の花は前ステップ。二本目は全力ダッシュ。
先に明かりが見える。きっとそこに何かがある。
このまま突っ切るぞ、と思った矢先、目の前から食人花が生えてきた。
「くそがあああああ!!」
フミカは、またもや花の養分と化した。
「そんなに飲みたいのか? 俺の蜜を……」
「あんたの蜜なんか飲みたくないよ! なんだこのくっそ不快なステージ!」
敵に殺されるならまだいいが、即死トラップばかりだ。
しかも隠れているのが最悪すぎる。
最初の花のように、道端に生えていたら予期できるものを。
明かりに辿り着くまで、何度食われる羽目になるのかわからない。
「開発者さん頭おかしいんじゃないの? ステージ自体が陰鬱だわ、きしょい花はいるわ即死だらけだわ! 視界も薄暗いせいで悪いし! 意味わからん!」
発狂しそうになる。
ゲーム画面越しでもむかつくだろうに、リアルで体験させられるのはなかなかにこたえる。
この事態を引き起こした元凶も、どこかに行ってるし。
ストレスフルとはこのことだ。
「だーもう、いいや! 洋館に戻ろう!」
冷静さを取り戻すべく楔の花に触れて、機能の一つである転送を選択。
洋館の庭園に戻ろうとして、ぶぶーん、という音が鳴る。
文字の色が薄くなっていて、反応しない。
「え? 選択できない……?」
転送ができない――つまり、あの食人花ルートを突破しなければ脱出できないということ。
「だから言っただろ? お前も石ころになって朽ちるんだよ」
「うわああああん嫌だああああ!」
寝転がり、駄々をこねる。
ゲームに詰まった時は、自室のベッドでふてくされるのがフミカのルーティーンだ。
とても他人には見せられないが、誰も見ることはないので問題ない。
いや、見ていた。
おしゃべり花が。
「元気出せよ。俺の蜜でも飲んでさぁ」
「嫌だあああ本当にキモいーそういうの薄い本とかだけにしてええええ!」
しかも何がイラつくって、この花のボイスは異様にイケメンなのだ。
これで変な声のおじさんとかだったら、逆に笑えたのに。
「大人気で困っちゃうぜ、俺の花蜜は。誰もかれも飲みたくたまらねえ」
「だから飲まないって! 誰があなたの蜜なんてえ!」
それに、即死しかしないのだから花蜜を飲む必要性なんて皆無――。
「……待てよ?」
じたばたと動かしていたフミカの手足が止まる。
おもむろに花蜜の瓶を取り出した。
誰もかれも飲みたくてたまらない花蜜。
それを、おしゃべり花の目の前で捨てる。
「おいおいなんてことしやがる! 搾りたての花蜜をよぉ! どんだけ貴重なものかわかってんのか!?」
そのセリフを聞いて確信した。
所持品にあった三つの花蜜瓶を空にして、フミカは進み始めた。
食人花の前を、あえて徒歩で通る。
なんの反応も示さない。
「きちゃああああ!」
今度は脇目も振らず走り抜ける。
川の中から食人花はやってこない。突然地面から生えてくることもない。
何の障害もなく明かりに辿り着けた。
「私天才! 頭が良すぎる……世界で一番賢いぞ!」
「あ、やっときた」
自身の天才ぶりを称賛していると、聞き慣れた声がした。
ミリルが焚き火の傍に座っていた。どうやら待っていたらしい。
「来るの待ってたんだよ。待ちくたびれちゃったよ」
「難問を前に足止めされてたんだから、仕方ないでしょ。まぁ私は天才だから、楽々と突破しましたけれど?」
「なんでもいいけど。君……とても楽しそうでいいね」
「ま、まぁね」
謎が解けた時の快感がたまらない。
このステージもなかなか悪くなかったんじゃないかなんて思える。
「そこが出口みたいだよ」
「エレベーターか。いいね」
少し先に木製のエレベーターが見えた。街はこの先だろうか。
と、別の部屋に宝箱が見えた。
もう人食い花に脅かされることはないので、気楽に箱へ手を掛ける。
「また水が出るかもよ?」
「流石にそう何度もないでしょ」
フミカの予想通り、ちゃんとアイテムが入っていた。
種だ。
アイテム名は花の種。
「本当に辿り着いたんだな、お嬢ちゃん」
「うっわ、きしょ花!」
いつの間にか、隣におしゃべり花が生えている。
「初めて見たぜ。あんたは賢いな」
「でしょ? えへへ」
褒められて悪い気はしない。
「その頭の良さを生かせば、間違うこともないだろうな」
「……何の話?」
「もう行け。お前は俺みたいになるんじゃねえぞ」
「う、うん……?」
「フミカ、行くよー?」
意味ありげなセリフを背にして。
フミカとミリルは、エレベーターへと向かった。
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