カツ丼×漫画家
麗
カツ丼×漫画家
「じゃあ、本当にありがとうー。またよろしくね」
地獄の様だった締め切りがようやく終わり、寝不足で真っ赤になった目でアシスタントさんたちを見送る。普段は泊りがけの場合も多い彼らだが、流石に一度帰った方が良いだろうという事で、久しぶりの帰宅に散って行った。
ようやく決まった週刊連載。約三年間もネームを上げてはボツにされる日々だった。読み切りや他作品のアンソロジーの仕事は貰えていたものの、なかなか連載にまで繋げることができていなかった。苦労の末に掴み取った連載は自然と力が入り、編集部からのプッシュもあって、ファンも増えてきた。ここから、いかに読者を飽きさせず、ファンを楽しませ続けられるかは、私の腕の見せ所である。
とはいえ、先週と今週の分には、あまりにも時間をかけすぎた。自分にとってかなり思い入れのあるシーンであり、主人公の成長を表現する大切な見せ場だった。何回もネームを書き直し、作画を見直し、アシスタントさんのチェックをくまなくしていたら、いつの間にか締め切り前日。本当に、本当に人間のする生活ではなかった。
さあて、なんかご飯食べたいな。しっかりとしたやつ。
元気に音を鳴らすお腹をさすりつつ、家の小さな冷蔵庫を開けてみたが、驚くほど何も無かった。ストックしているビール三本、アシスタントが買ってきてくれたお茶のペットボトル数本、エナジードリンク二本、ドレッシングや醤油・マヨネーズなどの簡単な調味料、いつ開けたのか分からない鮭瓶。
「あっちゃー……、見事に食べるものが無い!」
普段の料理は、外で買ってきて来てもらうか、アシスタントさんが作ってくれる。それと、たまにウーバーを頼む。
私はしばし、何も入っていないに等しい冷蔵庫を見つめた。
「よし。ここは諦めて何か頼もう」
今の私は三日間まともに風呂に入っておらず、寝不足で目は真っ赤に腫れている。極め付けに、ただでさえ脂性肌の顔が、荒れに荒れている。いわば、歩く公害状態である。これで外に出る、ましてや外食は店に迷惑。ゆえに、ここはウーバーが最適解。
とまあ、怠惰な行動に最大限の理由を付けて、ソファに寝っ転がりながらウーバーのアプリを見漁った。さすが、韓国料理に台湾料理、フランス料理から、カレー、おにぎり、てんぷら、天才的な選択肢であふれている。
「えー! どうしよ、疲れたしマックも良いな、あ、でも牛丼とかも気になる……」
ぶつぶつと独り言をしながら、眼に飛び込んできたある物に私は心を奪われ、胃袋に後押しされるままに注文すると、約三十分後にお届けします、との通知が飛んできた。
あと三十分。短いようで長い。
置き配をお願いし、とりあえず、軽くシャワーを浴びることにした。昨日のお昼過ぎからずっと家に閉じこもって締め切り業務をしていたので、いいかげんさっぱりしたい。
約十五分後、シャワーを浴びて人間の姿に戻った私は、冷えたお茶を飲んだ。濡れた髪をタオルで適当に吹きながら、ダイニングテーブルに座る。少し熱めのシャワーですっきりとした身体で考えてしまうのは、結局は漫画のことだった。今書いているのは、いわばSFファンタジーである。多種多様な星とそこに住む住人たちの物語。主人公は、はるか昔に別れてしまった恩人を探しながら、たくさんの種族と文化に触れ、成長していく。バトルあり、涙あり、時にはギャグも入れながら。
物語の舵取りは本当に難しいものだ。それでいて、読者の目線も気になり、これが本当に面白いのかとネームを書きながら頭を傾げてしまう。ただ自分の好きを詰め込んでいるだけで、そんなこと考えたことも無い、という作家もいる。ついつい余計な事を考えてしまう私には、なれないタイプだろう。
ピンポーン。
「お、来た」
マンションの入り口のインターホンが鳴った。いまだに濡れている髪を適当にバレッタで留めながら、ボタンを押して入り口のドアを開ける。しばらく待つと、再び部屋のインターホンが鳴り、部屋の前の置き配ボックスに物が置かれる音がした。
足音が完全に消えるまで、ドアに張り付いて待つ。いそいそとドアを開けると、そこには私のご飯が座っていた。
「あー、お腹すいた! すでに良い匂いする気がするー」
ビニール袋を取り、零れない様に丁寧に張られているテープを取る。ゆっくりと蓋を開けると、熱々のカツ丼が姿を現した。肉厚のカツは均等にカットされ、たっぷりのふわふわな卵に包まれている。その天才的な組み合わせは、キッチンのしょぼいライトの下ですら、宝石のように輝いて見えた。
今すぐにでも食べたい気持ちをぐっと我慢し、簡単に付け合わせを用意する。お椀に味噌一すくい、水で膨らむ乾燥ワカメを少々、昆布だしの素を味噌の三分の一くらいを放り込む。そこに、シャワーを浴びる前に沸かしておいたお湯を注ぎ、良くかき混ぜる。インスタントの味噌汁完成。本当は、漬物も用意したいところだが、あるわけがないので断念する。残りのお湯を使って、緑茶を入れれば準備完了。
「いただきまーす」
逸る気持ち抑えながら、まずはゆっくりと味噌汁を飲む。温かい汁が胃袋に落ちていくのを感じる。ゆっくりと飲んで、落ち着いたところ、箸を手に取った。
まずは、カツ丼の上のカツを一切れ掴むと、そのつやつや具合を堪能した。卵に絡められた美味しそうな姿。それを思いっきり食べた。
その、ガツンとした旨味に感動する。勢いのまま卵を食べ、ご飯をかきこんだ。
よく咀嚼をして、飲みこんだ。そして熱々の緑茶を啜った。
「うまっ……」
再び、カツを一切れ箸でつかみ、第二陣を準備する。
また、明日からは次の週の連載の準備を進めなくてはならない。けれど、それが心地よいような、そわそわした変な気持ちになる。
よし、明日からも頑張ろう、と新たに決意しながらカツ丼を食べ進めた。
カツ丼×漫画家 麗 @rei_urara
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