5.転落者の視界

「馬鹿言うな! さっさと謝って穏便に済ませろっ」


 目を剥いたジフが黙っていられずに声を張り上げる。ジフとて悔しい気持ちは持ち合わせているし、出来ることなら最初の勢いそのまま強気にバルック達を追い返したい。けれども、強者が上位者だという考えはデューアの民であれば誰でも持ち合わせている理念なのだ。


 自らの悪しき魂が運命を操作し、神が、自覚せよ、と怪我を負わせた。


 そう考えるが故に、体が不自由な身としてはどうしても及び腰になってしまう。しかし、同じ弱者のはずのレオーナはどこ吹く風。


「心配しないでジフさん。この人達は私に用があってここに来ちゃったみたいだから、表で話をつけてくるよ」


「女の、弱者のお前が勝てるわけがないだろうっ」


 幾ら見た目が男と同じような装いであったとしても、レオーナは男に筋力で劣る女だ。女にしては機敏で力も強いのはその仕事ぶりを見ていたから知っている。そのおかげか幸運か、何度かバルックの拳を避けられた。けれども、避けられず二発もくらっているのも事実。レオーナは皇城の中央門に通う変な奴だが、気の良い奴だ。ジフの店が差別対象となる弱者経営の店だというのに気にせず一緒によく働いてくれた。だから、怪我など負って欲しくはない。ジフが胸の内でレオーナにお願いだと強く念じる。しかし、レオーナにその思いは届かない。


「大丈夫。確かに私はデューアの弱者かもしれない。けれども、強者でもあるから」


「何言って――」


 レオーナが理解できず、益々引き止めなくてはと一歩踏み出したジフの視界が大きく揺らぐ。次いで本日二回目の体を床に打ち付ける痛みに呻くと、頭上から声が降ってきた。


「うっせぇな。てめぇは自分の脚か床でも舐めて引っ込んでろ」


 見上げた先には人を見下した目が二つ並んでいた。瞬間ジフの脳裏を過ったのは何故か過去の自分だった。


 大きな体を活かして家業を継がずに軍人となった若かりし日。ジフの父は軍人を目指しても適性が無く、家業を手放せずに有事の志願兵にもならなかった。そんな父を戦場からの凱旋時、見下した自らの双眸。それを過去の父親の視線から見上げるような不思議な感覚がした。同時に強い後悔が押し寄せる。当時のジフは自らを強者だと胸を張り、得た立場に酔っていた。そして他者を見下して悦に浸っていた。その後負傷して、多くを失ってはじめて気がつく自らの愚かさを、今バルックの視線を受けて噛み締める。


「そこまで言うなら表で一戦交えようじゃねぇか、お嬢ちゃん」


 取りに足らない者扱いされ、すぐに逸らされた視線。向けられた大きな背中を見上げることしか出来ない自分の不甲斐なさに胸が締め付けられる。そんなジフの背中に柔らかな何かが触れた。駆け寄ってきたカロルとホリーの手だった。自らの大きくて重い体を必死になって支え起こそうとしながら、掛けられるのは心配と気遣いの声。妻と娘が文字通り自分を支えてくれている。そう考えると、何が正しいのかがわからなくなった。


「貴方達が見下して弱者と呼ぶ人間に何が出来るのか見せてあげる」


 レオーナがまた余計なことを言った。バルック達が鼻で笑って表に出ていき、レオーナもその後に続こうとする。止めなくては、と声をかけようとしたが出来なかった。


「皆さんはここで待っていて下さい。私は弱者とか強者とかっていう考えは嫌いで心の底からどうでもよいけど、そうでない人は邪魔なので。余計な手出しも見物も不要。自分の招いた事態の収集くらい自分でつけますから」


 さらりと店内の全員をその場にとどまらせる台詞を言い放ったレオーナは軽い足取りで表に消える。レオーナの言葉はどれもこれもジフの心をチクチク刺激して、気持ちの整理をつかせない。支えてもらって上体を起こした姿勢から脚に力が入らなかった。


 強者から弱者になった時、自分はそんなに罪を重ねてしまったのかと愕然とした。同時に、それまでの自らの振る舞いを振り返って、より打ちのめされた。自らは強者だからと、おざなりに扱った人間がどれほどいたかを数えようにも多すぎて出来なかった。怪我を負って不自由になった体を労り、世話をしてくれるカロルとホリー。二人に対しても昔は酷い扱いをしていたと自覚すると、自分は本当に愚かな弱者だったと認める以外に選択肢はなかった。


 けれども、心を入れ替えて弱者としての自分を認めて過ごすようになると、時々頭に疑問が過るようになる。それまで信じていた強者主義は本当に正しいのか。そもそも、強者の定義とはなんなのだ、と。


 そして今、目の前でレオーナが言った。自らは弱者であると同時に強者だと。それはどういうことなのか。相反する二つが一つの肉体に共存することなど有り得るのか。


「あなた、憲兵を呼んだ方が良いんじゃないかしら?」


「どうしようっ、レオーナったら何であんな変なことばかり言って相手を怒らせちゃうの? 今すぐ助けなきゃ! 本当にただじゃ済まないんじゃない!?」


 カロルとホリーの声で思考の波から抜け出して現実に戻る。見回せば、店内の客も判断に窮している様子だった。扉から外を覗き込んでいる客がレオーナ達が人目につきづらい路地裏に行ってしまったと慌てている。自業自得だと着席して我関せずと食事を再開している客や野次馬をするか迷っている客、巻き込まれたくないと勘定を急かしてくる客。店内の騒めきのせいで外の様子が分からない。卑怯な手を使われて、羽交い絞めにでもされていたらもう手遅れかもしれない。


「そうだな。誰か憲兵を――」


 ジフは走れないし、女の夜道の独り歩きは危険だ。よって、酒場の常連客に憲兵を呼んでくるように頼もうとしたその時だった。


「すいませーん」


 多少なりとも緊迫していた店内に間延びした声。全く誰だこんな時にと思った後、聞き覚えのあり過ぎる声に勢い良く扉を振り返る。


 何故そんな呑気な顔で戻ってきた、という台詞は驚きのあまり喉奥に詰まって出て来なかった。


「誰か憲兵呼んで来てくれませんか? 店の裏で寝ている人達を片付けたいんで」


 勢いにまかせてもたつきながら立ち上がり、飄々としたレオーナに促されていつもより雑に足を引きずって表に出る。妙な胸騒ぎに急かされ、辿り着いた裏路地の地べたに信じられない光景。


 バレット達三人が意識を失って倒れていた。

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