4.強者主義者

 背後にいるジフからバルック達の気を自らに集中させようとしたレオーナの作戦は見事に成功した。その結果胸ぐら掴まれそうになったので、軽く身を退いて躱しておく。それにさらに眉を吊り上げるバルック。今にも脳天が噴火しそうな顔を見てレオーナは内心で溜息を吐いた。


 バルックが言う通り、強者主義はデューアではごく一般的で主流な思想だ。そもそもデューアという国名と代々皇族が名乗ってきた姓はデュリアという勝利と戦いの男神が由来だとされている。元々多くの神を崇めてきた部族がデューアの起源なのだが、その中からデュリア神を特に信仰していた者達が戦うことにより支配地を増やしていき、その信仰心を高め、更に戦を続け長い年月をかけて結果誕生したのがデューアという帝国なのだ。国軍や各領主が管理する領軍は当然あるが、有事には商人も農民も関係なく男達は戦に赴く。そこで武勲を立てた者が帝国の英雄として扱われる。戦争によって他国を侵略すれば、国土は広がり、保有資源が増える。また少し前まで奴隷として敗戦国民を労働力にしていたのだから、確かに戦えば戦うほど国は豊かになった。小さな敗戦はあるが、大敗を喫したことは一度もなく、世界でもトップクラスの軍事力を誇るデューア。戦い勝ち続ける為に求められた人材が強者であり、そこから差別的な強者主義が生じ、成り立つような社会が出来上がった。


 またデュリア神を崇める強者信仰は強き者の魂は清く美しく、人を統べ守る力を生まれながらにして与えられたのだと唱える。この崇高な魂は前世が良い行いをしたことにより与えられた神からの褒美だとされる。逆に弱き者は前世の罪を魂が背負っており、それを償う為に努力を重ねなければ魂の浄化は出来ず、弱き者のまま。つまり、弱者は生まれながらに魂が汚れ罪を背負っており、弱いということは前世の劣悪な魂が宿っている証拠だと捉えられる。


 強さを測る尺度は様々あれど、戦いに必要な筋力や持久力は当然大きく影響する。となれば男より女の方が魂が汚れており、病や怪我は神が今世の罪を体現させたものであり恥ずべきことだと捉えるのが強者信仰の教えだ。信仰の度合いは立場や地位、土地柄などで様々だ。ただ、自身が強者であると固く信じるが故に、その教えをいい様に利用する人間はデューアには多く存在する。


 バルックはそんな過激な強者主義者の典型だ。弱者を魂の穢れた者だと決めつけ、逆に魂が清い自分は何をしても許されると思っている。こういう手合いは対処に手間がかかる。


 話して通じれば良いのだけれどとレオーナが思案していると、二度空振りしたバルックの腕が今度は顔面を掴もうとのびてくる。掴まれたら自分の顔が歪むだろうことが想像出来たので、レオーナは前に踏み出てバルックの背後に回った。


「こんのっ、ちょこまかと!!」


 振り向いた勢いそのまま飛んできた拳を避けながら、レオーナはバルックをこの場から帰す方法を考える。しかし、酒が入った状態ではいつも通りに思考が回らない。ついつい考えたことがそのまま口に出てしまう。


「さっきも言ったけど、暴力で何もかも自分の思い通りにするのは時代遅れ、というか憲兵に捕まりますよ」


「ふざけるな! 強者が強者らしく振舞って捕まるわけがねぇだろう!!」


「あら? 情報には疎いタイプなんですか? 乗り遅れると痛い目みますよ」


 そこから半年ほど前に作られた新しい帝国法について丁寧に説明する。これまで強者主義者が多く、何かと力で解決する事が多かったデューア国内に初めて、正当防衛意外で暴力を振るった者は相手が訴えれば逮捕されるという新たな決まり事ができたのだ。この法案が通るには五年以上の歳月が費やされた。にもかかわらず、周知が徹底されてない。被害者が訴え出なければ逮捕に至らない点もまだまだ改善が必要だとレオーナは認識していた。それでも、デューア史上初めての強者主義に逆行する法律だ。レオーナはここぞとばかりに声を大にして主張する。


「皇太子殿下が頭の硬い政府内の重鎮達を説得して、やっとのことで発布した法なんですよ。なので、私が暴力を受けたら両手を挙げて憲兵に貴方のことを訴えさせていただきます」


 被害者の訴えと目撃者の情報があれば憲兵は動かざるを得ない。強者に弱腰になってしまう者は多くとも、良心ある者ならば憲兵への暴力目撃情報提供に協力してくれるはず。レオーナはそう信じて胸を張った。するとバレットは心底不快そうに真っ直ぐレオーナを睨みつけたが、何故か何かを探るような表情に変わる。


「……お前、もしかして女か?」


 予想外の問いにレオーナは面食らう。


「えぇー、よく言われるけど、このタイミングなの?」


 デューアの女性は長髪とスカートが基本スタイルだ。美しく手入れされた長い髪と、ひらいりと揺れる動きづらいが作りが簡素なスカートが女性らしさの象徴とされ、男性に好まれる。強さが男に求められる世の中で女に求められるのは家庭を守り強い子どもを産み育てること。そして女は強い男に見初められることを人生の目標にすることが多い。なにせ、旦那の地位によってその暮らしは大きく変化するからだ。よってデューア女性は家事上手と健康と同時に男にとって魅力的であろうと心掛けるのが基本。好んで髪を短くする者など皆無に等しい。


 なので、小麦色の金髪を邪魔だからという理由でざっくり切って短髪にしている上に、動きやすいからとスカートではなく男性服を着ているレオーナは男と間違われて当たり前だ。ただ、バルックのようなタイプの男が怒り心頭な状態で自分の性別に気が付き口にするのは意外だった。女相手には手を上げない紳士的な主義でも持ち合わせているのかと顔色を仰ぎ見る。


「……お前レオーナ・オーブリルか?」


「そうだけど?」


 自分の名前が他人に知られていることは割とあることだったので、特に驚くことなく肯定する。するとバルックは紳士とは正反対な行動をとった。突然大声で笑い出したと思ったら、不意打ちで足を掛けようとしてきたのだ。ほとんど反射でその足を避けようとしたが、どうやら足掛けはフェイントだったようで顔面目掛けてバルックの右拳が勢いよく飛び出してきた。足に気を取られて一瞬反応が遅れた。腕でガードをするのが精一杯だった。


「レオーナッ!!」


 室内のどこからともなく悲鳴と共に上がった声が誰のものかを認識する余裕はなかった。自分は強者だと豪語するだけあってバルックの拳は重く、体の軽いレオーナは近くのテーブルの上に吹っ飛ぶ。卓上の飲食物を巻き込んでテーブルと一緒にひっくり返った。レオーナは打ち付けた痛みを気にする余裕なく素早く体を起こし、自分が突っ込んだテーブル利用者の常連男性二人に対して安否を確認する。一人は軽く巻き込まれて腕をテーブルに打ってしまったようだが軽症。もう一人は無傷だった。一安心、とは当然いかない。


「ははっ、頭のイカれた女にちょっとばかり社会勉強させてやるつもりで来たんだが、気が代わった。ボコボコにして強者を馬鹿にしたことを一生後悔させてやるぜ」


 指を組んでボキボキと音を鳴らすバルック。レオーナは背後の客が自分から距離を取るように手で促しつつバルックを注意深く見据える。


「私に用があってここに来たって言ったように聞こえたけど?」


「ああ、『腑抜け』皇太子に心酔して、女の身の上で護衛になりたいなんて言うイカれ女がいるって聞いてな。わざわざ目を覚まさせてやりに来たのよ」


 深まった穏便ではない空気に店内にいた誰もがバルックとレオーナから露骨に距離を取りはじめた。そしてその誰もがレオーナのすぐ先の未来を想像して青ざめている。苛烈な強者主義者の中には自らが崇高であると強く信じるあまり、力のない女子どもを悪とみなし、暴力を振るうのに躊躇しない者が存在する。バルックの言動は明らかにそれに当てはまっていた。


 しかし、レオーナは周囲の者と注目したポイントが異なった。


「……クソ、なんだって?」


 無意識に低くなった声色。バルックは視線が鋭くなったレオーナを見下して鼻で笑った。


「守る価値もねぇ法律を作ったり、他国にへこへこ頭下げて仲良しこよししようとするクソで腑抜けのアウル・デューアだよ」


 バルックが傍観していた他の仲間二人に視線を向ければ、下卑た笑みを浮かべて立ち上がる。


「そうそう、地方の労働力だった奴隷を解放しちまった上に、高い金払って雇い直したりしやがった迷惑な皇太子だ」


「俺達は戦争で飯食ってたのに、アイツが怖気付いて弱腰になったせいで、戦争がめっきり無くなっちまった。それで金が入らなくなってなぁ。腑抜けちまった王子様のせいで暮らしが立たねぇって、恨みに思ってる奴が国中に溢れているんだぜ」


 あれやこれやと皇太子批判を垂れる男三人。レオーナの腹の奥底から胸のあたりまでぐつぐつと熱いものが込み上げ、眉間に力が入る。その状態で目が合えば、男達はより口角を下品に上げた。


 文句の一つでも言ってやりたい。そんな感情が頭を通り過ぎる。すると、レオーナの眉間から力が抜ける。


「可哀想に」


 ぽつりと溢れた言葉に反応したバルックが片眉を上げる。


「皇太子殿下のお考えが理解できず、他者を否定して顧みれない。新しい価値観に対応できず、古く愚かな考えにしか馴染めない。だから。可哀想に、と言った」


 聞かれてもいないのに丁寧に言い直してやった瞬間、バルックは一気に噴火した。


「可哀想なのは、これからボコボコにされるテメェだよ!!」


 唾を撒き散らしながら怒鳴ると同時にバルックが再び暴れ出した。拳がレオーナの顔面に向かって真っ直ぐに繰り出される。レオーナは僅かに立ち位置を変え両腕を顔の前に構えたが、バルックの拳が触れた瞬間、今度は背後の開きテーブルの上に勢いよく吹っ飛んだ。大きな音を立ててテーブルと椅子を巻き込んで床に倒れ込む。


「はははっ、俺様に生意気な口を利くからそういう目に遭うんだよ!」


 愉快そうに高らかに笑うバルックと男二人。ジフ達が慌ててレオーナの安否を確認しようと駆け寄ろうとする。しかし、彼らが一歩踏み出すとほぼ同時にレオーナは立ち上がり、手を挙げて来なくてよいと合図を出す。


「自分を強者だって豪語するだけあって流石のパンチ力だね、オジさん」


 打ち付けた腕を摩りながら軽口を叩くレオーナ。足を止めたジフがそれ以上喋るなと言いたげに目配せしてくる。しかし、レオーナはジフの内心の要望と真逆の選択をした。


「そういう乱暴なのが好きなら相手になるから表に出なよ」


 店内に居る誰もがレオーナの正気を疑った。

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