少女を拾ったら、ターボばあちゃんとレースする羽目になった夜

藤原くう

第1話

「ねえ、本当におばあちゃんが来るの?」


 ハンドルをコツコツ叩きながら、私はバックミラーを睨む。背後では、たよりないオレンジ色のひかりが、うすぼんやりとしたトンネルに吹く生ぬるい風に揺れている。


 その光が、パッと消えた。


「――来た」


 助手席にいる、スキンヘッドの少女が呟いた。その手には、数珠がかがやいている。


 バックミラーへ視線を戻せば、闇から影が飛びだしてくる。


 真っ赤なブレーキランプに彩られた、それは、車ではなく、イノシシでもなく、おばあちゃんだった。


 そのおばあちゃんは、私たちの方を見て、間違いなくニヤリとわらった。


 しずくをまきあげ、猛烈な勢いで通りすぎていった彼女を、私はただ見送った。アクセルを踏み込むことも、レバーをNから1へ動かすこともできず。


「追って!」


 その言葉で、私は我にかえる。


 アクセルベタ踏み、タコメーターの針が外れんばかりに振りきれ、悲鳴をあげるエンジン。クラッチとシフトレバーをうごかし、ギアを一つ飛ばしてサードへ。


 急加速にコンパクトな車体がぶれる。タイヤのものとも助手席の少女のものともつかない、甲高い悲鳴がトンネルに響く。


 そんなのに、いちいち気を止めてなんかいられない。


 私は、車体を安定させながら、シートベルトを締める。


 そのあまりに速い、曲がった背中から、目が離せなかった。




 トンネルを抜けると、外は雨だった。ひび割れたアスファルトには、水たまりがいくつもできている。思わず舌打ちしてしまう。朝いっぱいまでは降らないって聞いてたのに。


 ひどい雨だ。ただでさえ闇におおわれた視界が、透明な粒子のせいで、よりぼんやりとしている。もうなにがなんだかわからない。ワイパーを最大にする。がっしょんがっしょん動くたび、水滴が飛ばされていった。


 クリアになった世界を、オレンジ色のハイビームが切りさいた。光のなかを、走る小さな背中。


「あれが……」


「そう」しっかりシートベルトを締めた少女が言った。「ターボばあちゃん」


「そんなの都市伝説だと思ってた」


「実際にいる。ダムに沈む村の怨念が『ターボおばあちゃん』という形をとって、驚かせようとしているの」


「怨念って、そんなバカな」


「信じなくてもいい。でも、あれを追いかけて」


 私は頷く。……頷いたけれど、理解はできてない。


 この少女と出会ったのは、ついさっきのこと。私は、父が遺した私有地で、ヘアピンカーブの練習を行っていた。その帰りに彼女を見つけた。同性として、夜道を歩くうら若き乙女を見過ごすことなんてできなかったから、乗っけた。


 そうしたら、ターボばあちゃんを見つける手助けをしてほしいって言われた。


「えーと、どうして?」


「除霊するから」


 その手には、数珠が握られていたし、肩には袈裟がかかっていた。なるほど、お坊さんみたいだ。――オーバーサイズのTシャツと、ダメージジーンズと、スニーカーがなかったら、だけど。


 正直いって、夢でも見てんじゃないかって思った。でも、ほっぺをつねってみたら痛いし、車はいつもどおりジャジャ馬だった。つまり、夢じゃないってことだ。


 むしろ夢じゃない方が怖いんだけど。


 道はしばらく直線、あらためて頬をたたく。痛い、夢じゃない。


「どこまで追いかけたらいいの」


「どこまでも。あれが隠れている場所まで」


「それがどことか、わかったりは……」


 ちらと隣を見れば、少女はユルユル首を振っていた。


 ため息がこぼれた。それが見つかるまで走れってことらしい。なんて面倒なことに巻き込まれたんだろう。


 ため息をついて、正面を向きなおる。けたたましいワイパーの向こうに見え隠れする、おばあちゃんの背中は、次第に大きくなりつつある。直線ではこっちのほうに分があるみたいだ。


「人が150出せるだけでも信じられないっての」


「あれは人じゃない……」


「わかってる!」


 ゆるいカーブをアウトインアウトでぬける。


 ここ県道444号線は、ダム湖に沿って伸びている。直線が多めで、見晴らしもいい。公園が隣接されており、そこではバンジージャンプも楽しめるとか聞いたことがある。


 だが、今は、ヒトの姿もなければ、走る車の姿もない。だからって、速度違反をしていいことにはならないが。


「警察に捕まるかもしれないな……」


「大丈夫」


 何が大丈夫だというのだろう。逮捕されることを覚悟してるってことなのか、それとも……。


 あんまり考えないようにしよう。雑念が入ると、まっすぐ走れなくなる。


 直線がしばらく続いて、ふいに、おばあちゃんの姿が消えた――違う、光のない横道へはいったんだ。


「もうっ!?」


 反射的に、ハンドブレーキを起こす。ハンドルをチョンと左に、瞬間、グッと右へ切る。


 車体が滑る。時計の針が、0時から三時へ進んでいくように回転していく。お尻の方からはキュルキュル音が鳴り、焦げたタイヤのすえた臭いが、かすかに鼻につく。水しぶきが、残像のように飛んでいった。


 車内では、スピードメーターが左へ倒れていく。クラッチを踏みこみ、シフトレバーをローへぶちこむ。タコメーターがワイパーのように動く。


 一瞬ののち、光を放つ車の鼻が、ダムそのものの上に伸びる道を向いた。


 ハンドブレーキを倒す。アクセル全開。


 チューンされたスーパーターボが闇に吠え、濡れたタイヤが空転し、お尻から噴きだす火。


 カコンカコン。爆発的な回転数に合わせて、ギヤを上げてく。


 いそがしいったらありゃしない! ドリフトが終わっても、ニトロでも焚いたみたいな加速が待ってるなんて。スーパーターボによる、ロケットみたいな加速中は、わずかな段差がジャンプ台となるから気が抜けない。


 ――こんなのに乗ってたのか、父さんは。


 千鳥足の車体を金網フェンスにこすりつけるようにして、やっとかっと崩れた体勢をととのえる。


 ふうと息つき隣を見れば、少女がゆるく頭をふっていた。なにも言わずにドリフトしたものだから、気持ちわるくなったんだろう。


「吐くなら、そこに袋があるから、それに……」


 私は、正面を向きなおることにする。あのばあちゃんを探さなきゃならないし、見られてたら吐けるものも吐けなくなるから。

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