3-1

 今回、鉱山が発見されたのは、屋代たちが住む本島から船で二時間程度進んだ場所にある島だった。本島よりも緯度が低いせいか、冬でも寒さでかじかむことはなく、温暖で静か。人が住んでおらず、鳥や虫、獣などが誰に憚ることなく自分たちの生活を満喫する。いわゆる無人島ではあるが、しかし人の往来は定期的にあった。


「そもそも、この島には昔、ある神様に仕えていた人たちが住んでいたそうよ」


 鼻を衝く塩水の匂い。塩分を豊富に含んだ水が風によってあおられ、波打ち際に押し寄せては引き返していく。のぞきこめば泳いでいる魚の姿も確認できる澄んだ海水が立てる波の音を聞きながら、屋代は降り立ったばかりの地面を踏みしめた。


「それがどんな神様だったのか、かなり古い時代のことだから文献にも残ってなかったわ。その神様が天に還られて地上に戻ってこられたって話もなし。当然、その神に仕えていた人たちも今じゃ誰もいないでしょうね」

「あー、いわゆる忘神って奴っすね」


 髭の濃い老人、筋骨隆々の壮年男性、派手な化粧が目に痛い女性。三十代ほどの者から上は老年を超えていそうな者まで。何らかの形で祭具に携わる彼らに紛れて船から降りた波嬢の言葉に、手軽な荷物を抱えた絡亜が頷いた。


「そうよ。確かにいらっしゃったはずなのに、不敬にも人々が忘れてしまった神様。結果として二度とその姿を見せていただくことが出来なくなった神よ」


 崇め奉り、持ち上げておきなが何らかの事情、理由によって人々が忘れてしまう。あるいは、信仰を捨ててしまう。その不忠に怒った神様は二度と地上には戻ってこないと言われている。実際それが理由でいくつもの国が滅び、また文明が衰退したと伝えられている。人間だって持ち上げられた後に落とされれば嫌な思いを抱くものだ。神様が機嫌を損ねるのは当たり前かもしれない。


「この島も、そんな神様が収めていた土地だったみたいね。人が信仰を捨てたからか、それとも神様の方から見捨てたのかわ知らないけど、神も人もいなくなった後に残ったこの島を、のちに発見したのがこの辺り一帯を支配していた神様だったってわけ」


 背中の荷物を下ろし、座りっぱなしで硬くなった体をほぐす波嬢の隣で、興味深げに周囲を見渡している絡亜が感嘆をこぼした。

 船着き場として簡易に整備された港と違い、遠くに望む、紅葉を過ぎ去ったばかりの木々と、それらを生やした山は自然が溢れている。


「でもこの島って、人が来てるんすよね? いや、あーしたちとは違う意味で」


 電車を乗り継ぎ船に詰め込まれ。

 数時間もかけてやってきた屋代たちと同じく体が固まっていてもおかしくないはずなのに、絡亜に疲れた様子はない。はしゃぎまわっているわけではないが、これからのことを考えて胸を躍らせている姿が見て取れた。


「それはあくまで管理のためでしょうね。ここって、人が住み着くには本島から離れすぎてるし、当時は開拓の必要性もなかったから。誰かが勝手に住み着いたりしてないかとか、動植物の動向とか。簡単な調査と管理だけ続けてたんでしょうね」

「だけど、今回新たに鉱山が発見された」


 波嬢たちの後からも続々と、船から降りてくる人たちをしり目に、屋代は言葉を繋いだ。荷物の中身を確認していた波嬢が目を向けることなく肯定する。


「そうよ。それと同時に過去に住んでいた人たちが残したと思しき遺跡も発見されたの。残念ながらその鉱山、というか鉱脈は遺跡に沿う形で見つかってって話よ。だから、調査の終わっていない今は危険も起こりうるってことね」


 そういって、荷物から取り出した箱を空けた波嬢に首を傾げる。


「どうして神楽鈴なんか持ってきたんだ?」


 波嬢が取り出したのは、神職が行事などでよく使う神楽鈴だった。白木から削り出された棒に、上段から下段にかけて小さな鈴が3、5、7個取り付けてある。鈴を鳴らして神様に呼びかけるものだが、なぜ今取り出したのか分からず訝しんだ屋代は、自分も背負っている棍を思い出した。


「もしかしてそれが波嬢の祭具なのか?」

「そ。今回のために借りたのよ。これから行くんだから準備しておかないとね」


 そう言って波嬢はむやみと鈴が鳴らない様腰にしっかりと差し込んだ。神楽鈴、と聞くとどうしても袴姿を連想してしまうが、こうして作務衣姿の波嬢を見ると、存外組み合わせとしては悪くない。


「何よ、言いたいことでもあるの?」

「いや……」


 やはりこうしてみると、いささか尖った目鼻立ちだが非常に見栄えする。そう考えてしまった屋代は、島に来る前に白穂神に忠告された不純異性交遊禁止の言葉を思い出して頭を振った。

 鉱物が眠っている山を凝視していた絡亜が戻ってくる。


「お、祭具の話っすか? ならあーしも入れてくださいッす。なんでも答えちゃうっすよ」


 その目に輝きを灯す絡亜に苦笑が漏れた。島の来歴について興味なさげだった時とは明らかに反応が違う。自分の好きな物とそれ以外へ向ける感心の差がはっきりと分かれていた。


「いや、貸してもらったことについてはありがたいんだが、壊さないか少し心配でな」


 屋代が借りた棍は頑丈というふれこみ通り、どれだけ雑に扱っても壊れる気配がない。だが、これからも傷つかないなどという保証はなく、万が一にも破損した場合を考えると今更ながら気が引けた。


「別に気にする必要はないっす。というか、いくら祭具って言っても使ってるものが特別なだけでいつか必ず壊れるもんす。むしろ使いつぶすつもりで全力でやってください……ただ、師匠の作品については分からないっす。一体いつの作品かもわかんないっすけど、多分折れたこともないっすよ、それ」


 悔しそうに、けれどどこか誇らしげに絡亜は頭の髪玉を揺らしながら笑った 自らの不足を嘆きながらも、己が師匠に対する尊敬の念が増した。そう物語る絡亜の表情に、屋代は目を丸くしながらも、どこか同類の匂いを嗅ぎつけた。屋代や波嬢と同じ、目標に向けて一直線に走る向上心の気配。多かれ少なかれ人が持つ、より上に行こうとする渇望だ。

 それに気づき屋代もまた笑みを零した、その時だった。


「う、、、ぉぇ」


 嗚咽を堪えるような、何やらとても残念な声がした。

 船から降りてくる人混みに紛れ、ふらふらと屋代たちの方に近づいてくる少女が一人。


「………だ、大丈夫か?」

「も、んだ、いない……」

 

 口を開くことも辛いのか、息継ぎを合間に短く言葉を発したレイアは、再び襲い掛かってきた吐き気に口元を抑えた。いつもは凛々しく立っている太い眉があわれなほど萎れ、心なし白銀の髪も煤けて見える。


「まさか、英雄様が船酔いなんてね……」


 レイアに嫌味ばかりを口にしてきた波嬢だったが、この時ばかりは呆れが勝ったようだ。中途半端に浮かべた半笑いは、その醜態を笑うに笑えないと語っている。


「えいゆう、いうな」


 普段であればここで厳しい目を向けているレイアだが、やはりというか、体調が最悪なのだろう。声量は小さく、発した台詞は弱弱しい。いっそ意識でも失えば楽になるのだろうが、意地なのか一向に寝ようともせず、屋代たちにも頼らないと固辞していた弊害で余計に悪酔い。まっすぐ歩くことさえ難しくなってしまっている。

 地面に降り立っても青白い顔は戻らず、脚は常に震えている。あまりにも哀れなその様子に、先の狼藉からレイアを警戒していた屋代でさえ声を掛けずにはいられなかった。


「無理して立つな。座れるか? 落ち着くまで荷物は預かっておくぞ」

「いらない……」


 船の中でもそうしていたように、どれだけ弱っていても助力は得ないと首を振るレイアだが、自身の動き更に気持ち悪くなったのか視線が一点に固定されてしまった。吐き戻す直前のようだ。


「海浪、絡亜さん」

「仕方がないわね。この調子で来られても迷惑だし、ちょっとくらい待つわよ」

「えー。あーしは早く行きたいっすよぉ」


 唇を尖らせて不満を現わす絡亜に、少しだけだからと断りを入れてレイアの体を強引に掴んだ


「ほら、ここ座れ。水は飲めるか? 俺の荷物に背中を預ければ少しは楽になれるぞ」


 なぜ襲い掛かってきた相手を心配しなければならないのか。そう思わなくもない屋代だったが、約束を守り採掘に参加しに来たレイアを無下にも出来なかった。もちろんいつ暴れるとも知らない相手だ、最低限の警戒くらいはしておくべきだが、抵抗のつもりで胸を押す手の力を感じるに、今はその必要もないだろう。

 嘆息しつつ、膨れ上がった背中の荷物を地面に横たえ、それを枕とするようレイアを寝かせた。


「ぅぅ」

「………何か冷やせるものがあればいいが。波嬢、何か持ってないか?」

「ないわよ、そんなもの。いっそ地面に直接当てておきさないな」


 そう言いながらも、見かねた波嬢がハンカチを取り出した。水で湿らせて後によく絞り、レイアの首筋をそっと拭う。


「………………」


 少し楽になったせいか、目を閉じたレイアを見下ろす波嬢は小さくため息を吐いた。多分に呆れが含まれた色だったが、しかしその手は首を冷やすことを止めない。同じく採掘目的で島を訪れている祭具職人たちからの視線を感じながら、かいがいしく看護する。


「ああ、あーしの鉱物ちゃんが……」


 約一名、先に受付所に進んでいく者らを震えながら見送る者もいたが、とかく長旅で疲れた体を休める機会でもある。屋代も腰を下ろした。


「―――うわっ、何あいつら。こんなところに座って。邪魔じゃない?」

「だよな。ちょーっ鬱陶しい」


 ふと、こちらに向けられる騒がしい言葉が聞こえた。乾いた風に紛れて届いた声に顔を上げれば、そこには二十歳前後の青年たちが居た。屋代たちに次いで若い彼らは、視線に気づくと近寄ってきた。


「お前らここで座ってんじゃねぇよ。どっか行け」


 顎をぞんざいにしゃくる態度。加えてその服装は、街に遊びに来たのかと思うような防護性皆無。おしゃれのつもりなのか、どう見て山を歩くのに邪魔そうな装飾の数々。一見しただけで遊び人という言葉が脳に浮かぶ、そんな集団に屋代は小首を傾げた。


「邪魔にならないよう、元から端にのけている。わざわざ寄ってこない限り問題ないだろ」


 屋代とて考えなしではないのだ。しっかり考慮して端で休んでいる。彼らのように意図して近づいてこない限り、邪魔にはなるまい。


「あ? 何口答えしてんだ。目ざわりだから消えろって言ってんだよ」


 が、屋代の答えが気に入らなかったのか、初めに声をかけてきた青年が顔を歪めた。先よりも荒くなった形相で睨みつけてくるが、たかが人間の凄み、神や眷族との戦いを経験している屋代には何の効果もない。つまらなげな波嬢はもちろん、羨ましく受付所を眺めていた絡亜でもすまし顔だ。

 答える気のなさそうな二人に変わり、屋代が口を開いた。


「見えるのが嫌なら目でも瞑ればいい。悪いが、彼女が回復するまで動くつもりはない」

「もんだい、ない」

「……黙って寝てなさい」


 振り絞った気力で持ち上げられたレイアの腕を、波嬢がため息交じりに抑えた。そのコントじみたやり取りに、青年の顔が赤くなる。


「馬鹿にしてんのか。俺たちを誰だと思ってやがるっ」

「誰と言われても……人間?」


 神様ではないだろう。となれば、あとは人間しか選択肢が残されていない。少なくともどこぞの秘境で隠れ住んでいた伝説の種族、などではあるまい。

 至って大真面目に考えた末に出した屋代の答えは、しかしお気に召さなかったようだ。


「何こいつ、マジうざいんだけど。アタシらを知らないって、どこの田舎の子供よ」

「なあ、ったく、ちょっとは頭使って生きろよな」


 青年とは別の、それぞれの個性を前面に出した服を着る女と男が表情を歪めた。どちらも屋代の記憶にない顔である。

 おそらくこの中で最も情報を持っているだろう波嬢に目を向けると、軽く鼻を鳴らされた。


「名前も名乗っていないのに知るわけないでしょ……って、言いたいとこだけど、想像はつくわ」


 ちらりと、絡んできた集団を見やる。


「若い4人組の集団で、鉱物を採掘するために島に来たやつら。加えて不遜な態度。今注目されてる職人集団ね」

「祭具、職人?」


 視線を戻して、もう一度彼らを眺めた。鍛冶作業などした事もなさそうな細い腕、服の上からでも分かる痩せた肉体、漂ってくる香水の匂い、様々な色に染められていっそ汚れて見える髪色。世が思い描く職人という像をこれでもかと破壊する見た目だが、職人だというのだから驚きだ。絡亜を見た時よりも衝撃を受けた屋代は、想像との乖離に茫然とした。


「ふん、知ってるやつもいるのか」


 一方で、知られていると分かったとたん機嫌を回復させた青年が唇を吊り上げた。


「そうだ、俺たちがその職人集団だ」「古臭い奴らとは違う。一番新しい最先端ってやつ?」


 残りの二人も嘲笑うようににやつき、屋代たちを見下ろしてくる。もちろん物理的な話ではなく精神的な意味で。

 最後の一人、他の青年たちから一歩引いた場所に立つ者だけは腕を組んで黙しているが、とかく自分たちがそこらの有象無象の存在ではないと言葉の端々に滲ませて笑う。

 屋代は少し辟易とした。ただでさえ具合の悪いレイアがいるというのに、面倒な人たちに絡まれた、というのが正直な思いだ。


「っつーか、お前らこそ何なの? 子供ばっかで。ここは遊び場じゃねぇんだよ」


 とっとと消えろ、と、そう睨みつけてくる青年に、波嬢が目を細めて呟いた。


「こんなことになるなら、白石のやつを引きずってでも連れてくるんだったわ」


 さすがに学校行事、生徒だけで外泊させるわけにもいかないと、引率役として白石がついてきていた。いや、いるはずだった。しかし、採掘現場に行くのは面倒だと一人で宿泊予定の旅館に行ってしまったのだ。先生という監視の目もなくなり、ある意味やりやすくはあったが、こうした場合の対処はどうしても大人の力がいる。どれだけ言葉を重ねても子供だからと信じない人がいるからだ。


「あーしたちも鉱物を採りに来たっす」

「は? アンタたちが? どう見ても子供じゃない。職人じゃないでしょ」


 絡亜が言う。それまで一言もしゃべっていなかった少女が急に話したことに集団は面食らいながらも、その中の一人である派手な女が気を取り直した。


「俺たちは国立神職養成学校の生徒だ。今度開かれる品評会用の祭具を作るために、その材料となる鉱物を採掘しに来たんだ。まあ、実際に作るのは絡亜さんだけで、俺たちはただの手伝いだが」

「ぶふっ、その様でか?」


 屋代の言葉がツボに入ったのか、男が噴き出した。嘲笑われたレイアは反論する気力もないのか、虚ろな眼差しを返すだけだ。まあ、手伝いに来た当人が船酔いで倒れていれば笑われても仕方がない。とはいえ、先の青年たちの理屈でいうのなら、暴神を倒した英雄として名高いレイアに気づかない青年たちの方こそ自ら無知であると喧伝しているようなものだが。

 そのあたりのことは波嬢も思ったのか、馬鹿にしたように息を吐いている。


「品評会への参加、か」


 最後の一人、屋代たちはおろか自分の仲間も、遠い目で眺めていた男が言った。他の青年たちと違いその服は落ち着いたもので、職人というよりも仕事人といった風である。


「佐間田……」


 男、佐間田は振り返ってくる青年に目をくれず、絡亜だけを見つめていた。


「確かその学校の生徒は特例で参加を許されていたな。なるほど、通りで気を抜いているはずだ」

「…………どーいう意味っすか」


 頭の上の団子髪を揺らしながら、絡亜が険のこもった目つきとなる。


「言葉通りだ。大方お遊び気分なのだろう? 何もしなくとも品評会に、神々が見定める職人たちの祭典に参加できるのだから、無理はないがな」


 言って、佐間田は腰の後ろで手を組み、尊大な仕草で胸を張った。


「だが、俺たちは違う。数多くいる職人たちの間で競い、そうして選ばれた者だけが品評会に出品できる権利を得られるのだ」

「そっちも参加者ってわけっすか」

「その通り。俺たちは自分たちの努力によって権利を勝ち取った。与えられたお前たちとは重みが違う」


 そこで言葉を区切り、佐間田は受付所を超えた場所にそびえたつ、目当ての鉱物が眠る山を見た。


「俺たちは本気で採掘しに来た。物見ゆざんで来たのなら早く帰るんだな」


 佐間田の台詞に、屋代はつい訝し気な顔となる。もう一度佐集団を観察してみるが、やはりどう見ても遊び気分なのは彼らの方に見えた。唯一、佐間田のみはやる気だが、残りの3人は明らかに気が抜けていた。危険だという理由から祭具を持ってきた屋代たちのほうがよほど本気だろう。


「言ってくれるわね。見たとこ大した道具も持ってなさそうだけど、まさか素手で掘るつもりじゃないでしょうね」

「道具? ああ、もちろん用意している」


 一切荷物を持っていない姿にせせら笑う波嬢だったが、佐間田の視線をたどって船を見やったとたん頬が引きつった。


「お待たせしました。こちらの準備は完了です」

「ああ、ご苦労」


 つなぎとお揃いのヘルメット。服の上からでもわかる太い上腕二頭筋。現場の人間だと全身で主張している者たちが、佐間田たちに合流した。数にして20人以上。一気に大所帯となった集団に屋代も目を見張る。


「こちらはお前たちと違って大人なんだ。餅は餅屋。採掘作業などという面倒な仕事は外部に委託するに限る」


 採掘するために専門業者を雇ったのか。いくらなんでも本気すぎないか? いや、海外でしか産出されていなかった鉱物が国内で採れる、それも次回の品評会も迫る時期に。そうしたことを考えれば、人をかき集めて確実に入手しようとしても不思議ではない。だが、いくら何でもやりすぎな気がする。他の祭具職人たちも腰が引けたように脇を歩いている。

 屋代たちの反応に気をよくした青年が嫌らしい笑みを作った。


「……なあ波嬢、さっきから好き勝手言ってくるが、あいつらはそんなに凄い集団なのか? とてもじゃないが、そんな風に見えないんだが」

「祭具を納めておく箱を作り出したからっす」


 波嬢が答えを口にしようとしたその隣で、台詞を奪ったのは絡亜だった。


「箱? それって、祭具を保管しておくためのものだよな。どうしてそれで話題になるんだ?」


 祭具職人で話題となるのなら、特別に優れた祭具を作り出したか、もしくはどこかの神様に献上したかなどではないか?

 絡亜は視線を佐間田から動かさないまま、屋代の問いに頷いた。


「この間祭具を選んでもらうときに見たと思うっすけど、棺は中に収める祭具によって多種多様に存在するっす。まあ、それは当然の話っす。効果も形も違って当たり前で、外に余計な影響を与えないよう封じるための棺は、それぞれに合わせた形、材質であるべきっす」


 そこで一息入れて、言葉を続ける。


「けど、この人たちが作り出した棺は汎用型。一定の形、大きさの代わりにどんな祭具でもその中に収めることのできるものだったっす」

「……………いや、それは難しいんじゃないか?」


 例えば炎を灯す祭具と、水を生み続ける祭具があるとする。それぞれ保管しておくための棺は当然、形も材料も違ってくるだろう。だというのに、その二つの祭具を収めても問題なく封じられる棺など、明らかに矛盾している。

 屋代にでも分かる理屈は、けれど、師の話をしていた時と似た顔になっている絡亜に否定された。


「学校にお願いして一つ買ってもらったっすけど、とんでもなく凄い棺っす。使われる材料はどれも一般で入手できるもののはずっすが、それらの組み合わせは芸術的だったっす。大きさ一つとっても緻密に計算されつくしていて、あーしが真似できるようなものじゃなかったっす」


 実際に持ってきてるっすよと、鞄から絡亜が取り出したのは、厚みのある木材を使用した棺。丁寧に掘られた溝が独特の紋様を描いており、鮮やかな色味を帯びている。それを見た佐間田が勝ち誇ったように腕を組んだ。


「当然だ。お前たち学生ごときが真似できるようなものではない」

「それだけで評価されるものか? いや、凄い事なんだろうが」


 一方で祭具に詳しくない屋代にはどうにもぴんと来ない。

 ある程度の祭具であれば効果に依らず収められる。なるほど、便利そうではあったが、結局のところ専用に作り出した棺の方が保管という面で優れているのではないか。実際に目の当たりにしてもなお、それほど評価される理由に結びつかなかった。


「まあ、それだけならそこまで取りだたされないわね。けど、こいつらの作った棺は量産できるのよ。絡亜さんが言ってたように、その材料は市場でも手に入るものばかり。だから、設計図さえあれば、そしてその環境さえ整っていれば大量生産が可能なのよ」

「ってことは、一々職人が手作りしなくてもいいってわけか」


 波嬢の補足に、今度は屋代も理解できた。

 棺はその祭具専用として、職人の手で作り出される。その分の手間や時間は当然必要になるし、値段も跳ね上がるはずだ。しかし、彼らの棺であれば安価で、自身で作らずに済む分時間の余裕もできる。均一な品質は棺の安全性を保障する。結果として、大勢の職人が統一された棺を求めたというわけだ。

 だから脇を通り過ぎる職人たちが、嫉妬の混ざった目を向けていたのかと理解できた。


「そうっす。あんな芸術作品を作り出したのはどんな人なのか、ちょっぴり気になってたっすけど………」


 そこで台詞を止めて、佐間田を観察していた絡亜は残念そうに首を振った。


「その腕で祭具を作り出してるわけじゃなそそうっすね。やっぱり、祭具の設計だけして他はすべて機械に任せてるって話は本当だったってことっすか」


 己では考えつかない棺を生み出した相手に対する尊敬の念。それを抱いていたからこそ、より失望してと語る絡亜の反応に、鼻高々となっていた集団の空気が変わった。


「ふん、お前も己の手で作り出してこそ職人という輩か」「くっだらねぇ。今の時代は分業なんだよ。頭のいい俺たちがわざわざ汗水流して作るなんて時間の無駄もいいとこだ」

「手を動かす代わりに、私たちは頭を動かしているの。そんなことも分からないの?」


 口々に放たれた言葉の奔流に、屋代は面食らって瞬きする。それはまるで、誰かに対する言い訳のような、あるいは触れてはならない部分に触れてしまったかのような劇的な反応。早口で言い募る彼らにその意識はないだろうが、何とはなしに繊細な話題なのだと察することが出来た。

 だが、そうした人の機微に疎い絡亜はまるで頓着した様子はなかった。


「祭具はその職人の想いそのものっす。まして、神様に捧げるものを自分以外の手に任せるなんて論外っす。便利なのは認めるっすけど、その想いを収める大事な棺を機械にゆだねてどうするんすか」


 それは師匠の受け売りなのか、それとも絡亜自身の考えなのか。迷いなく言いきった言葉には確信がこもっていた。そうであるのだと、誰に否定されようと譲らない核が感じられた。

 顔を赤く染め、あるいは怒りに頬を歪める青年たち。その中でも特に、佐間田の視線には憎しみがこもっていた。たった一言で集団を敵に回した絡亜は、しかし敵意に気づいていないのか堂々と胸を張っている。その立ち姿は妙な重みさえ覚えさせるものだったが、同時に屋代はこうした部分を助力しなくてはならないのかと頭を痛くした。


「そう言うお前の作った祭具はさぞ立派な物なんだろうなぁ? 学生とはいえ一つや二つ、作ってんだろ」


 意趣返しのつもりだろう、佐間田の横から青年が口を挟む。ひときわ長身だからか、絡亜をのぞき込むような前かがみは威圧的に見えたが、そんなものに押されるほど絡亜は繊細ではない。


「そうっすね。色々作ったっすよ。そこのガミガミさんが持ってるのもあーしの作品っす」

「ガミガミさんって………」


 指で指示された波嬢が目頭を押さえた。深い息を吐いて腰に差していた神楽鈴を掲げて見せる。


「はっ。またありきたりな祭具作りやがって」


 青年が鼻で笑う。絡亜に断りを入れることもなく、波嬢から奪い取った神楽鈴とまじまじと眺めた。所詮は学生の作った祭具だと侮っているのだろう。少しでも粗があれば騒ぎ立ててやろうという魂胆が丸見えだった。佐間田以外の二人も同じ考えなのか、仲間の手元をのぞき込む。


「おい」「これって……」


 しかし、ニヤ付いていた彼らの顔が変わる。嘲りの笑みは徐々に消えていき、代わりに浮かんできたのは驚愕の表情。鈴の細部まで確認しようと、隅々まで目を凝らしている。限界まで見開かれた目が、どこかにあるはずの不備を見つけようと必死で動き回る。


「おい、よこせ」


 顔を強張らせる仲間に苛立ったのか、佐間田が眉を逆立た。最初こそ下らないと言いたげだった佐間田だが、他の仲間と同様、すぐに変化が訪れた。


「軽いっすよね? それ。特殊な水を吸って成長した白木を使ったっす。鈴の方も一つ一つ比重を変えて、他の鈴に干渉しないよう音に微妙な変化をつけてみたっす。どうっすか、あーしの祭具は?」


 絡亜の説明、しかし聞こえていないのか見向きもしない。いくら自分の手で作らないといえ、祭具職人を謡っている佐間田。見た目こそ重量を思わせるが、それに反する軽さであることを持った瞬間覚えたのだろう。見開かれた目が驚きを現わし、その手が震えている。


「これが、学生が作った祭具だと……?」


 どこかに解れはないか。鈴の形が歪ではないか。

 頬を引きつらせた佐間田が目に見える不備を探すため嘗め回すように見つめるが、指摘できるような部分は一切見当たらない。


「もういいっすか? あーしたちもそろそろ行きたいっす」


 そして、どこか退屈を持て余すような絡亜の気配に、佐間田は奥歯をかみしめた。吊り上げていた眉があがり、白木を握る手に力が籠められる。貶せる箇所がどこにもない事を理解しながらも、祭具職人としての誇りか。それを決して口に出さない佐間田は額に血管を浮かべながら深呼吸した。


「いい気になるなよガキ。この程度の祭具などそこら中に転がってるんだ。何もお前の作品は特別なものじゃない。俺たちが設計した棺こそ普遍にして唯一なんだ」

「へぇ。つまり、この子の祭具は売り物になっても問題ない完成度ってことね」

「っ」


 無意識に比較していた祭具、それが職人として正式な商品であることに気づいたのか、波嬢の感心した口調に顔を歪める佐間田。そうして全身を震わせ、仲間たちの視線を集めながらも、再びケチをつけるべく口を開いた。


「お、お待たせしました……!」


 が、言葉を発するよりも早く別の声が割り込んできた。その場にいた全員が口を噤むんで目を向ければ、一人の青年が走ってくるところだった。


「遅いぞ保崎。何してた!!」


 これ幸いとばかり、集団の一人が声を上げた。必要以上に大きな声量は、話をうやむやにする好機を掴むためだろう。


「ご、ごめん。皆の入場手続きに手間取ってしまって…手続きは済んだからいつでも入れるよ」


 付いてそうそう、頭を上下させて謝りだした青年に、屋代は直前までの雰囲気が霧散させられたように感じた。思わず瞬きをして保崎と呼ばれた青年を見れば、他の人たちとは違い、山の中に入っても問題ないような重装備をしていることが分かる。


「たかが受付にどれだけ待たせてんのよ。もっと早くしなさいよね、鈍間」


 仲間、なのだろうか。しかし、それにしては当たりが強いように見える。口々に不満を訴える集団に対し、保崎の方も、頭を下げ慣れているような、とにかく波風立たせないようにと謝罪を繰り返した。それは仲間と呼ぶにはあまりに歪な関係。あえて表現するなら下っ端か、パシリといった風である。


「ちっ。もういい。さっさと行くぞ」


 佐間田は、自分たちの手続きをすべて一人に任せきり、何もせずただ待っていただけの集団による文句を遮った。屋代たちに向ける瞳とは別の、怒りや苛立ちの視線を保崎に向けて顎をしゃくった。

 持っていた神楽鈴を波嬢に押し付けて、未練なく踵を返した。


「最後にもう一度言っておくぞ。品評会で優勝を得るためにも、鉱物の入手は絶対条件だ。くれぐれも邪魔はするな」

「それはこっちも同じことっす。選ばれるのはあーし。そのための構想もちゃんとあるっす」


 絡亜の真面目な返答に、佐間田はもう言うことはないと吐き捨て山に向かった。残された集団や雇い入れた者たちが慌てて追いかけていく中、最後尾にいた保崎という青年だけは、一瞬屋代たちに申し訳なさそうな目配せをしてきた。

 ようやく静かになった港で、誰からともなくため息が吐かれた。


「っよっし、気を取り直してあーしたちも行くっすよ! 太眉さんも、そろそろ回復したんじゃないっすか?」


 気合を入れるよう手を叩いた絡亜に、屋代も頭を振って気分を入れ替える。着いた矢先に面倒な集団に目を付けられたが、本番はこれからなのだ。


「そういえばアルクセイさんは? さっきからやけに静かだけど」


 いつの間にか唸り声さえ止んでいたことに気づき、そちらに目を向ければ。


「………波嬢、もう少しだけ休むか?」「………そうしましょうか。早く行ってもアイツらと鉢合わせするだけだしね」


 えー、という抗議の声を無視して、屋代は何とも言い難い顔でレイアを見やった。


「すー、……すー」


 レイアは、寝ていた。

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