魔法使いは神と踊る

@ostrich

1-1


 その戦場は、血と涙で満ちていた。

 与えられた使命を果たさんと多くの命が失われていく事実に彼女は慄いた。


「―――」


 彼女が戦うときは血など流れなかった。涙が溢れることもなく、その戦場に倒れ伏す命は存在しなかい。敵か味方、どちらかが光となって散っていく、儚くも静かな結末だけがそこにあった。抉られ、破壊されつくした大地だけがそこで戦闘があったことを示す、目撃者などほとんどいない戦場こそが、彼女の知っている戦であった。


「―――あぁ」

 

けれど、この結果を予想していなかったといえば噓になる。

 今も一人、必死の形相を浮かべながら地面に伏した命を見やる。四肢は健在であり、その瞳は光を失っていたが、眦を釣り上げた顔は今にも敵に飛び掛からんとしているようだ。きっと彼は、なぜ自分が死んだのか、そもそも死んだことさえ自覚できず亡くなったのだろう。胸に大穴を空けた遺体から目を逸らして彼女は戦場を俯瞰する。

 真白に染められた、見たこともない洋装を有した敵国の人間が暴れていた。

 姿形は彼女の知っている人間そのものだ。多少肌の色や使っている言語に違いはあれど、口から吐き出される怒号も、確たる決意の表情も、死んだ仲間を嘆く感情も同じ。鋭く磨かれた剣を手に、友軍を殺された恨みを晴らさんと彼女の臣民に刃を突き立てる。

 あと一歩踏み込めば切っ先が胸を貫き心臓を破壊する、そう理解した彼女は、反射的に手を動かしていた。彼らの足元から飛び出した、太く強靭な樹木が鞭のようにしなり、敵国の兵士を宙へと弾き飛ばす。命を拾った男は目を見開いて動きを止めたものの、すぐに彼女の仕業だと分かったのだろう。感動に頬を赤く染め、彼女のいる崖上に向かって一礼した。

 戦場で隙を晒してはいけない。それは戦う者にとって当たり前の理屈だが、同時に彼女に対する礼を逸することも許されない。最大限の敬意と感謝を示した男は、次の瞬間、敵国軍を殲滅せんと駆け出した。

 男だけではない、戦場のあらゆる場所で同じ光景が繰り広げられていた。敵から放たれた劫火がその身を焼かんとする者を木々で守り、周囲を取り囲まれ多勢に無勢な者を伸ばした枝で救い上げ、時には鋭い木の槍でもって敵兵士を貫き体液を吸い上げる。その度にあがる歓声。彼女を称える言葉は後を絶たず、味方の笑みがより深まっていく。彼女たちが居れば負けることはない、そう確信している臣民はその身を危険にさらすことを厭わず敵軍に迫っていく。


「……………」


 だが彼女とて万能ではない。取りこぼす命も当然あった。彼女の樹海をすり抜けた雷が少女の肉体を焦がし、足を失いながら戦っていた老人が敵に踏み潰される。半歩誤れば容易に屍となって躯を晒す。そんな生き地獄から目を逸らすことは許されない。

 彼らを戦場に連れ出したのも、敵国と戦うことを決めたのも、全て彼女たちの選択だ。苦しいはずだ、辛くないはずもない。口腔に満ちる血の味、手足を失う激痛。選んだ未来によっては感じなくてもよかった苦痛の数々、恨み言を吐き出しても非難されない状況にあって、けれど死こそ誉と言わんばかりに散っていく臣民を見て、彼女はなぜか背筋が冷たくなった。

 開戦前にあった戦いへの決意が揺らぐ。


「どうした、心配事か?」


 そんな彼女の動揺を見抜いたのか、彼女の傍にいた男が口を開いた。

 彼女と似た、神職が着る白衣と緋袴姿の男に視線を動かすことなく袖を振る。


「何でもありません。私のことは気にせず貴方は貴方の役割を果たしてください」

 

 素っ気ない返答。いっそ冷たい態度である彼女に、しかし男は喉奥を鳴らした。


「おいおい、そんなつれないこと言うなよ。もっと仲良くしようぜ、なあ?」

「必要ないでしょう。私たちは与えられた役割に準じればそれでよいのです。友好的であることに意味はありません」

「くっくっくっ、相変わらずお堅い奴だ。せっかくの戦、もうちっと楽しんだらどうだ?」

「楽しむ……貴方はそうでしょうね」


 笑みを転がす男に、彼女はため息を吐き出したくなった。日々生きるために命を賭けていた、生存のみを求めていた時代に生まれた男は生粋の災害だ。彼女と言葉を交わせているが、以前であれば問答もなく彼女に危害を加えていただろう。そこに理由はなく、ただ暴れたいから暴れる。男にとって力をふるい、万物を破壊することこそが本能だ。

 それに比べ彼女が生まれたのは比較的平和な時代だった。ある程度人間社会が確立し、子孫繁栄を考えられる余裕ができた頃に誕生した。その性質上、命を育むことを至上とする彼女は、諍いによって民が傷つくことを良とはしない。


「………いえ、今は」


 どうでもいいことだ。戦いの最中にあって思考を逸らしてはいけない

 余計な考えを振り払うよう瞬きし、彼女は一時も止めていなかった両腕をさらに素早く動かした。

 圧倒的な強者が弱者を倒す際、指先一つで事足りると表現することがあるが、彼女はそれを事実として体現する。その指が振るわれるたび、無数の樹木が地面から這い出し、敵を弾き飛ばしていく。空気でも詰まっているのかと思えるほど簡単に人が宙を舞う様に、男は口の端を釣り上げた。


「さすが同格。やるねぇ」

「貴方も働いてはどうです?」

「くはっ、そりゃ俺も、動けるなら動きたいところではあるけどな。今はその時じゃない。お前さんも分かっているだろ?」

「………はぁ」


 嘆息を漏らして、彼女はそれ以上言葉を繋がなかった。淡々と樹木を操る彼女を横目に男は愉快気に目を細めた。


「この音、この香り、この空気。くはっ、いいねぇいいねえ。戦はこうでなければ面白くねぇ!」


 敵味方が入り乱れ、剣と術理が飛び交っている。切り裂かれた腹から零れる臓物、首から上を失った体から噴水のように血が噴き出す。砕かれた腕から飛び出す骨、矢で射抜かれた頭蓋からは脳が垂れる。人間という生命体が有する内容物が空気にさらされ、足元へ投げ出される。戦場の空気は淀み、鼻を衝く臭い一向に消える気配がない。元の地面の色が分からなくなるほど、大地が赤く染まっていた。


「おお人よ、その命を我らに捧げよ、ってか?」

「………不謹慎ですよ」

「そう言うなって。別に殺すのが好きなわけじゃねえぜ? 俺の信条はぶっ壊す、だからな」


 人が壊れるさまを笑ってしまうのは仕方がない。

 そう言って大仰に肩をすくませた男は、柳眉な顔を顰める彼女に構うことなく続けた。


「まあしかし、このままなら俺の出番もないな。向こうは大した戦力を持ってきてない。今日中にでもこの戦は終わりだろう。昨日いじめすぎたかね?」

「楽に終わるのであればそれに越したことはありません」

「そう言うがねぇ。俺はちと物足りねぇな」


 そこまで口にして、男は何かに気づいたように視線を遠くへ向けた。

 一瞬後、遠方から何かが飛来してきた。音さえ切り裂く光の矢。その大きさ、山のごとし。


「もろとも、ですか」


 ちらり、と視線を落とせば、未だ敵国の兵士は戦場にある。このまま何もしなければ、彼女の臣民はおろか、戦場にいる全ての命が矢によって死ぬだろう。自分たちの兵士をも巻き込んだ一撃だ。

 表情を消した彼女はすぐに樹木による防御幕を展開した。大地から生まれる何百という樹木が、天に蓋をするように編まれていく。彼女の権能により強制的に成長させられ、圧倒的な強度と柔軟性を持った樹木が折り重なり、幾重にも編み込まれた幕。動揺する臣民に声をかける暇はなく、彼女の幕が完成したと同時に矢が着弾した。

 轟音、次いで振動。

 ただの自然現象ではない。何らかの意図を持った矢は、それ自体が強力な力を有しているようだ。彼女の幕を、1枚、2枚と破っていく。傷つけるだけでも難しい彼女の幕が、脆い紙のごとく破砕されていく。


「っ」


 彼女の顔が歪む。自らが作り上げた防御幕が、あと数秒で完全に貫通されることを感じ取ったがゆえに。多少威力が減衰したところで、撃ち込まれた光の矢は彼女の臣民に直撃し、チリも残さず粉砕するだろう。これまでの戦いは無意味だったと言わんばかりに、優勢であった戦場の勝敗をひっくり返す。積み重ねた努力を無に帰す理不尽の一撃。けれど彼女に焦燥はなかった。

 なぜなら、ここには男がいるからだ。


「ははははは。なんだよおい、やればできるじゃねえか!」


 勝利を覆す必勝の矢を前にして、男は楽しみだと言わんばかりに哄笑を上げた。その両手を広げ歓迎の仕草さえ見せている。

 彼女は厳しい目を向けた。


「昨日追い詰めたのではなかったのですか?」

「ああ、かなり削ってやった。信徒に祈らせて無理やり回復したんだろうぜ」

「………もういいです。早く何とかしてください。貴方はそのためにいるのでしょう?」

「おおとも。任せろ」


 獰猛な笑みをそのまま、男は空中に飛び出した。

 比喩ではない。文字通り、男の体は宙を飛んだ。綿毛のように体重を感じさせず、しかしその鋭角極まる軌道は一直線に飛ぶことしかできない矢とは比べ物にならない。それ自体を楽しむように、先の矢と同等の速度をもって破壊されつくさんとする樹木の蓋に迫る。


「さあて、どんなもんかね?」


 呟きは誰にも届かず、男はその手を構えた。はるか下から送られてくる数多の視線。その期待に応えるよう、男は腕を構えた。


「はっ」


 空気が歪む。手の周りの空間だけが軋みを上げる。目には見えない大気が集い、圧縮されていく。失った空気を補充しようと周囲から空気が流れ込み、さらにその密度を増していく。男を中心に風が巻き起こり、やがて地上にまで影響を広げた。そうして、ついて光の矢が彼女の幕を破り、臣民の目にも捉えられた。


「い、く、ぜえええええ!」


 激突、そして解放。

 男が手から放ったのはただの風。しかし、極限にまで圧縮され指向性を持った大気である。男の意に従い解き放たれた勢いは暴風。あらゆるものを吹き飛ばし、すりつぶす大気の牙だった。


「はっはっーっ!」


 彼女の幕によって減じてはいても、十分な速度と威力を保っていたはずの矢が空中で止まる。いや、止まったように見えただけか。男の風と矢が拮抗している。

 しかしそれも数瞬のこと。徐々に、そして確実に矢が後退していく。彼女の幕による防御、そして男の風は、山ほどもある光の矢を超えた。


「おらっ、ぶっ飛べやあああああ!」


 暴風にも負けない男のバカでかい声。それが契機となったか、光の矢は先端を彼女たちに向けたまま、後ろへとかっ飛んでいった。まるで映像を逆回しにするかのように、矢は飛んできた軌跡をなぞり、放った者の元まで返っていく。

 慌てたのは敵国の方だった。まさか矢が返されるとは、しかもこんな力業で跳ね返されるなど考えもしていなかっただろう。このまま無防備な敵国陣地へ突き刺さり戦が終わる、と考えた彼女だったが、2本目の矢が飛んできたことで表情を引き締めた。

 まったく同等の威力が込められた2本目により、帰路の途中にあった矢は空中の半ばで爆音を立てながら霧散した。

 男がより深い笑みを浮かべて、彼女は眉を寄せた顔で敵国陣地を見やれば、のっそりと、彼女たちと同種の存在が姿を現していた。


「よお! 昨日の今日だが元気してたか?」

「…………」

「なんだよ、お前さんまで無視か………っておいおい、なんだよその恰好。それで戦えんのかい?」


 現わしたその姿は満身創痍であった。薄く、揺蕩うような存在感のなさ。体を透過して向こうの景色が見えそうなほど、敵は薄くなっていた。絶えず散っていく光る粒子がその証左だ。彼女たちが何もせずとも数日後には消滅するだろう。間違いなく死の手前、男が言っていたように昨日で決着はついていたようだ。

 それでもなお立ち向かってきた敵に対する男の心配そうな声音は、その様戦えるのかという危惧でしかない。その杞憂は要らない言わんばかり、弓矢が構えられた。


「へぇ、いいぜ。やろうじゃねえか」

「―――――っ」


 対峙する2柱を観察し、彼女は壊れた幕を解いた。

 もはや趨勢は決した。敵国に切り札がある可能性もあったが、敵の状態を見るに、その可能性も排除してよいだろう。あとは残存している敵国兵士を倒すだけだ。彼らが、自分たちの奉じる存在が戦う姿に奮起し、意気を取り戻そうとしているのを感じつつ、それでも負けはないと結論付けた。

 最後まで足掻こうとする兵士たちの雄たけび。それを塗りつぶさんとする臣民の叫び。遠く離れた場所から響く男の笑い声を聞きながら、彼女は大地に横たわる多くの躯を前に独白した。


「これで良いのでしょうか……」


 昨日までの、そして今日の勝利で積み上げられた無数の命。明日からも続く戦にために捧げられる命。それらを想い、彼女は呟きを漏らした。


「私たちは正しかったのでしょうか………」


 誰に向けたものでもない彼女の言葉は、音もなく消えていった。

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