第2話 契約交渉
「君と従士の関係を結びたい――ただし、契約だけの、かりそめのものをね」
その言葉もまた、エルンストにはすぐ理解できなかった。注釈をつけてきている以上、普通の関係でないのは間違いない。
「どういうこと……ですか?」
「私と君はマスターとナイトの関係になる。だけど、それだけだ。他の子たちのような、マスターが導き、ナイトが尽くす関係には『ならない』」
「なら、ない……? それは、どういう関係なんですか?」
「それだけの関係だ」
今まで浮かべていた薄いヨハンの笑みがそっと無表情に変わる。
「ただ、従士としての契約を結んだだけの関係。交友も友情もない、互いが互いを必要としない関係だ」
エルンストには意味がわからなかった。言わんとしていることは理解できる。ヨハンはただ体裁だけを整えたい。誰かと従士としての関係を結んだという形だけを。
だが、そのことに意味があるのだろうか?
「い、意味がわかりません。どうして、そんなことを……?」
「誰も従士にしたいとは思わないからだ。だから、誰かを仮の従士にしようと考えた」
「そんな――だったら、誰も従士にしなければいいだけじゃないですか!?」
誰でもマスターとナイトの関係を結ぶわけではない。誰ともそういう関係にならず、大人になってしまう貴族もいる。それに倣えばいいだけではないか――?
「面倒なんだよ」
本当に面倒くさそうに、口から押し出すような言葉だった。
「立場とは厄介なものでね……公爵の跡取りともなると、いろいろとうるさいのだ。親や親類からも茶々を入れられるし、他の貴族連中からも他薦自薦が相次ぐ。そのつもりはない、と伝えても、数日と経たないうちにすぐ続く」
心の底からの、疲れたようなため息が続いた。
「ただでさえ公爵家の雑事が立て込んでいるのだ。ママゴトのような関係に興味などない。私は私の時間を有意義に使いたい。そのための隠れ蓑が必要なのだ」
「その隠れ蓑が私ですか?」
「悪い例えで恐縮だが、その通り」
沈黙が応接室に降りた。
エルンストは、よく考えろ、咀嚼しろ、と言われているような気分になる。実際に、ここは考えるところだ。
(間違いなく、人生の分岐点だから)
ここで頷けばヨハンとの関係は続く。だが、断れば二度はないだろう。
(気持ちよく、従士になってくれ! ならよかったのに……)
運命とは残酷なものだ。たまに葡萄を与えてくれるが、食べてみたら酸っぱいのだから泣きたくなる。
ヨハンの要望はシンプルで、名前だけ貸してほしい、だ。それ以上の貢献は必要最低限でいい。
利点は、ヨハンのナイトであると周知に認められること。それは一気にエルンストの名声を高めるだろう。無名の男爵家にすれば素晴らしい効果だ。
(本当に利点なのかは不明かな……)
そもそも、そんなに注目を集めたことがないので判断ができない。ヨハンの口ぶりからすると、面倒ごとも増えるようだが。
逆に不利な点は、他の誰かと従士の関係を結べないこと。あくまでも、関係は1:1で構築されるからだ。
(とはいえ、誰かそういう人物がいるわけでもない……)
そうなりたい、と願った人物は目の前にいる美男子だけだ。夢は叶った。条件付きだったが。
そして、もうひとつ不利な点は――
(その関係が、俺の望んだこととは違うことだ)
こんな冷たい関係など望んではいない。互いに助け合う、互いを必要とする関係こそが理想なのだ。それを目指すべきなのだ。
だが、ヨハンが提示する関係は『虚無』でしかない。
(ともかく、もう少し判断材料が欲しい)
そう思って、エルンストは質問を投げかけた。
「……本当に、名前を貸すだけですか?」
「なるべくそうするつもりだけど、避けられない部分もある。例えば、ナイトを連れていく必要があるイベントとかね。極力、そちらの手間をかけさせないようにはするけど」
「『従士の関係を維持するための努力は互いにする』ということですか?」
「そうなるね。名前を売るチャンスだ。悪い話ではないよ、貴族にとってはね――」
少し考えてから、ヨハンが付け加える。
「だけど、私が20歳になった後の――関係が終わった後の援助は期待しないで欲しい。そこで関係は終わりだ」
ヨハンの隠れ蓑としての役割が終わる以上、当然だろう。
「ただ、君が『他の誰かの従士になる機会』を奪ったのは事実だ。その補填として、それなりの金額を支払おう。これは20歳になる前、こちらの都合で解消したとしても、それまでの貢献に応じて支払う」
その後、ヨハンは一例として金額を提示してきた。妥当かどうかは不明だが、かなりの大金なのは事実で、エルンストは頭がくらくらした。
(……約束を破られる可能性は少ないだろう……)
きっとヨハンにとっては大金ではないから。そこには口止め料も含まれているから。
誰とも従士の関係を結ばない可能性を考えると、悪くはない取引だ。
そこで、エルンストはどうしても割り切れない質問を口にした。
「……どうして、私なのですか?」
不思議で仕方がない。それほどの金を提示するのなら、首を縦に振る人間などいくらでもいるだろうに。
「言い方が悪くて申し訳ないが、誰でもよかったんだ。本当に、そこら辺にいる貴族の子なら誰でも。だけど、選ぶなら選ぶなりの理由がないと立場的な問題もある。それで決めたんだ。さっきの模擬戦で勝ち残った子にしようって。剣が立つのは悪くない要素だ」
そこでヨハンは少し考えてから、こう続けた。
「あとは……強いて言うなら、顔が好みだった」
「顔?」
「失礼ではあるのだけど、今回の場合は、顔も大事だと思っていてね……どうせ誰でもいい、深い関係を結ぶわけでもないのだから、外見に嫌悪感がないほうがいいとね」
さらに、こう言った。
「もしも、2位の子が君に勝ったとしても、君に声をかけていたかな」
エルンストは外見を誇りに思ったことがないので微妙にこそばゆい気持ちになったが、『それなりにはカッコいい』と評される程度の美形に産んでくれた親に感謝した。
悪くはない。
確かにそれは『エルンストが選ばれた理由』ではあるのだから。
ヨハンが気に入っている部分が確かにあるのだ。
「――で、どうだろうか。心は決まったかな?」
「はい、お受けします」
エルンストに迷いはない。己の退路を断ち切るかのように、はっきりと言い切った。
今まであまり感情を表さなかったヨハンの表情に、うっすらと喜びが灯る。
「本当かい?」
――これは屈辱じゃない。ヨハン様と一緒にいられるチャンスなんだ。
そう思うことにした。
断ったところで意味などない。ヨハンは他の誰かに声をかけて、いつかピッタリの隠れ蓑をあつらえるだろう。
(誰でもいい隠れ蓑なら、俺がなればいい)
そうすれば、時間を稼げる。
エルンスト自身が己を磨き上げるための時間が。高めて高めて、ずっとずっと高みまで上り詰めればいい。
――ヨハンが、心の底からナイトにしたいと願うほどの存在に。
(そのためには、今はここにしがみつくしかない)
実権のない空席だけを与えられた? 違う。本当なら空席すらもらえないのに、そんなものまでもらえたのだ。不満を言うべきではない。
実権がないのなら、己の力で掴み取ればいい。
それだけだ。
「はい、隠れ蓑として微力を尽くします」
今だけは――今は、まだ。
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