第14話

 離任式の日、家に帰っても、蓮はずっと、俺にひっついてきた。

 相当、嬉しかったんだろうな。

「あ、岸先生にメールしよ」

「え、ちょっと、旦那の前で、他の男に浮気しないで」

「岸先生は男ちゃうもん」

「どうみても男でしょ?」

「俺の中では新種やから」

「……恩師だよね?」

 ソファに座って、スマホをタプタプと操作している。鼻歌まじりに。

 ソファと蓮との間に割り込んで、お腹に手を回し背中に抱き着いた。

「どうしたん?」

 何も言わずひっついていた。

「いずみくんは、なんさいかなー?」

「いまは五歳」

「よし、参るぞ」

「……だから、なにそのキャラ?」

「俺も、もっと勉強してれば、保健室の先生になりたいって言えたかな、って」

「ムリやろ」

「……秒殺しないで」

「適材適所って言ったやろ?」

「……うん?」

「泉の面倒は俺がみる、そん代わり、俺がじーさんになったら、介護してな?」

「え?」

「年上やから、俺が先にじーさんになるやろ?」

「……うん」

「年下でよかったやろ? 楽しみやろ?」

「いつ、じーさんになる?」

「やめや、まだ二十代やから」

「蓮は細いから、じーさんになる頃には、骨と皮だけになってそうだよね?」

「筋肉ゴリラになっていたらどうするん?」

「……ごめんなさい」

「干からびても、梅干しくらいやろ」

「種あり? 種なし?」

「青梅の種を一〇〇から三〇〇個食べると死ぬって知っとる?」

「……すみません」

「お、岸先生の奥さん、二人目できたって」

「ふーん」

「上が男の子やからな、岸先生に似た。次は奥さん似の女の子がいいって言っとる」

「ねえ、蓮はいつ赤ちゃんできる?」

「腹をさするな」


「明日、運転免許試験だから」

「そうなん?」

「蓮の最後の出勤日に車で迎えにいくって言ったでしょ? 頑張ったんだよ?」

「俺の車に、初心者マーク貼るん?」

「ハートの初心者マークの方がいい?」

「恋愛初心者やと思われるで? 明日、朝早いやろ? ご飯はいらんよ」

「いい、もっと早く起きて用意するから。その代わり、一発で免許取れる様に、出かける時、ちゅーして?」

「ちゅーして点数上がったら、賄賂ちゃう?」

「蓮が、俺に、するの!」

 廉の家のベッドは、セミダブルサイズだから、ふたりで寝るには狭いんだけど、一緒に寝る。

 もふもふの枕にうずまる蓮を、抱き枕にしてほっこりする。しあわせの夜。


 ◇


 三月三十一日。

 今日は、最後の勤務日。

 特別、いつもと変わらず、起きて、出勤して、保健室にいる。違うのは、泉がお昼ごはんを用意してくれたこと。

 まだ、春休みだから、生徒はいない。

 春の日差しを浴びて、温かいテラスで、樹と海斗を待っている。

「泉がお昼ごはんつくってくれたの?」

「おん、食堂休みやから」

「新婚でラブラブなんだねー」

「……海斗、なんで、そんなにトゲあるんよ」

「蓮が寿退社するって噂になってるよ?」

「……うそやろ」

「妊娠しているって」

 誰が噂しているのか知らんが、俺は男やって。

「次の仕事どうするの?」

「明日から大学病院に戻る」

「小児科?」

「おん。早く来いって」

「……大変そうだね」

「注射と座薬の練習させてって、泉に頼んだんやけど、嫌がるんよ」

「注射はともかく、座薬は嫌でしょ」

「前に熱出して座薬入れてやったんよ。お嫁に行けないって泣かれたけど、結婚したし、いいかなって」

「……なんか違うんだよなー」

「今日は何時に帰るの?」

「十六時半に終わって、保健室の片付けして、職員室で挨拶まわりして、帰る」

「職員玄関でお見送りさせて?」

「恥ずいからええって」

「友達の門出を祝うのは当然でしょ?」


 保健室では二人で仕事していたから、引継ぎも少ない。予定通り、十六時半でパソコンを切り、片付けをして、帰宅準備をする。

 町田先生と挨拶を交わし、事務室へ。定年退職となる、事務主任を迎えに行く。

 一緒に職員室に行き、最後の挨拶をする。

 拍手の中、花束を受け取る。手渡してくれた海斗は、最初からずっと泣きっぱなしで。きっと、俺の分の涙も流してくれたのだろうから、最後は笑顔で職員室を後にした。

 職員玄関から出ると、外は春の夕暮れ。

「蓮! 絶対また会おうね!」

「泣きすぎやって海斗。またな。樹もありがとう」

「体に気をつけてね」

 二人の友人に見送られ、校舎を後にする。


 正門を出たところで、響き渡る鐘の音。

 振り返れば、美しく佇む『白亜の学び舎』その向こうに広がる、永遠に続く夕空。

 向き直って、歩を進める。市道に続く坂を下る。

 春の風が頬をくすぐり、コートの裾を翻す。

 ふと、思いつき、スマホを手にする。

『8318』

 坂のふもとで待つ、愛しい人へのメッセージ。

 いつ気付くかな? 気付いてくれるかな?

 きっと、驚いたあと、美しく微笑むだろう。その顔が早くみたくて、心が高鳴る。


 保健室でなずむ俺に、天使が舞い降りた。

 これから、二人で一緒に未来をつくっていく。

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831 橘花 怜 @autrement_porte

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