第36話
森谷先生が体育教師を言い負かしてから、二カ月が経った十一月の事。
あの日以来、体育教師は学校に来ていない。
今までの悪事を全て公開されて、事態を重くみた理事会が自宅待機を言い渡した。
そして、今日、処分が決定した。
『懲戒解雇』
つまり、クビ。最も重い処分が下された。
生徒への暴言や体罰、教職員へのハラスメント等、様々な証拠が提出されたらしい。そして、消されたと思われた、俺の証言も。
森谷先生の恩師、岸先生は前からベテラン教師陣が横暴を働く事に危機感を抱いていた。
皆を守るため用意したのが、森谷先生が録音に使ったペン型のICレコーダー。
ペンにはマイクロSDが差し込まれており、音声データを保存できる。
生徒の話を聞く際に、予め断った上で音声を録音。それを基に、保健室のパソコンに対話記録を打ち込むのだが、そのデータのバックアップを一緒にマイクロSDに保存して持ち歩いていた。
養護教諭の誇り、白衣にそっと忍ばせて。
ベテラン教師陣は、保健室に対話記録が存在する事を知っている。
不都合な証言を改ざんする恐れがあった。
だから、音声と記録、二つを照合する事で、初めて証拠となる様なトラップを仕掛けた。
体育教師の岩村は、前任の町田先生を脅して俺の対話記録を消させた。その脅迫の言葉が、録音されているとも知らずに。
消された対話記録は、俺の話を聞いた非常勤養護教諭が作成しており、町田先生は話を引き継いだ時に、ペンに保存していたらしい。
結果的に体育教師は、自ら証拠を残してしまった訳だ。岸先生が残したトラップの前に。
岸先生が学校を離れる時に引き継いだのが、町田先生だ。
岸先生は、彼女の身を案じて、ペン型のICレコーダーを渡していた。
そして、町田先生から引き継いだ
森谷先生も、このペンを岸先生から受け取っていた。
森谷先生の事も守れる様に、想いを込めて。
岸先生は、自分が学校を離れてもなお、学校や保健室、生徒を想っていた。
そう、俺は、岸先生に助けられたんだ。
岩村の処分が決定した後の週末、母さんが仕事休みの日、家に担任の先生と森谷先生が来た。
二人ともスーツ姿で、いつもと違う雰囲気だった。気になったから、許可を取って同席させて貰った。
リビングに通された二人は、正座して姿勢を正し、頭を下げた。
この度は大変申し訳ございませんでした。そう、言って。
何で、悪い事してない二人が謝るのか、分からなかった。
……全部アイツが悪いのに。
これまでの経緯と処分について、学校の今後の対応など担任の先生から説明があった。
岩村の横暴ぶりに母さんは思わず涙していた。森谷先生がそっと綺麗に畳まれたハンカチを差し出してくれた。
続いて、森谷先生から医師の診断書を元に、ケガの状況について説明があった。
背筋を伸ばして端的に話す、その姿は凛として美しかった。
災害共済請求についての説明を聞いた母さんは心底驚いていた。すでに、医師から診断書を貰ってきているので、今後必要な書類やその書き方などについて詳しく説明していた。
何か不明点があれば、いつでもご相談下さい、そう言って名刺を渡していた。
その後の話は、難しくて分からなかった。
「学校には教職員の故意や過失による事件、事故についての使用者責任があります。高校入学時の在学契約に基づき、学校に対して損害賠償責任を問う裁判を起こす事が可能です。また、私立高校ですので、教職員個人の責任を追及する事も可能です。被害者が、損害発生の事実と、学校と教職員の使用関係及び事業の執行についての不法行為であることを知ってから 三年が経過すれば、時効により損害賠償請求はできなくなります。ですが、身体および精神を傷つけられた御子息に本当の意味での時効は訪れません。今後も、学校を信じて御子息をお預け頂けましたら、裁判によって不当な扱いを受ける事のない様、必ずお守り致します。また、精神面のケアにも誠心誠意努めて参ります。どうか、裁判の件、そして今後の学校生活についてご家族で話し合われて下さい。よろしくお願いいたします」
森谷先生は、俺が話したアイツとのやり取りは伏せてくれた。
母さんを心配させないためだと思う。
担任の先生と森谷先生が帰ったあと、母さんと二人で話をした。
無理に学校に行かせてごめんなさい。
辛いなら、もう行かなくて良いよって、そう言うから。俺は、はじめてワガママを言った。
これからも学校に通いたい、って。
学費とか、苦労をかけてしまうけれど、卒業までよろしくお願いします。
そう言って、森谷先生の真似をして頭を下げた。
森谷先生は、ケジメだって言ってたから。
俺も、尊敬する人に倣ってみたんだ。
母さんは驚いてた。
だから、森谷先生を信じてみたいって素直に言った。
また、涙を流した母さんの顔は、久しぶりにみる満開の笑顔だった。
良い先生に出会えて良かったね。
学費の事は心配しないで、沢山の想い出をつくってきなさい。
そう言って、頭を撫でてくれた。
照れ臭くて、でも嬉しくて。
母さんの事も守ってくれた、森谷先生の事、改めて好きだなって思った。
ハンカチは洗濯して返そうね、って母さんが嬉しそうに言うから、心配になって、好きになっちゃダメだよ? なんて言ってしまった。
また頭を撫でながら、素敵な方だったね、って微笑んだ。どういう意味?
森谷先生は、無自覚に人を好きにさせるから。きっと、俺の心は囚われてしまっている。
卒業までの一年半、どう過ごそうかな?
少し先の未来に、想いを馳せた
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