第33話

 保健室登校も五日目。明日、明後日は土日だから、今日で最後になる。

 ずっと一緒にいたから、離れがたくて。でも、ちゃんと教室いかないとな。

 っていうか、この前、話を聞いてもらった時、いい雰囲気でキスしたよね?

 なんで、何もなかった事にされてんの? ちゃんと意味、分かってんのかな?

 人工呼吸だとか思ってるんじゃない?

 意識もされてないとか、ちょっと、というかかなり凹む。

 鈍いにしたって、程度があるじゃん。ここまで、何も反応ないと傷つくんですけど。

 先生はいま、職員室で朝礼中。

 ベッドに横たわりながら、ひとりごちる。

 あの日、唇が触れた瞬間、視界に色が戻った。

 それ以来、この学校に入学して、はじめての景色を体験している気がする。

 それくらい、先生の存在が俺の中で大きくなっている。だから、その心を動かしたい。

 過去にとらわれている、その気持ちを揺さぶるには、一体どうすればいい?

「泉? そろそろ起きる時間やで」

「あれ、もう時間? 今日、朝礼長かったね」

「ちょっと色々あってな」

 毎日、八時四十五分からのホームルーム時に校内放送で聖歌が流れる。

「この歌、どこから流れてるの?」

「放送室。チャペルの隣にあるやろ?」

「知らない」

「放送部が担当していてな、聖歌は合唱部が毎日歌ってるんやで?」

「そうなの? 録音でいいじゃん」

「一週間ごとに違う歌になるんやから、毎回録音するの大変やん」

「えー、毎日歌うのとかダルくない?」

「それだけ心がこもっているって事や」

「今週の歌はなに?」

「入学した時、歌集もらったやろ? 今週の歌は、『水のこころ』っちゅー歌や」

「はあ? 水にこころなんてあるの?」

「ちゃんと科学者が実験して本になっているんやで? 道徳の教材にもなっているな」

「どういう話?」

「水は人間の言葉を理解できるっていう話や」

「どうやって理解するの?」

「コップに水があるとするやろ? それに話しかけるんよ」

「それで?」

「その水を凍らせるとな、結晶になるんやけど、聞いた言葉によって結晶の形が変わるらしいんよ。よい言葉を聞くと、美しい結晶をつくる。わるい言葉を聞くと、結晶をつくれない。それを写真付きで発表した科学者がおる」

「よい、わるい、って具体的にどんな言葉?」

「よい言葉は、『ありがとう』とか『大好き』とか。わるい言葉は、『死ね』とか『バカ野郎』 とか、かな?」

 ……大好き?

「それが何で道徳の教材になるの?」

「そこなんよ。ええか、人間の体の七十パーセントは水でできているやろ?」

「……そうなの?」

「やから、よい言葉を聞くと、体内の水にも良い影響がある。でも、わるい言葉を聞くと悪い影響がある。まとめると、言葉には気を付けましょうって事らしいで」

「そうなんだ」

「言葉を発した人の体の水も、言葉を受け取る人の体の水も反応するってことや」

「……じゃあ、よい言葉を使うと、お互いに良い影響がある、って事?」

「そうやな」

 これは、チャンスかも?

「まあ、否定する科学者もいてな。言葉を発した瞬間に凍った訳やないから、いくら結晶の写真があっても証明にならん、ってな」

「……そう」

「でも、この話を聞いてどう思うかは、人それぞれやから。自分の都合のよい方に解釈してもいいと思うで?」

「ねえ、先生?」

「ん?」

「好き。……大好き」

「……おん。それで?」

「なんか、もっと思う事ないの?」

「今の話を聞いて、言ってくれたんやろ? 本心じゃなくても、嬉しいで?」

「はあ⁉ なにそれ! ウソでそんな事、言う訳ないじゃん!」

「他になにかあるん?」

「だから! 俺は! 森谷先生の事が恋愛対象として好きなの!」

「急にどうしてん?」

「急にじゃないよ! 前から思ってた! 先生の心には、今の言葉は響かない?」

「……いや、嬉しい、けど」

「けど、なに?」

「いちおう、先生と生徒やん? 俺、男やし」

「関係ない。先生の存在そのものが好きなの。年齢とか、性別とか、そういうのナシにして、俺をひとりの人間としてみた上で言葉を聞かせてよ」

「……言えない」

「どうして? 俺の事、嫌い?」

「それは違う! でも」

「でも? 何?」

「……俺の言葉は、その、汚いから、泉の心を汚してしまう、から」

「先生の言葉は、俺を嬉しくする。優しい気持ちにしてくれる。どこが、汚い?」

 森谷先生は戸惑いの表情をして見つめてくる。

「……ごめん、困らせたい訳じゃない。でも、もう隠さないから。ちゃんと毎日伝えるから。お互いの心に響くように」

 よい言葉で毎日お互いを満たしたい。

「森谷先生の心に響いたと思った時に、ちゃんと自分の言葉で伝えて欲しい」

「……わかった」

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