第17話 機密文書を読む方法

 目を開くと同時に、強力な頭痛が襲ってきた。


「ううっ……」


 窓から朝の光が差し込んでいる。

 ここはどうやら屋敷のようだ。

 正一は両手を見た。

 もちろん、何の異常も無い。

 あの時、正一は魔族の女から攻撃を受け、瀕死の重傷を負った。

 香奈の治癒魔法が無ければ死んでいた事だろう。

 魔族の女は透によって倒された。

 しかし、死体の確認はしていない。

 そのことが、妙に心に引っかかるのだ。


「ずいぶんうなされておいででした。大丈夫ですか? ご主人さま」


「……っ!」


 一瞬身を固くするが、ベッドの脇で正一を覗き込んでいたのはエウファミアだ。


「ええ、私は大丈夫です」


「ひどい汗です。傷も浮かび上がるくらいです。今、お水を」


 エウファミアはサイドボードの水差しから水をグラスに注いだ。


「すみません。いただきます」


 一口飲むとよく冷えており、喉と胃から全身に染み入るようだった。


「ご主人さま、お酒はほどほどになさってください。何杯お飲みになったのですか?」


「ビールを一杯です」


「えっ、一杯?」


 小さな声で「かわいい」と聞こえた気がしたが、エウファミアはすぐに真面目な表情に戻った。


「では次からはその半分にして、徐々に慣らしていくべきです。そもそも、無理に飲む必要は無いのです。ご主人さまがお体を壊されては、気を病んでボクまで病気になってしまいます」


「申し訳ありません、エウファミア様。以後、注意します」


 正一の部屋はレイナが破壊し、まだ修復工事を終えていない。

 そのため、やむを得ず一番狭い客室を使っている。

 狭いとはいえ、それでも二〇畳近くあった。

 正一は断ったが、エウファミアが食事をベッドまで運んでくれた。

 卵でとじたおかゆである。


「はい、あ~ん」


「いえ、一人で食べられますから」


「いけません! 治るまでボクがご主人さまをお世話するのです!」


「病気ではありませんよ」


「それを決めるのは医者の仕事なのです! 診断を受けるまでは、念のため病人として扱うべきなのです! つまりご主人さまには看病が必要なのです!」


 世話をするのが楽しいようだ。

 正一は素直に受け入れることにした。

 おかゆは、とても懐かしい味がした。

 溶き卵にカツオとみりん、醤油で味付けをしてある。


「とても美味しいですよ」


「本当ですか? じつは、ボクがつくったのです」


「どうりで。遠い昔を思い出します。子供の頃、熱を出した私に、よく母が――」


 正一は口ごもった。

 エウファミアには母がいない。

 寂しい気持ちにさせてしまいはしないだろうか、と心配になる。


「ねえご主人さま。もし……もし、お母上が恋しくなったときは……その、ボクに甘えてもらってかまわないですから!」


 エウファミアは真っ赤になっていた。

 思わず吹き出しそうになる。


「ご冗談を。私はもう三九歳で、エウファミア様は一五歳ではありませんか。逆に私がエウファミア様の親代わりにならなければなりません」


「別に矛盾はありません! あと三〇年もすれば、ボクだって!」


「生きていれば私も年を取りますよ……」


 ふと、気付く。

 エウファミアが年を取ったらどうなるのだろうか。

 魔族の特徴が色濃く出ているので、若い時間が長いかもしれない。

 二〇年後、三〇年後も今の姿かも知れなかった。


「でも、ご主人さまもあと五〇年か六〇年は生きられるはずなのです。その頃には、ボクもきっと大人なのです」


「そうですねえ。頑張りますよ」


 気の長い話だった。

 エウファミアは空の食器を持って部屋を出て行った。

 正一は再びベッドに横になると、ぼんやりと今朝見た夢を思い出した。


「ベヘタルか……」


 ベヘタルは、正一、透、香奈の三人が共同で出撃した最後の戦場だ。

 魔族領の奥地にある寒村で、味方が進撃する際の中継地点として確保する必要があったのだ。

 しかし、村の規模を考えればあり得ないほどに強固な防衛戦が敷かれ、抵抗は熾烈を極めていた。

 あの女も生きていれば、きっと当時と変わらない姿だろう。

 常識的に考えれば生きているはずがない。

 なのに、なぜか調べなければいけない気がしていた。


 *


「公文書館にいきたいの?」


 週末で帰宅していたマリアナは、蓄音機を掛けながらマンガ雑誌を読んでいた。


「ええ。別に急ぎはしませんが」


「ショーンが急がないっていうとき、たいてい急ぐよね」


「そうですか?」


 正一ははっとした。

 自分でも気付かなかった事だ。

 マリアナは唇を尖らせながら、身体を左右に揺すっている。


「まっ、べつにいいけどお……。あたし、ギターやってみたいのよね。部活にかんゆうされてるの」


「好きな物を買ってあげます」


「うふっ。やくそくだよ」


 学習や研究のために、王立学院の生徒は自由に公文書を閲覧できる。

 ただし、一定期間が経過し機密指定を受けていないものに限られた。

 マリアナは飛び上がるかのように椅子から立ち、掛けてある上着を手に取った。


「じゃ、さっそくいこっか、お買いもの!」


「今からですか?」


「公文書館は休みでしょ。週明けにつれてってあげる」


「わかりました。では、支度をしてください」


「うん!」


 馬車で街の楽器店へ向かう。

 ギターも色々と種類があるようだが、地球のそれとは若干デザインが違い、ネックや共鳴板の形はむしろエレキギターに近い。

 店は空いており、客は魔族の女が一人いるだけだった。

 マリアナは弦が二〇本もある、いわゆる金星ギターに目を丸くしていた。


「うわあ……たくさんあって、どれがいいのかわかんないよ」


「これはどうですか?」


 比較的シンプルなデザインの六本弦の物を選ぶ。


「えー。ジミじゃん」


「そのほうが長く使えます。奇をてらったものは目を引きますが、飽きやすいので」


 店主に許可をもらい、椅子に腰を下ろす。

 軽くチューニングをし、何曲か練習曲を弾いてみた。


「うわ、ショーンがギターひけるなんて、意外」


「昔、少しだけかじったことがあるのです……」


 正一は中学二年生に上がった頃、急にギターを弾きたくなったのである。

 理由などありふれたもの。

 ギターを弾ければモテると思い、それで始めたのだ。

 事実モテている者もいたが、それはギターなど無関係だった事に、当時の正一は気付かなかった。

 その時選んだのが奇抜なデザインの、それでいて極端に安い中古品で、とても弾きにくい代物であった。

 結果、それなりに形になる前に放り出してしまったのである。

 安い物には安いなりの理由があるのだ。

 文化祭のステージで演奏するところをイメージしていたが、ついぞその機会は無かった。

 ギターに『ダーク・ルシフェル』などと名前を付けていたにも関わらず、であった。

 今の今までその事を他人に話した事はない。

 おそらく一生誰にも話さないであろう。


「極端に安い物は避けるべきですが、最初のうちは高級品も必要ありません。このあたりが手頃でしょう」


「そっかあ……」


 マリアナは椅子に腰掛け、膝を組んで弦をはじいた。


「指が痛くなりそう」


「このピックを使うといいでしょう。これはいろいろなデザインがあり、コレクションしている人も大勢います」


 具体的には中学時代の正一であった。


「へえ、くわしいんだね!」


 他に肩に掛けるストラップ、ハードケース、スタンド、カポタスト、ストリングワインダー、教本、予備の弦、メトロノーム、音叉、手入れ用のクロスなどを合わせると、一七万シリングほどになった。

 一般的な労働者の月収に相当する金額だ。

 マリアナは目を丸くした。


「えっ、こんなにするの!」


「ええ、まあ」


「い、いいよ! あたしこっちにする!」


 マリアナはギターを戻し、中古の一番安い物を手に取った。

 かなり使い込まれているようだ。

 付属品も全て戻し、本体とピックだけをカウンターに載せる。


「ですが、これではあまりにも。別にお金が無いわけではないのですから」


「好きなの買ってくれるっていったじゃん! あたしはこれがいいの! 気にいったの!」


 マリアナは安いギターをいたわるように抱きしめた。

 マリアナが運用するオクタビオ名義での株取引は、正一の給料の数年分、いや数百年分もの金が一度に動く。

 しかし、マリアナは庶民としての経済感覚を忘れておらず、日常生活と切り離して考えているようだ。

 おそらく、口座の数字はゲームのスコアと見なし、お金とは考えていないのだろう。


「……はあ。では、そのように」


 正一は三〇〇〇シリングを支払った。



 週明け、正一とマリアナは公文書館を訪れた。

 棟続きで図書館も併設されている。

 マリアナが図書館で借りたギター教本をめくる横で、正一は第一次魔族戦争の資料を漁っていた。

 閲覧は本来禁止である。

 しかし、親切な司書に一万シリング紙幣を一〇枚ほど握らせると、笑顔で案内してくれたのだった。

 なお、紙幣を発明したのも現在の王である。

 ベヘタルの戦いでは魔族の捕虜が五名ほどおり、全員が王都の捕虜収容所に送られた後、奴隷として競売に掛けられた。

 うち二名が女性である。

 一人はヒルデ・ミレッカー。当時二五歳。

 王家に様々な物資を納入している、ベスティア商会という業者が購入している。

 ベスティア商会は各地の貴族たちが出資して作った会社だ。

 総合商社的な物資の買い付けや卸売りはもちろん、新聞社を所有して提灯記事を書かせている。

 なお新聞社はもちろん他にもあるが、ベスティア商会には新聞広告を仲介する子会社があり、広告主や王家に不都合な記事には圧力を掛けてもみ消しなども行っているようだ。

 ヒルデという名は、エウファミアの母親と同じ名前であった。

 魔族は捕虜になることを恥と考えている者が多いので、本人である可能性が非常に高い。

 ヒルデがどこから来たのかは長年不明だったが、どうやらこの時の捕虜らしい。

 業者の手を通して間接的にフェルナンド王のものになったのだろう。

 ヒルデを手に入れたことで、人類軍と魔族軍に講和の目が生まれたのだ。

 彼女が魔族の中で地位がある立場であれば、あの強固な防衛線も頷ける。

 魔族の価値観は謎が多い。

 もう一人は、リカルダ・ルーベン。五六歳。

 仮に存命だとすれば、現在八〇歳ほどだ。

 ヒルデと同じ業者によって購入されていた。

 書類にはいくつも修正の跡があり、情報が改ざんされている可能性が高い。

 戦時下にある専制国家において、隠蔽、ねつ造、改ざんは日常的に行われている。

 いずれにしも、消息がわかるのはそこまでだった。


「科学者にとって最も大切なのは、直感とイマジネーション……か」


 牢の中での梁屋和尚の言葉である。

 王都の地図を棚から出し、机に広げた。

 軍事施設、王宮の敷地内などは黒塗りされているが、ベスティア商会はすぐに見つかった。

 王宮のすぐ隣である。


「なるほど」


 これなら簡単に行き来が可能だ。

 王が城を抜け出して、商会でヒルデと会うのは難しくない。逆も簡単だ。

 リカルダと透も同様に会っている可能性が高い。


「なにをブツブツいってるの? こういうところは、しずかにしなきゃダメなんだよ」


 マリアナは飽き始めているらしい。

 やむを得ない事だった。

 残る三人の男性奴隷の去就に目を通す。

 二人は収容所で不慮に事故により死亡とある。

 もっとも、あてになる記録ではない。

 捕虜の虐待など日常茶飯事である。

 基本的にこの世界は色々と雑なので、遵法意識も人権意識も低い。

 記録があるだけでも大した物だ。

 最後の一人、カール・ルーベン八〇歳。

 彼は聞いたこともないような酒場の店主に購入されていた。


「カール……さて、どこで聞いた名前だったか」


 全く思い出せない。極めてありふれた名前であった。

 閉館時間を知らせる鐘が響く。

 公文書館は平日しか開いていない。

 平日はマリアナたちに授業があるので、丸一日史料を漁る訳にもいかなかった。

 当然、正一にも仕事がある。


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