幻影のニルヴァーナ ―召喚勇者と破壊の魔王、あとオッサン。―
おこばち妙見
第1話 囚人番号5963
この世界もまた、地球と呼ばれていた。
しかし、一六歳の佐藤正一が生まれた地球とは異なる。
あらゆる瞬間にあらゆる可能性に分岐し、果てしなく拡大していく多元宇宙の中の一つである。
正一がこの剣と魔法の世界に召喚されてから一年が経っていた。
この世界では、人類と魔族が果てしない戦いを繰り広げている。
地球から召喚された正一と仲間たちは『勇者』と呼ばれ、人類の常識を遙かに凌駕する魔法の力――いわく、チート能力――を身につけていた。
魔族との戦いにおいて、わずか一年で比類なき戦績を挙げた勇者は今、絶海の孤島で囚人となっていた。
このクカラチャ要塞は、オルミガ王国南方三〇キロの海上にある絶海の孤島である。
五〇年前の南方系魔族との戦争においては重要な拠点であったが、現在行われている北方魔族との戦争においてはさほど重要ではない。
現在は監獄に改装され、政治犯および凶悪犯罪者を専門に収監するために使われている。
「開けてくれ! 出してくれ! 何かの間違いだ!」
牢獄は積まれた石がむき出しで、湧き水がどこからか染み出してはどこかへと流れていく。
廊下側は鉄格子で閉ざされ、奥は明かり取りと換気を兼ねた一〇センチ四方の穴が開いているだけだった。
広さは二畳に満たない。軍用の簡易ベッドと机代わりの木箱、それに異臭のするノミだらけの毛布だけが正一の世界だった。
「騒がしいのう」
隣の牢からしわがれた男の声がした。
「誰だっ!」
「お前さん同様、囚人じゃ。どうやっても無駄じゃよ。この鉄格子は壊せぬわい」
正一は一度深呼吸をしてから足を肩幅に開き、右手を伸ばした。
「そんなの、やってみなきゃわからないだろ! はあっ! サンダー・ストライク!」
最大威力の魔法を使った時と同じだけの疲労感が訪れるが、何も起こらなかった。
「格子そのものがアンチ・マジック・バリアになっておる。扉が閉まっている限り、いかなる魔法も発動せんのじゃ。腹が減るだけじゃよ」
言われるまでもなく、正一の腹からググウ、という音がする。 正一が力なくベッドに座り込むと、隣の囚人はまた話しかけてきた。
「なあ若いの。おぬし、いったい何をやらかしてこんな所へ放り込まれたんじゃ?」
「それは……ぼくにもわからないよ。身に覚えのないことばかりなんだ。誰もぼくの話を聞いてくれないし、親友だと思っていたやつだって……」
庄一はこれまでのいきさつをかいつまんで話したが、どうしても話があっちへ行ったりこっちへ行ったりとフラフラした。
「どうにも要領を得んな。まあ、最初は誰でも混乱するのが普通じゃがな」
「ふん。どうせ本当のことを言ったって信じやしないくせに」
「そうでもないぞ。つまり、おぬしは地球から、それも二一世紀の日本からこの世界に召喚された、と言うのじゃな?」
「ええっ? おじさん、日本を知っているの?」
「うむ。ワシはハリヤー……いや。今の名前などどうでもよい。地球に居た頃は僧侶で、梁屋和尚と呼ばれておった。地球はまだ青いか、若いの?」
「地球人? ぼくらだけじゃなかったのか!」
「古来より多くの者がこちらと向こうを行き来しておる。若いの、おぬしの名は?」
「正一……佐藤正一」
「古くさい名前じゃな」
「うるせえよ。気にしてるんだからな」
正一は自分の名前が好きではなかった。
「じゃが、ワシの父親と同じ名前じゃ。これも何かの縁かのう」
梁屋と名乗った老人の声は、不思議と温かみを感じさせた。
その時、看守が現れて鉄格子の下から乱暴に食事を差し入れた。
古びた黒パンが一個と、よくわからない冷めたスープだった。
「五九六三号! バケツを出せ。早くしろ!」
「えっ、バケツ?」
「そこのクソが入ったバケツだ! 早くしないとぶん殴るぞ!」
「くっ……」
正一がバケツを鉄格子の前に置くと、看守はそれを蹴った。中身が牢内に散らばる。
「おっと、すまねえな。わざとじゃないんだ、そう怒るなよ。仕方ないだろ、お前と見分けがつかなかったんだ。だってお前、クソ野郎じゃないか。ハハハ!」
看守は笑いながら去って行った。
「ちくしょう、ちくしょう! なんでぼくがこんな目に!」
正一は岩壁を殴りつけた。
「壁を殴っても痛いだけじゃ。新入りはみんな同じことをされる。おぬしだけではない。壁を殴るくらいなら、筋トレでもするがいい」
「こんな狭い場所で、どうしろってんだよ!」
「腹筋背筋、腕立て伏せにスクワットならばできよう。気力を支えるのは、最後には体力じゃ。魔力もまた然り。身体が萎えてしまっては、それこそ何もできなくなる」
「うるせえよ! ぼくはやらないからな!」
「それもまた、おぬしの選択じゃ。無理強いはせぬ。そもそも正一、おぬしはなにゆえこんな所に放り込まれたのじゃ? いやまず、なぜこの世界に来たのじゃ?」
「それは……話せば長くなるけど」
「時間ならいくらでもある。もう一度最初から話してみぬか。記憶を整理し、現状を正しく認識せねば何事も始まらぬ」
梁屋和尚の言うことは、不思議な説得力があった。正一は腰を下ろすと、記憶の糸をたぐり始めた。
「じゃあまずは……この世界に来たきっかけから……」
*
正一には二人の仲間がいたのだった。
幼なじみの由利原香奈。
親友の秋原透。
三人とも、同じ中学校の三年生だった。
三人は学校の図書室で、教師に押しつけられた資料整理を行っていた。
正一と透が作業に飽きて遊び始めたのを、香奈がたしなめたのを覚えている。
その時、図書室と続き部屋になっている資料室で何かが光った。
正一たちが通う中学校の七不思議には、図書準備室に幽霊が出るというものがあった。
秋も深まり、日暮れは早い。すでに外は薄暗く、雨も降っていた。
「雷の光だろう」
透はそう言って作業を続けようとしたが、正一はどうも落ち着かない。
それは香奈も同じだったようで、雷の音が鳴るたびに小さな声を上げた。
「正一、あれ……」
香奈は準備室の扉を指さした。
隙間風で扉は微かに揺れ、奥からは青白い光が漏れていた。正一も心細かったが、二人の前で情けない姿は見せられない。
「た、ただの雷さ。そうに決まってるんだ」
恐怖心よりも好奇心が勝ったのか、二人も後に付いてきた。
準備室の光はまだ続いている。意を決して、正一はドアノブを引いた。
「――っ?」
視界全てが真っ青な光に包まれた。
気がつけば、三人はオルミガ城の謁見の間に転移していたのだった。
玉座を中心に、よく磨き抜かれた金属鎧に身を包んだ騎士たちが整列している。
その中心に、オルミガ王は立っていた。
「よくぞ来た、勇者よ」
年の頃は三〇歳前後。
見るからに威厳たっぷりの、軍服的な服装だった。金ボタンに襟章、モールにずらりと勲章まで並んでいる様は、歴史の教科書に出てくる外国の肖像画のようだった。
香奈が真っ青な顔をして正一にすがりついた。
「夢よ、これは夢。正一、そうよね?」
「決まってるだろ、こんなマンガみたいな話が現実に起こるわけがない、ハハハ。なあ、透。そうだよな?」
透はかぶりを振った。
「俺もそう思いたいよ。だが考えてもみろ。三人が三人、同じ夢を見るなんて、それこそ夢物語だ。どうやら現実のようだな」
王は軽く咳払いをすると、正一、香奈、透の三人をじっと見据えた。
「いきなりのことゆえ、取り乱すもやむを得まい。余はオルミガ王国国王、フェルナンド・オルミガⅢ世。そちたちをはるばる地球から呼び寄せたのは、余の命を受けし魔術師だ。三日三晩魔力を集中し、ようやく召喚に成功したのだよ」
ローブのフードを目深にかぶった女が、深く頭を下げた。
銀色の髪が微かに揺れる。
笑うと口許から少し大きめの犬歯が覗いた。かなりの美人らしいが、年齢はわからない。
正一は固唾をのんだ。
「それじゃあ、ここは地球じゃない……?」
「我々もこの世界を地球と呼んでいる。しかし、そちたちが認識する地球とは全く別の世界なのだ。かみ砕いて言えば『異世界』といったところか」
「異世界、だって?」
王は深く頷いた。
「そちたちに、ぜひ頼みたいことがある。日に日に厳しさを増す魔族軍との戦いを、我々人類の勝利に導いて欲しいのだ」
「そんな、ぼくたちはただの中学生ですよ」
「いや。ゲートを越えた時点でただ者ではない。ただの人間には越えられぬのだ。資質のある地球人がゲートをくぐる事により、地球でもこの世界でも唯一無二の力が目覚めたはずだ。その力があれば、魔族にも対抗できよう」
透が一歩前へ出た。
「もし、断ったら?」
王様は何も言わないが、周りの騎士たちが一斉に剣を抜き、槍を構えた。
バルコニーには弓をつがえている兵士がずらりと並んでいる。
「引き受けましょう。正一、香奈、いいよな?」
庄一も香奈も、頷くしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます