雨の中庭

雨宮テウ

第1話

中庭は 今日も雨。

時が止まったかのように 紫陽花が咲く。



俺には愛する女性ひとがいる。

そいつは雨が好きで、

紫陽花色の着物がよく似合う

物静かな女性である。


いつも雨が降ると

淡い蛇の目の傘をさして

〝白菊〟《しらぎく》という名の猫を探しにこの辺を歩いていた。

『白菊?おいで、雨が強くなりますよ。』

『白菊や、お家に帰りましょう。』

そう遠くへは届かなそうな柔い声で

通りかかるのだった。


その白菊と呼ばれる猫、

そう、探されているその猫は

大抵俺の家の金魚を

飽きずに眺めにやってきていて、


いつしか雨が降り、迎えが来ると

俺は白菊を抱いて戸口へ。

『まぁ、またお邪魔していたのね、いけませんね。』と、

これまた叱ってるんだか甘やかしているんだかわからない口調で語りかけ

会釈をして帰って行くようになった。


そんな話はどうでもいい。

とにかく俺はその人が好きで、

何度も白菊を見送るついでに、

いや、その人に会うついでに白菊を抱いて連れて行ったものだった。


雨が好きだと教えてくれた。

だから中庭には雨を降らせた。

紫陽花の色が好きだと教えてくれた。

だから手入れをしながら彼女の好きな紫陽花を咲かせ続けた。


いつしかこの古い家は

俺と彼女と白菊と金魚が

あーでもない、こーでもないと

大事なことも ささいなことも

打ち明けたり、考えたり、意見を交換したり。

夜、彼女と白菊が帰ってしまうまでの時間が

上手くはいえないが、どうでも良いようなことでさえ愛おしくて、

俺はとても幸せな時間を過ごしていたんだ。


『なぁ、このままここで、一緒に暮らさないか。』

ある日俺は彼女に

庭に咲いた紫陽花で染め上げた蛇の目の傘を贈った。

彼女は、ポロポロと泣きながら

嬉しい

と、中庭に出て傘を広げて雨音を聴いていた。


その日の朝の事だ。

紫陽花の傘と彼女は消えてしまった。


残された俺と、

『お前も置いていかれたのか、白菊。』

猫はいいな、飯が食えてあったかい寝床があれば良いのか?

俺もお前のように猫だったら良かったよ。

白菊を抱きながら

雨の中庭の音で

俺の空っぽの胸は溢れていた。


思えばおかしな人だった。

いつも空を見上げ

『どうしましょう…』と困った顔を。

『どうしたんだ?』と尋ねると

『雨が帰って来いとうるさいのです』

なんていうのだから。




中庭は 今日も雨。

時が止まったかのように紫陽花が咲いている。


あれからどれだけの月日が流れたろうか…

もうこの中庭の雨も

俺と白菊を見飽きたんじゃなかろうか。


白菊と一緒に朝餉あさげを済ませて

陽を嗜んでいると


ーーがしゃーん


と中庭の方から大きな音が聞こえた。

近所からは気味悪がられているこの家の中庭に

わざわざ誰かがモノを投げ入れるとは思えないが、中には大切な紫陽花が植っているのだ。

俺は慌てて中庭に駆けつけた。


そこには

転んだのか足をさすってべそをかく

小童がいた。



『怪我したのか?坊主どっから入ってきた。』

そばへ寄ってキズを見てみると擦り傷がちらほらと血を滲ませている。

『空から…』

空から。そう、この中庭は完全に家の中にあるのでどこかから家に入らないと中庭にはたどりつけないはずなのだ。空から落ちない限り。

『ばかなことをいうんもんじゃないよ。

こんなとこいるって知ったらお前の家族は心配するぞ。』


何か事情があってこの家に忍び込んだのなら追い返すのは違うなぁ

でもこの評判の悪い家にこんな育ちの良さそうな小童がわざわざ来るか?

色んなことが頭をよぎるが、まずは

『そんな雨に当たってると風邪引くぞ。さっさと中に入れ。俺は薬箱を取ってくるから。』


薬箱、薬箱、どこだったかな。

彼女が度々ここで過ごしていた頃、確か簡単な薬箱をこしらえてくれていた。

怪我は放っておいてはいけません、とか言いながら。

どこだったか、なんてそんなの探すふりをしているだけだ。本当はどこにあるか知ってる。

彼女が残したものは全てそのままなのだから。


薬箱をとり、坊主のところへ戻ろうとする途中

『あーー!!!』

っという大きな焦りと悲しみに満ちた坊主の声が聞こえた。


白菊と共に駆けつけ

どうした?と坊主をみると

坊主は泣きながら

『アマグモ、破けちゃった』

と、なんだか灰色の風船?ずたぶくろ?

のような残骸を広げていた。


『なんだ、風船が割れたくらいで。

そんな泣くな。

ほれ、足を貸してごらん。

怪我は放っておいちゃいけないんだ。』


『わーーん!アマグモがないと僕、ここから出られないんだ。おかーさんにももう会えないんだ!』

と、埒が開かない。

風船が割れたことの何がこんなに坊主を泣かせるのか全然わからないが、

坊主がそのうち

しゃくりあげてきてあまりにも可哀想で

『おいで、一緒に直す方法を見つけてやるから。なぁ?』

と、坊主の頭を撫でていた。


『な、なおす…??』涙をたくさん溜めたままの目でこっちと割れた風船を交互に見て

坊主は急に気力を取り戻して俺に言ってきた。

『そうだ!!直せば良いんだ!!』


直し方わかるのか…??と聞けば

わかる!!

『キリサメかアキサメ、なかったらナガサメでいいっておかーさん言ってた!僕縫える!

だから、針と雨糸かして…!』


なんて言うんだ。

もう、何を言ってるのかわからないが、

裁縫箱を、欲しがっていると言うことだけはわかった。

『坊主、裁縫箱…

貸してやっても良いんだが、

俺の大切な人のものなんだ。

大事に使えるな?』

かつて俺の着物のほつれを繕ってくれた彼女が置いてそのままの裁縫箱を

これまた『どこにやったかな…』なんて言いながら迷うことなく取りに行く。


綺麗な糸で刺繍された裁縫箱。

『ほれ、針とハサミに気をつけて使うんだぞ。』

と裁縫箱を渡しながら、俺は坊主の膝っこぞうの汚れを流し、塗り薬でもないかと薬箱を開けた。

彼女の字で貼られたラベルがたくさん目に留まる。

『痛い時』『寂しくなった時』『困った時』『悲しい時』『苦しい時』…なんだ…??

どれも塗り薬や、飲み薬のように調合され、

蓋を開けるとそれぞれ精油や雨や陽の香りがする。


(こんなに沢山、こしらえてくれてたのか…)なんだか、よくある薬箱の中身とは違ったが、俺は彼女の文字と心遣いがやはり、沁みて涙が出そうだった。


坊主はその間裁縫箱をごそごそしながら

『アマグモの針は青薔薇の6番…あっ、これだ!

あとは、雨糸…雨糸…』

とな。

何を言ってんだか、と思いながら覗くと

見つけ出したであろう青い針を手に待っていた。

まさか…本当に雨糸なんてものが出てくるんじゃ…??

『坊主、青い色の糸を探してんのか?』

『違うって。あまいと!雨糸だよ、ほらこれだ!!』

裁縫箱の底の方に妙に艶やかな糸の束を見つける。

綺麗に束ねられた数種類の糸。


細く銀色に光る束に手書きのラベル

『キリサメ』


黄色い光がチラチラと光る糸には

『キンモクセイ』


流れるような白い光り方をする糸には

『月ノ蜜』


そんな見たことも聞いたこともない糸たちの束が出てくるのだ。

これは一体…なんて疑問よりもその美しさに、

そしてこの糸を丁寧に撚ったであろう彼女のことで

こころがいっぱいになっていく。


『なんで泣いてるの?僕、アマグモ直せるから心配いらないよ?見ててね。』

坊主はたどたどしくも、慣れた手順で青い針に銀の糸を通し〝アマグモ〟とやらを縫っていく。


夢でも見ているのか…一体いつから夢なんだ…

横で静かに見守る白菊がいつもと同じ時間にあくびをする。


坊主が一生懸命縫い物をしながら教えてくれた。

『アマグモを作れないと一人前の男にはなれないんだぞ。』

『そうなのか…?』

『そうだよ。何も知らないんだね!かがくしゃなのに!かがくしゃも、ちゃんとアマグモ作る練習したほうがいいよ!』

アマグモを作る練習…

なんだか、違う国の言葉を聞いているような、でもどこか知っているようなそんな話をするんだな。

『坊主、おまえ、どこんちの子だ。

送ってやろう。こんなに長い時間姿が見えないんじゃお家の人は気が気じゃないだろうに。』


それに着替えた方がいいしな。タオルで拭ったとはいえ雨の冷えは風邪をひきやすいから。

と、坊主の頭に手をやると髪がふんわりと乾いている。服もいつの間にお日様の匂いをさせている。


いよいよ様子がおかしいぞ、

何が起こっているんだ。

『おい、坊主、おまえ』

『できた!!!!!

かがくしゃ!ありがとう!』

これまた雨上がりの蜘蛛の巣みたいにキラキラした笑顔で、坊主はアマグモにぷぅと空気を入れ、

『僕先に行くね!ばいばい!』

と、アマグモにのって空へ飛んでいくではないか。


『気をつけて、な…』

なんて、気の抜けた声しか出ない。


中庭は 今日も雨。

紫陽花がキラキラと雨粒を浴びる。


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『これ、どこへ行っていたのですか?

いけない子。

遅くなる時は言うようにと約束でしょう?』

『お母さん、僕かがくしゃに会ってきた!』

お母さんと呼ばれたその人は、あらあらと困っているんだか喜んでいるんだかわからない顔で坊やのアマグモを手にした。

『ふふふ、

ずいぶん綺麗に直せるようになりましたね。

けれど、お祖父様がお怒りですよ。』

『えーっ!またげんこつかなぁ…』

『また、げんこつでしょうね』


『でもだめだよ、僕知ってるんだから!

お母さん、僕がかがくしゃのところへ行くの知っていたでしょう?』


『あら、バレていましたか。』

『だから、お母さんも半分、ちゃんとげんこつをもらわないと!』


お母さんと呼ばれたその人は

ふふふ、そうですね、と

楽しげに坊やの手を握って

げんこつをもらいにいくのでした。


『ねぇ、かがくしゃにまた会えるかな…

僕が地上の修行に行ける日まで、

また会えないのかな…』


『ぼうや、あなたのイタズラのおかげで

私の残したたくさんのカケラを

あの人はきっと今見つけ出してるわ。』


遠くない先の時間、

あなたは大きなアマグモをこしらえて

私たちを迎えにくることでしょう。

その時は、

私に捧げてくれた雨の中庭に

光の梯子をおろして差し上げますね、あなた。



おしまい

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雨の中庭 雨宮テウ @teurain

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