2 失恋した人②

「怜奈先生、今日元気なさそうに見えるけど……大丈夫かな?」

「何かあったのかな……?」

「分からない」

「うん……」


 正直、俺も少し気になっていた。

 朝から深刻な顔をして、力のない声で授業をしてたからさ。いつもなら明るい声でみんなに「おはよう」と言うはずの先生が今日は何も言わず教科書のページを言うだけだった。


 きっと何かあったはず……。

 でも、それを聞くのは失礼だから俺は何も言えなかった。


「俺……ちょっと飲み物買いに行ってくるから」

「オッケー」


 自販機のところに来て、じっとジュースを見つめる。

 すると、後ろから誰かの泣き声が聞こえてきた。


「…………」


 ベンチに座ってる神崎先生が、泣き声を我慢しながら自分の涙を拭いている。

 どうやら、本当に深刻なことがあったみたいだ。

 いつも明るくてよく笑う先生だから……、俺の担任の先生だから……、神崎先生がどんな人なのか俺は知っていた。なのに、そんな先生が可哀想に一人で泣いている。後ろからそれを見ていた俺は、自販機から先生の好きそうなジュースを買って、それを渡した。


 誰もいないところで、こっそり泣いていたのかよ。


「えっ……?」

「先生……、大丈夫……ですか?」

「一ノ瀬くん……? あっ、うん! あ、ありがと……。でも、どうして?」

「どうしてって言われても、今日ずっと……元気なさそうに見えて……」

「ご、ごめんね……」

「謝る必要はありません。ただ……、元気を出してほしくて。もし! 俺にできることがあるなら———なんでも……」


 そう言いながら先生の顔を見た時、俺はあごにあるほくろに気づいてしまう。

 なんだ……? なんで、先生に……ほくろが? 昨日……、駅の前で泣いてた人と同じところにほくろがある。こんな偶然があってもいいのか? しばらく、先生のあごから目を離せなかった。


 どっかで会ったことありそうな気がしたけど、それは先生だったのか……?

 じゃあ、今日ずっと落ち込んでいた理由は……「失恋」かな? それしかない。

 ここにいる先生が昨日俺が見たあの人なら……。


 そして、雰囲気も似てるような気がする。


「どうしたの……?」

「い、いいえ! あ! そろそろ……、教室に戻ります」

「ねえ、一ノ瀬くん」

「はい?」

「一ノ瀬くんは優しいね、彼女にもこんな風に優しくしてあげるの?」

「えっと……。ただ、先生のことが心配になっただけなんで、彼女はいません」

「そうなんだ……」

「じゃあ、戻ります!」

「うん……」


 じっと伊吹の後ろ姿を見ていた怜奈が、ポケットから彼にもらったハンカチを取り出す。

 そして、微笑んでいた。


「会える……。もう少しで会えるから待ってて、そこで…………。ふふふっ♡」


 そう言いながら、ぎゅっとハンカチを握る怜奈。


 ……


 今日は休みだからバイトに行かなくもいいのに、晴人が塾に行ってしまって、結局家に帰るしかない俺だった。たまには……あいつとゆっくりゲームをしたかったのにな。ようやくチャンスができたと思ったら、タイミングが悪い。悪すぎる。


 そういえば、先生にジュースを渡した後、少し明るくなったような気がする。

 まあ、先生はみんなのアイドルみたいな存在だからな。元気を出してほしかった。


「あれ?」


 そして、マンションの前に着いた時……、ある女性が重そうな荷物を持ち上げようとしていた。

 階段も一つしかないし……、手伝わないと俺も家に入れないからさ。

 仕方がなく、声をかけることにした。


「あの! 何階に行くんですか? 手伝います!」

「えっ……? あの……三階ですけど……。あれ?」

「えっ!」


 見覚えのある後ろ姿だと思ったら、昨日……駅の前で彼氏と別れた人だった。

 なんで、こんなところに来たんだ。

 別に……来ても構わないけど、ここめっちゃ古いマンションだから、普通の女性ならこんなところで一人暮らしをしたりしない。しかも、ここから二十分くらい離れたところに大通りがあるからさ。


 ここは夜になるとめっちゃ暗くなるし、街灯もないから……危険だ。


「一ノ瀬くん…………?」


 ビクッとした俺は彼女のあごを見ていた。

 団子頭とメガネはあの時と一緒だったけど、よく見たら……本当に神崎先生と似ている。

 それに、俺の名前を知ってるってことは。あごにほくろがあるってことは。

 これはやっぱり———。


「まさか……、まさか…………! か、か、神崎先生? ですか!?」

「あっ、今化粧落としたから……見ちゃダメ!」

「えっ! あっ、すみません!」

「あっ! そ、そういう意味じゃ……。ごめんね、恥ずかしいから。つい…………」

「い、いいえ! い、一応! 荷物を運んであげます!」

「い、いいの?」

「任せてください!」


 マジか……? 担任の神崎先生が俺と同じマンションに引っ越してきたってわけ?

 なんでだ? 教師なら……俺よりお金持ちだし、もっと良いところに行けると思うけど、どうしてこんなマンションに来たんだろう。その疑問を抱いたまま先生の荷物を全部運んであげた。


 そして、こんな偶然があってもいいのかよ……!

 よりによって……、俺のすぐ隣部屋だった。


「あ、ありがと……。ごめんね、任せっぱなしで……。重かったはずなのに……」

「い、いいえ! 大丈夫です!」

「…………」


 しばらく、静寂が流れる。

 うわぁ……、これから何を話せばいいんだろう。空気が重い……。

 それより、先生……学校にいる時とイメージが全然違う。ちょっと可愛いかも。


「…………」

「あ、あの……一ノ瀬くん?」

「はい? 先生」

「せっかくだし……、うちで一緒に夕飯食べない……? 手伝ってくれたお礼だよ! 好きな食べ物を教えて!」

「…………」

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