第46話「そう仰ると思ってました、はい、黒騎士様、頭ここです」
ヴィクトリアは目を覚ます。上半身を起こすと室内の寒気がヴィクトリアを包む。部屋の暖炉には火が入っていたがさすがに寒い。ウィンター・ローゼの領主館の私室と比較したら室温差が違う。
ベッドのサイドテーブルに視察に来た時にはなかった間接照明も設置されていたので、ほの暗いだけで視界は思ったほど悪くはなかった。その僅かな明るさから、部屋の内装の方も変わっているのが見てとれた。
ウィンター・ローゼでの宿を見て、オルセ村の宿もいろいろ工夫を凝らしている様子がわかる。宿屋の主人と女将にその感想を伝えたいところだが、カーテンの隙間に見える向こうも闇だ。まだ日は昇らない。
――ああ、やっちゃった、眠っちゃった。わたしのバカバカ。ただの足手まといみたいじゃない。
ギュっと寝具を握りしめてヴィクトリアは反省する。
ベッドから起き上がって傍に置いてあった自分の防寒ブーツに足を通す。ブーツは脱いでたものの視察用の服のままで眠っていたようだ。
暖炉の傍にあるソファに近づくと、アレクシスが横になっていた。
目を閉じているから、眠っているのかと思ったのだが……。
「まだ、夜明けまで時間がありますよ殿下」
ソファの背に手を置いてヴィクトリアがアレクシスの顔を覗き込むとそう言われたので一瞬「ふぁっ」と声をあげてしまった。
「黒騎士様……」
改めてソファに横たわっていたアレクシスを見ると、彼の長身がわかる。足がひじ掛けよりもはみ出している。瞳を閉じているものの、彼の傍に近づいた人の気配を察知しているのにも驚く。
そして……。
「風邪ひいちゃいます! そんな状態じゃ」
毛布代わりにコートをかけている彼を見て、ヴィクトリアは声をかけた。彼女はベッドに戻り、今まで使っていた毛布をひっぱりだしてきてアレクシスの身体にかける。
「毛布ぐらいかけましょ、黒騎士様。それよりも、ベッドの方がいいかも黒騎士様も少しお休みください」
そんなことを言われても、この部屋にベッドは一つなのだ。
「殿下がお休みください、私はここで十分ですので」
「ベッド、広いですよ、二人でも十分眠れます」
アレクシスは上半身を起こして自分の額に手を当てる。
「殿下、嫁入り前の淑女がいう言葉ではないでしょう」
アレクシスが起き上がって空いたソファの端にヴィクトリアはチョコンと座り、意味がわかってないのかキョトンとした表情でアレクシスを見る。
「え、だって、広いし、寒くないですよ? 二人一緒だと寒くないです」
確かに寒くはないだろうが……。その場所が場所である。
「殿下、私を信用してくださるのは大変嬉しいのですが」
「もちろん、信用してます、あたりまえじゃないですか!」
打てば響くようなその返事に、彼女は自分の言葉の意味を深く捉えていないとアレクシスは思った。
背もたれとひじ掛けにアレクシスの腕が伸びて、ヴィクトリアを囲い込む。
いつもヴィクトリアを抱き上げてくれた。抱き着くと壊れ物を扱うように抱きしめ返してくれた。そんな直接的なスキンシップではないのにもかかわらず、囲い込まれたその体制。密着して抱きしめられているわけでもないのに、ドキリとする。
「殿下と二人で一緒のベッドにいたら俺は俺自身が信用できなくなりそうなんです」
信じてる相手に裏切られるなんて彼女はまだ経験してないかもしれない。いままで無邪気に寄り添ってきた相手が、本能に任せて豹変するなんて想像もしていないだろう。
アレクシスの蒼い瞳がヴィクトリアを見つめその表情にヴィクトリアの心臓は跳ね上がりドキドキする。
その囲いの中から抜け出そうとすれば、彼はそのままにしてくれる気がする。今までならそうする。だけどもし抜け出そうとしても抱き込んで離さなかったら? それを想像したらヴィクトリアの頬が真っ赤になる。
――……ずるい、ずるい、なんでそんな、カッコイイんですかー!
それまで強面で恐ろしくて、貴族の令嬢は泣いて逃げ出すと言われている彼が、そんなに大人の色気を持っているなんて誰が知るだろうとヴィクトリアは思う。
顔を真っ赤にして微動だにしなくなったヴィクトリアを見てアレクシスは少し距離を取る。
「結婚前に合意もなく無体を働いたら、例え婚約者でもそれは犯罪なのはご存じでは? だからあまり煽らないように……」
「つ、つまり、その、黒騎士様は……その……わたしのこと好き?」
「……」
ヴィクトリアはアレクシスの背にズレた毛布を引っ張って彼の肩にかける。
その反応にアレクシスはがっくりとくる。
もう少し、危機感を持ってくれるかと思ったのだが……。
「殿下は私にとって大事な守るべき君主ですので」
いつもどおりの黒騎士の対応に戻っているのに気が付いて、ヴィクトリア頬を膨らませる。
「そう仰ると思ってました、はい、黒騎士様、頭ここです」
ヴィクトリアはポンポンと自分の膝を叩く。
「は?」
「どうせ、黒騎士様はベッドに一人で眠る気もないのですから、頭ココ。早く! 命令ですからね!」
ヴィクトリアが頬を膨らませているのを見て苦笑する。
「私の言うこと、ちっとも聞いて下さらないんですから、罰なの!!」
それは罰じゃないだろうと思うが、ヴィクトリアがへそを曲げたままずっと起きているのもなんなので、アレクシスは「失礼します」と断ってヴィクトリアの膝に頭を乗せる。 ヴィクトリアはほっとしたようにアレクシスの黒髪を指で梳く。
「黒騎士様、わたし考えたんですけど、やっぱりシュワルツ・レーヴェの各村には温泉つけるべきかなって思いました」
「はい?」
「ウィンター・ローゼは宿も温泉の地熱を利用して、室内をもう少し暖かくしているでしょ? ニコル村も宿の方は同じように設備が改装されていると思うけど、オルセ村にもそうした方がいいかなって、オルセ村は他の村に比べて人口も多い方だし、他の村も。わたしはこの北の辺境の冬の寒さでよく領民たちが無事だったなって、改めて思うのです」
「工務省の方がそれを了承してくれるかが問題です」
「……でも、みんなを少しでもこの寒さからなんとかしたいんですよね、泉質が違えば領地の温泉観光の売りにもなるような気がするんです」
「泉質……」
「ロッテ姉上が言うには泉質によってその効能が違うそうなんです」
「全部同じだったらどうします?」
「それなんですよね……しかしこの辺境の冬を体感したわたしとしては、各村温泉設置は必須な気もするの」
ヴィクトリアの話を聞いていたアレクシスは睡魔に引き込まれたのか、黙ってしまったようだ。
暖炉の火の暖かさと、膝の上にあるアレクシスの頭の暖かさでヴィクトリアもまたウトウトしてきたらしい。アレクシスの髪を一定のリズムで梳いていたヴィクトリアの手の動きが止まったのでアレクシスは目を開ける。
ソファの背にもたれて、ヴィクトリアはまた眠ってしまったようだ。そっと頭を上げて起き上がり、暖炉に薪を追加して火が衰えないようにする。
ソファの背凭れに身体を預け寝息をたてているヴィクトリアをベッドに戻そうか考えるが、あと数時間で夜が明ける。
アレクシスはヴィクトリアがしてくれたように、毛布を彼女にかけて隣に座るとヴィクトリアはずるずると背凭れの横に身体を倒していく。アレクシスはそのまま彼女の頭を自分の膝の上に置く。そして彼女が自分にしてくれたように、夜明けまで彼女の頭を静かに撫でていた。
ドアノックがしてアレクシスが入れと声をかけると、ドア前に護衛についていた団員と女将が入室してくる。
「閣下、そろそろ夜明けです」
「すぐに出立するかどうかわからん言われて、朝食は携帯できるものを準備しただ」
「夜明け前にすまないな、女将、人数も多くてたいへんだったろう」
「そったらこと、てえしたことでねえがら……姫様……ねてるだが?」
ヴィクトリアは会話のざわつきで目を覚ましたらしい。アレクシスの膝の上に自分がいるので一瞬驚く。
上半身をがばっと起こして室内の窓を見る。
カーテンの隙間から太陽が闇から顔をだしているのがみてとれた。
「おこしちまっただか」
「いいえ、ありがとうございます。わたし寝過ごしてませんよね?」
ヴィクトリアの言葉にアレクシスは頷く。
「コーヒーがええか思って用意して団員さんたちにはそれはいま取ってもらってるだが領主様はどうするだ?」
ちなみにコーヒーは帝国の南の領地でもとれている。ウィンター・ローゼのクリスタルパレスでもトマスが栽培しているのだ。
「私も同じで。別々だと手間だろう。殿下は?」
「はい、お願いします。砂糖とミルク抜きでも大丈夫です」
「あったかいの用意しただ」
女将は二人にコーヒーを給仕する。
「本当に、朝早くからありがとう、女将さん。あと、お部屋、前に視察に来た時よりも素敵になってます」
「やっぱし姫様はわかっただか~ウィンター・ローゼの宿屋を見て、研究しただよ~帝都の宿屋ってあんな感じなんだか?」
「はい」
「うちの店もちょっとづつ近づけるように頑張るだ」
「素敵! 楽しみにしてます」
そんな会話を交わしたあと、身支度を整えて、アレクシスとヴィクトリアは村の広場に出ると、ニーナが手を振っている。
「おはようございます~!」
「ニーナさん! おはようございます! どうですか」
「結構進めた感じです」
ヴィクトリアはアレクシスを見上げる。
アレクシスは団員が連れてきてくれた愛馬にヴィクトリアを乗せ、自分もその後ろに乗る。そして一行は昨日の日暮れ前の位置まで進むと、昨夜クロとその仲間たちが雪をかいで道筋をつけた状態が見て取れた。
「クロたちすげえな……道になってる」
団員達からそんな声があがる。ヴィクトリアも確かに凄いと思う。
「クロもシロもその仲間たちも、イヌ科だから、嗅覚がすぐれてます、鉱山事務所は自然とは違う人口的な建物だし、生活臭だって残ってると思うんです」
「なるほど、こんな感じでオルセ村を魔獣からも守っていたのですね」
「クロもシロも本当は一匹オオカミだったんですよ、でも、番になってから他のイヌ科の動物たちがいうこときいてくれて」
「そうなんですね」
「そして残念ながら……あと少しでこの道は終わってしまいます」
ニーナの言葉にヴィクトリアは頷く。言われる通り、しばらく進んだところで雪の壁で道が閉じていた。
ヴィクトリアはアレクシスに手伝ってもらって馬から降りる。
ニーナとアレクシスとヴィクトリアは広げた地図を取り囲む。
オルセ村と森と鉱山の事務所。道筋の検討をつけ現在地を把握する。
ヴィクトリアは髪飾りに手をかけると、羽ペンが顕現する。
「はじめましょうか」
菫色の瞳が煌めく。
鉱山事務所が存在するはずの方向にヴィクトリアは立ち上がる。
「風は東方向から微風、天候は良好……太陽光と風と……」
ブツブツとヴィクトリアは口の中で呟きながら羽ペンを持ち、空中に術式を書き始める。その術式を書き記した傍から、目の前にある雪の壁が解凍していく。
「この状態を連続で行う……」
術式が完成すると詠唱を唱える間もなく雪が一定方向でスピードをあげて解凍されていく。羽ペンから放たれた魔力の籠った術式はキラキラと光を放ったままだ。
「あ! 見えた!」
クラウスが声を上げる。
術式が放つ光が伸びていく先に、建物らしき物体が現れる。
ヴィクトリアの視界にもそれが見え、建物周辺の雪が一気に溶けだした。
「す……すごい……」
ニーナは改めてヴィクトリアを見る。
「終わった~……魔力込めて詠唱したらまた雪崩がくるかもとか思ったから、術式と魔力調整だけでもなんとかできるもんですね」
ヴィクトリアは肩の力を抜いてはあ~と息をつく。
「お疲れ様です、殿下」
「じゃ、みなさん、進みましょう!」
「カッツェ一陣で先行しろ、先着した一陣は殿下が溶かした範囲をさらに広げること」
「了解です」
アレクシスの指示の元、一陣が先行して進んでいく。
「みんな無事でいますように」
再び騎乗したヴィクトリアはそう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます