4話、無慈悲な現実わからせウィーク

ようやく退院できた。

幾度となく医者と看護師に怒られながらも苦痛に耐えた道のりだった。


何度、死の危険に晒されたかはもはや覚えていない。

大小様々な危険があったが、どれが命の危険につながるかが分からないため神経をすり減らす毎日であった。


退院までの短い期間だけで、世界の声が言っていたことが本当であることはすぐに分かった。

あからさまだと言い切れるほどに果彌がお見舞いにきたときにしか事故が発生しないのである。

元々あの超常現象の段階で疑ってはいなかったが、これほどまでに露骨な”偶然”が重なるとなるとあの声が言っていたことが全て真実であることは疑いようがない。


そして、世界の声が言っていた『貴方と少女が離れている時間が長いほど少女の因果は弱り、死ぬ確率が上昇します』いう言葉の意味についても図らずとも検証することができていた。


それは家の事情で3日ほど果彌がお見舞いに来ることができなかった翌日のことであった。

お見舞いに来るのが3日ぶりになっちゃってごめんと言いながら果彌が病室に入ってきた瞬間のことであった。

ガチャンという音がすると同時に医療用のメスが飛来してきたのである。

とっさにギブスが外れていない腕を果彌の前に差し込み、飛来するメスの射線に割り込むことで最悪の事態を防ぐことができたが、今回ばかりは完全に運がよかっただけであった。


たまたま病室内で立っている状態で、何が起きてもいいように警戒していたおかげでわずかな物音から即座に反応することができた。

さらにいえば、とっさに割り込ませた腕の位置についても目測を誤らせずに反射で動けたのは我がことながら奇跡といってもよく、それがたまたまギブスのついた腕の方で、ギブスに刺さったことによって無傷で防げたのは幸運でしかなかった。


もしも逆の腕で庇おうとしていたのであればまた入院期間が長引いていたことになっていただろう。

仮にそうなったとしても、防がなければあのメスは確実に彼女の心臓に突き刺さっていたに違いないので防げれば俺の勝ちである。


なぁ、世界さんよ。

一体どうすれば別の部屋で落としたメスがこちらに飛んでくるのでしょうねぇ。

殺意マシマシのピタゴラスイッチは本気でやめてほしい。


しかし、現実は無慈悲であった。

祈ったところで何も変わらない。

世界はきっとこれからも因果を収束させ続けるのだろう。


世界の意志は、因果は確実に果彌を殺しに掛かっている。

だが、同時に防ぐことも可能だということも証明できている。


本来なら不可避の死の運命も自分ならば防げる。

それが証明できたことは収穫であった。


その後、病院側は危うく大怪我になってしまうミスを犯したということで大騒ぎとなったが、因果という殺意マンの存在のせいと知ってる自分としては逆に申し訳ない気持ちの方が大きい。

不祥事を黙る代わりに今後いろいろ便宜を図ってくれるということになり、むしろラッキーなくらいである。


きっと今後もこの病院には何度もお世話になることを考えれば不祥事を黙っているだけで便宜を図らってくれるというのは好都合でしかなかった。


本来なら病院の世話になりたくなくても世界さんが無慈悲すぎてツラい。


しかし、2回目の因果破壊以降は世界さんからのメッセージが簡潔で意味の分からないものであるため、現状どうなっているのかはよくわからない。


事故を防ぐたびにポイントが追加されましたと言われるが、それが何を示しているのかが分からないのが少し怖い。

前回の開示された情報ではポイントについては一切触れられていない。

これがもし一定のポイントが貯まったら1回目の時のように大事故が発生するとかだったらどうしようと、嫌な想像をして背筋がぞっとするものを感じるのであった。


退院の手続きを済ませ、久々に病院外に出て吸う空気はどこか特別な感覚を覚える。

やはり、人間は外に出るのも必要だ。

これから病み上がりで心配だからとついてきた果彌と一緒に家へと帰るのだが、正直憂鬱である。


血縁上の両親は結局一度も見舞いに来ることはなかった。

以前から愛されていない自覚はあったが、一時は意識不明の重体となった状態でも顔を見せないということは、もはや彼らにとって自分は重荷でしかないのだろう。

そう思うと、お見舞いどころか、一度として連絡すらなかったのも頷ける。


産んでしまったから義務として育てて、金を出していただけであって、そこに親子の情は存在しない。

分かってはいたが、あらためて証明されてしまった現実は心に来るものがあった。

どれだけ無感情にしていても、一時は彼らに愛されようと努力した時代もあったのだ。

それは全て無駄なことだとずっと前から分かっていたはずだった。

結局は独り相撲でしかない子どものわがままでしかなかったと理解していたつもりだったが、まだ心のどこかで彼らを親と思いたい気持ちも、ひとかけら程度の愛情があると信じていたかった気持ちが残っていたことを思い知らされた。


「……ふぅ」

どこか苦しくなる胸の内をかき消すために叫びたくなったが、隣には果彌がいる。

全ての感情を押し隠して小さく息を吐くだけにとどめた。


「どうしたの?」

表情には出していなかったつもりだが、目ざとくこちらのため息に反応される。

まっすぐにこちらを見上げるその視線に少しだけ気持ちが和らぐ。


「なんでもない。

お前の両親にはずいぶん世話になってしまったなと思ってさ」

誤魔化すように口から出た言葉もまたまぎれもない本音だった。

動けない自分の代わりに入院の手続き、両親への連絡などの世話を焼いてくれたのは果彌の両親だった。

今日も車で迎えにくるとまで言っていたが、仕事を休んでまできてもらうのは流石に心苦しいため丁重に断らせてもらった。


その優しさに思わず涙すら出そうになったのは自分だけの秘密である。

やはり、こんなにも素敵な両親に育てられたからこそ彼女はあんなにも素晴らしい人間に育ったのだなと心から思う。

俺とは生まれも、育ち方も、全て根本的に違う。


愛されなかったのは、きっと俺には愛される価値がなかったからだ。

血のつながった親からすら愛す価値がないと判断された自分とはあまりにも違いすぎる。

今このような状況でなければ俺は彼女とは距離を取ることを選んでいただろう。


元々自分のような無価値な人間が近づいていい存在じゃなかった。

守りたいなどと言って、適当な理由をつけて自分を認識してくれる人にそばにいてほしかっただけだった。

今、この瞬間に彼女に執着していた理由を自覚した。

親から得られなかった愛情の代わりにしようとしていた。


なんて醜く、利己的で醜悪な人間だろうか。

心を救ってくれた恩人に抱いていい気持ちじゃなかった。


「そんなの気にしなくていいんだよ!

私たちがやりたいからやっていたことなんだし、お母さんも遠慮しないで頼ってほしいっていってたもん」

その優しさに泣きたくなった。

いつか彼女を真の意味で因果から解放した時には俺は彼女の前から去ろう。

一緒にいればきっと傷つけるだけなのだと理解できてしまったからこその誓いだった。


「ありがとう。

でもさ、あんまり迷惑かけたくないし、ここまでやってもらっただけでも本当に感謝してる」

これもまた何度も果彌にも、彼女の両親にも伝えた言葉だった。

しかし、彼らは決まって娘の恩人が何を言っているんだと逆に感謝を示してきた。

俺にとって果彌を守ることは当たり前のことであって、感謝されることではない。

むしろ、俺のようなどうでもいい人間のために時間を使わせてしまったことに申し訳なさを覚えてしまった。


久しぶりに会った彼女の両親から言われた言葉で一つだけうれしい言葉があった。

病室で感謝の言葉と共にこれからも娘を頼みますと言われたことだ。

思わず任せてくださいと返したのは良い記憶である。


大事な娘を頼むと、信頼してくれたことが言葉だけじゃなく表情からも理解できた。

こんな自分でも頼ってくれる人がいるんだと、こみ上げるものがあった。


この言葉だけでしばらく生きていけるくらい心が軽やかになったのは内緒である。

その信頼に応えるためにも、彼女がいつか誰かを好きになり、結婚するまでは俺が絶対に守ろうと改めて誓う。

そのためにもどうにかして死の因果から解放される方法を探し出さなくてはいけない。


「ちょっと待った」

横断歩道の信号が赤から青に変わり、一歩踏み出そうとした彼女の腕を引いて抱き寄せる。


「えぇっ!ちょっ!」

急に抱き寄せられ、顔を赤くして驚く果彌の目の前を信号無視してオートバイが走り抜けていく。

嫌な予感的中。

外に出てわずか数分でこれかよと、ゲンナリする。


「バイク来てたから」

「ありがと……」


頬を染めたまま、俺の顔を覗き込んでじっと目を見つめてくる。

いやいや、なんだこの空気。


最近のあなた変ですよ!と、言いたい気持ちをぐっと堪える。

そもそも、歩道のど真ん中で抱き合った状態で立ち止まってるとかどんなバカップルだと周りに思われてそうだと、脳内でツッコむ。


最近、果彌の様子がおかしい件について。

誰か助けて。

そんなときは友達に相談しよう。

あ、俺そもそも友達いなかったわ。


「やっぱり、収護は優しいよね」

笑顔が眩しい。

これはもう天使だろ。


この笑顔を見せたら惚れない人はいないと思うが、変な男はダメだ。

チャラ男も許さん。

浮気しないでこの子を守る覚悟があるやつは好きになっていいぞ。


「俺が優しいのはお前にだけだよ」


「……ゃ、マジやっば」

目を丸くして何事かを呟いているが、いつまでもここにいても仕方がない。


「ほら、突っ立ってないでいこうぜ」

ギブスをしていない方の手で彼女の手をとって歩き出す。


「う、うん」

「ほら、下向いて歩いてると転ぶぞ」

なぜか下を向いたまま顔を上げようとしない。


「ちょっと待って、ほんとちょっと待って、今顔見れないから」

女心は本当によくわからない。


急に手を繋いだのが恥ずかしかったのだろうか。

手を繋ぐくらい今更だろうにと、小さく笑みがこぼれるのだった。

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