1話(裏)

一定のリズムでピッ……ピッと、音を発する電子音。


管に繋がれた呼吸器から漏れ出すわずかな呼吸音。

ただそれだけの音がする空間で私はようやく落ち着くことができた。


血を吐き出し、真っ赤に染まって身動きをしないアイツを見てから私は必死に狂ったようにずっとアイツを呼び続けていたことは覚えている。


頭が真っ白になって、こんなのは現実じゃない。

目を覚ましてほしいという現実逃避をしていたかのようにもはや何を言ったかも覚えていない。


今でこそ心臓は動いているが、搬送中にアイツの心臓は止まっていたらしく、必死に救急隊員の人が蘇生措置を施しているところを泣きながら見ていることしかできない悔しさは一生忘れることはできないと思う。


「なんで私なんて庇ったのよ。

私を守るなんてあんなのただの冗談だと思ってたのに……」


涙が止まらなかった。

ここまで大切に思われていたことに気づけなかったことも、自分の短慮な行動で危うく彼を殺しかけてしまったことが自己嫌悪に陥らせる。


「ねぇ、どうして……」

意識のないアイツに話しかける。


答えは当然ない。

でも、アイツはいつだって私の幸せを願ってくれていた。


私を守ると言ってくれた。

一度、どうして私に優しいのかを聞いたことがあった。

救われたから……と。


いつか恩を返したいのだと全く身に覚えのないことを言われて疑問を返したことも覚えている。

身に覚えのない恩だからこそ、彼のいつもの言葉もただの口実のようなものだと思って軽く考えていたけれど、その認識は間違えていたことを知ってしまった。


彼は心から私を守ると、私を幸せにするためなら命すらかけるつもりだったのだ。

アイツが私を庇った瞬間、その表情を見てしまった。


死の間際と認識してなお、彼は私を見て安堵の表情を浮かべていたのが目に焼き付いている。


その表情があまりにも優しくて私は目の前で起きたことを現実と理解するのに時間がかかってしまうほどにそれは異質だった。


「まだ何も言ってないのに」

二度と意識が戻らなかったらどうしよう。


脳裏によぎる最悪の事態にまた涙が溢れ出す。

峠は越えたとはいえ、いつ意識が戻るかはわからないらしい。


下手をすれば……。


そんなのは嫌だ。

嫌だ。

嫌だ。

もうアイツが私に笑いかけてくれないなんて……考えたくない。


「ばかやろー……私をこんな気持ちにさせた責任とれよぉ……」

涙が止まらない。


もう化粧はぐちゃぐちゃになって見れた顔じゃなくなってるのは見なくてもわかる。

最初は変なやつに付き纏われてるって思ってたけど、いつも親切だから気にしなくなった。


何かあるとさりげなく庇ってくれて、いつも最初に味方になってくれて、気づいたらいるのが普通になっていた。


これが恋だと気づいたのがいつだったかは覚えていない。

でも、恋だと気づいたからこそアイツは私のことを大切に思ってくれてるけど私には恋をしていないんだとすぐ気づけた。


視線が違う。

アイツはいつも優しい。


それはまるで大切な家族を見るかのような安心させてくれる視線。

情欲など微塵も感じさせない。


自慢ではないが、それなりにモテる私はいつも男子の情欲に塗れた視線に晒されてきた。

その手の視線には割と敏感だからこそ、嘘のないその温かさに安心感を覚えていた。


パパもママもアイツには気を許していて、恋人じゃないと否定しても信じてくれないほどに信頼を得ていたくらいである。


祈ることしかできない自分の無力さが辛い。

腕を動かさないようにそっと力なく置かれている手のひらに自分の手のひらを重ねる。


温かい体温に安堵する。

不安がわずかに解消する。


その不安を手のひらから察したのか、弱々しく手のひらが握り返される。


「ありがと」

意識が戻っていないのはわかっている。

それでも、彼が私に泣くなと言っているような気がして少しだけ笑うことができたのだった。

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